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「生きがいについて」 神谷美恵子

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【7日間ブックカバーチャレンジ】これは読書文化の普及に貢献するためのチャレンジで、好きな本を1日1冊、7日間投稿。
本についての説明は必要なく、表紙画像だけをアップ。
更にその都度1人の友達を招待し、このチャレンジへの参加をお願いするというルールです。

第2回目の今日は名著中の名著、この週末に眺め読みのつもりが、ついじっくり最初から最後まで熟読し数日が経ってしまいました。帯にあるよう「ほんとうに生きるため」の、こころゆさぶる思想に溢れ、混迷の時代にこそ贈る人生の書。珠玉の言葉の連続である「生きがいについて」(1966)です。

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ちょうど私が生まれる10年前に書かれたこの本は、著者である神谷美恵子さんが今の私と同じ43歳の時に、「生きがい」とは何かという課題に直面したことをきっかけに7年の歳月をかけてようやく出版されたもの。それまであまり注目されることのなかった「生きがい」という言葉に光をあて、瞬く間に「生きがい論ブーム」を巻き起こしました。

著者は美智子皇后の相談役としても有名な思想家であり精神科医。私は神谷さんがが翻訳されたカリール・ジブラーン(Kahlil Gibran) の詩集「預言者」にある「子どもについて」の詩に感銘をうけて、その存在を知りました。子育てに悩む30代の私は、当時家族との関係に悩び、母親として子供の運命や生き方にどう向き合うのかをこの詩を通してよく考えさせられました。

生きがいという言葉はそれに対応する欧米の言葉が存在せず、著書曰く、<いかにも日本語らしいあいまいさと、それゆえの余韻とふくらみがある>言葉。にも関わらず、この「生きがいについて」が書かれてから50年が経った今、世界的な注目が集まり、そのまま「Ikigai」と言う言葉はZen(禅)やKintsugi(金継ぎ)に並び日本発の美意識、生き方、文化として浸透しています。イタリアでも本屋に並んでいるIkigai本。きっとコロナによってたくさんの方々が立ち止まり、人生を見つめ直す機会を迎えている今後、ますますたくさんの人々に寄り添っていくのでしょう。

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「生きがいについて」 神谷恵美子著 

現代に生きる人間に共通する渇望を予言的に鋭く問題定義したこの本は、今後世界がどのように変わろうとも、人間が人間らしく生きたいと望む限りぜひ一読をおすすめしたいので詳細な内容についてはここでは割愛したい。

その代わりにご紹介したいのは、この本の巻末に残された神谷美恵子さんご自身の執筆日記である。そこには一人の女性が「生きがい」を真摯に求める葛藤が描かれており、この本の内容と相まって胸に迫るものがある。日記は1958年2月から始まり「本を書きたいとこの頃そればかりを考えている」という告白に続く。

1960年5月28日(土)                           午後YWCAでお話。更年期主婦のオントロジカル(存在論的)な虚無感の訴えが一番心に残った。「何をみてもおもしろくない」「何もかもしんきくさい」「何のために生きているのかわからない」「女として終わりだ」女の生き方、というものについて、同類として私は考えなくてはならない責任がある。女子大生を教える立場からも。更年期に女ははじめて人間として生きはじめるわけだ。その時「実存」を確立できなかったら、余生はただ「生きる屍」になるほかないだろう。
1960年7月3日(日)                           どこでも一寸切れば私の生血がほとばしり出すような文字、そんな文字で書きたい、私の本は。今度の論文もほとんどはそんな文字ばかりのつもりなんだけど、それがどの位の人に感じられるものなのだろうか。体験から滲み出た思想、生活と密着した思想、しかもその思想を結晶の形でとり出すこと。
1960年10月29日(土)                          夜2時まで「生甲斐」を久しぶりに書く。「もっと書きたくて死にそうだ」
1961年5月2日(火)                          「誰に気に入られるためでもない。だれに気に入られなくてもよい。ただ書かずにはいられないからかくだけ」

だれのためでもなく、心血を注ぐものがあって、心の奥底を突き上げる欲求に従って「人間として生きる」答えを探り出していく神谷美恵子氏の姿を羨ましいと思わずにはいられないのは私だけだろうか。

ちなみに、もっと書きたくて死にそうと一心に書き進め、実際に出版が決まるのは5年後だ。そこからさらに2年かけ、3倍はあった原稿を削りまとめなおしている。著者はこのオーバーヒート気味の情熱に「女性は自己陶酔しがちだから」と、自分で水をかけることも忘れない。その姿は、生きがいというものが小さな種を自分の内にて育てていくものだと感じさせてくれる。

最後に著者は言う。

私たちの生き方が物質的に豊かになればなるほど、「人間が自然のなかで自然に生きる喜び、自ら労して創造する喜び、自己実現の可能性など、人間の生きがいの源泉であったものを奪い去る方向にむいている」と。今ほどこの言葉の深い意味を痛感することもない。しかし恐らくコロナが神谷さんが生きた時代には想像だにしなかった方法で、奪い去られきる前に急ブレーキをかけてくれたのだと思いたい。

女性が人間として生きはじめるのが更年期だと言うなら、40代も半ばを迎える私は人間として生まれたばかりだ。女としてでも娘としてでも母としてでも妻としてでもなく、ようやく人間として生きがいに生きる時が来たのだと思うと少しばかりの勇気も沸く。逃げるな自分。ゆるやかにもがき続け、生きがいを求めるのが人間であるなら、そうありたいと思う。今までの正解が突然正解でないと突きつけられる世界に、もがき続けるのは簡単ではないかもしれないけれど。

生きがいは自分の中に潜んでいるもので新たに外に求めるものでもないのだろう。それまで誰かのためにと使ってきた時間やエネルギーを、自分の生きがいに費やすのは全く罪ではないと思う。

アウトプットのためのインプットではなく、テイクのためのギブではなく、何も見返りを求めずに向かい続けられるものに真っ直ぐに。そんなまったく答えのないインプットとギブを自分に許したい。芽がすぐには出ないこともいとわずに。地に根がはるように底へ底へと向かう生きがいの形だってあるだろう。

間もなくイタリアの全国封鎖が解除される。必ず夜は明ける。

その先に、たくさんの人が目を輝かせて、ほんとうの生きがいに生きる世界を私はこの目で見てみたい。きっと生きがいに生きる人に優しい時代がやってくるはずだから。

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