気づきのきっかけを奪わない

私は昔から世話好き。

人のために動くことが好きで、
人に喜んでもらうことが好きで、
自分の喜びは人の喜び。

だから、目の前の人が悲しんでいたら、自分もその人になってしまうくらい一緒に落ち込む。
一緒に悩む。
一緒に悲しむ。

それが私の中で、当たり前のことだった。

けれど、今は違う。

相手を大切に思うのであれば、その気持ちが大きければ大きいほど、

寄り添うことが大切だと思わない。

相手に起きた出来事は、
相手にとって意識の変容が起きるために起こる出来事だったり、
このままじゃダメだよ。という事を知らせてくれていたり、
方向変えて!とか、
考え方変えてみて!とか、

そんな風に考える時間。


相手は今苦しんでいる。
そして、悲しんでいる。


こんな時、以前の私なら、

こうかんがえてみたら?と、考え方まで伝授しようとしていたと思う。

けれど、今は違う。
私は私であり、相手では無い。

一見冷たく見えるけれど、

私は相手の学びを横取りしない。
自分のものにしない。

相手に起きた出来事で、本人が本人の力でした答えが
人生を大きく変えて行くことを

私は自分自身の体験で知ったから。


相手にもそのタイミングがやってきていると思うと、


向き合うことはとても気力がいること。

けれど、必ず良い方向に向かうと分かっている。

だから信じる。
信じて待つ。

そして、私はわたしであり、
私のことは私で満たす。

相手と一緒にいる時間は、
私がわたしを満たすことで、
溢れた何かを受け取ってもらえたら、

そう思うことでさえも、少し違うのかもしれない。

けれど、こんな時には

愛のコーヒーカップを思い出す。

まずは自分を満たす。

そして、相手が満たされて行くことを信じて。


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