こんぜで一番/なにをしないか/なにをうだうだ言っているのか
僕が住む地域は、滋賀県南部のこんぜという村であり、地域であり、小学校区です。人口は約8000人くらい。面積の2/3は山間部ではないでしょうか。
うかい家も山間部とまではいいませんが、「中」山間部に位置する在所の家ですね。
JRAのトレーニングセンターもある地域ですから、競馬関係者と競馬の施設なども多いです。
在所の者は、どこか丘の上のトレセンを見上げて育ってきたようなところがあるとおもうんですね。
笑いって、下から上を見上げてつくっていくものだと考えていますが、それの話はまた次回に取っておきましょう。
きょうは、住んでいる地域の人たち、僕を含めた8000人のなかで一番、という視点を、僕の制作人生に追加しような、と思いました。
宮沢賢治の「春と修羅 第二集」にもこのような一節が。
けれども今頃ちょうどお前の年頃で
おまえの素質と才と力を持つ者は
町と村の一万人の中になら
おそらく五人はあるだろう
それらの人のまたどの人も
五年のあいだに大抵それを無くすのだ
生活のために削られたり 自分でそれを無くすのだ
すべての材や力や才というものは
ひとに留まるものでない
おまえの今の力が鈍り
きれいな音と正しい調子を失ったのならば
俺はおまえをもう見ない
なぜなら俺は少しくらいの仕事ができてそれに腰かけているような
そんな多数を一番いやに思うのだ
みんなが町で暮らしたり一日遊んでいる時に
おまえはあの石原の草を刈る
そのさみしさでおまえは音をつくるのだ
多くの侮蔑や窮乏のすべてを噛んで歌うのだ
そして空いっぱいの光で出来たパイプオルガンを弾くがいい
と宮沢賢治さんの心象スケッチを、諳んじてチャレンジしてみましたが、この部分のこの感じの一節がスキなんですね。
五年経ってもつづけていよう。
五年間、まいにちずうっとやろう。
コトバをこえよう。
昨日をこえよう。
空を飛ぼう。
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あれしなきゃ、これしなきゃって考えていると、僕の場合はですけど、胸が詰まって息苦しくなります。
それがわるいとは思いませんが、どうせなら反転させてもよいのかもしれませんね。
「なにをしないか」と考えてみる。
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人はあれを言った、これを思ったということでは人に記憶されないとおもうんですね。
やっぱり人は、なにをしたか、で憶えてもらえるのだと思うんですよ。
だから文句とか愚痴とかマイナスなことばかり言うのはいいかげんにしてください。
誰に向けて言っているワケでは決してないのですが!
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