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野菜を〝育てている〟んじゃない。こちら側が育てられているんだ。

畑仕事をしていると、「野菜にも〝一生〟というものがあるのだな」と実感します。

土にタネをおろし、芽が出て、成長して、食べごろを迎える。

私たちはお店で、その、ほんの一瞬の「食べごろ」の野菜たちしか目にすることができません。

でも、それ以降も野菜たちは畑で成長を続け、食べごろを過ぎ、子孫を残す時期を迎え、タネをつけ、枯れて、静かに土に還っていきます。

その一生の美しいこと。

どの瞬間にも、野菜たちのもてる限りの力が発せられているのを感じるのです。

タネが発芽しやすいよう、頭を垂れる葱坊主

野菜の旬


「食べごろ」の野菜、いわゆる「旬の野菜」はとてもおいしい。

食べごろ前のまだ若いタイミングの野菜は、細胞も柔らかく、瑞々しく、それはそれでおいしいのですが、味がまだ未熟です。

〝深み〟がありません。

それが食べごろを迎えると、歯応えを感じながらも歯切れの良い食感へと変化し、唸るほどの奥行きを感じる味になる。

人にとって最高の状態です。

夏野菜グリルとハーブソースのブルスケッタ。夏感満載の色と味。


「おいしい」から「ありがとう」へ。


ところが。

この、「食べごろ」を過ぎてからの野菜こそが、実はとても多くのメッセージを与えてくれているのだな、と感じるのです。

食べごろの野菜をいただいているときの感覚は「おいしい!」に尽きます。

野菜をよく噛み、体内にゆっくり取り込んでいくことで、カラダが喜んでいる感覚をしみじみ味わうことができます。

一方、食べごろを過ぎた野菜は、繊維質が目立つようになってきます。

大根やカブなどの根菜なら、花を咲かせる準備を始めるのと同時に、地中の皮を厚く硬くして、開花と結実に全エネルギーを注ごうとする。

葉物野菜も、花を咲かせるために葉っぱの形状や色を変え、硬化し、次の世代へ種を繋いでいく準備に入る。

すべてのエネルギーを、タネを残すことに向かわせるのですね。

当然、味も落ちます。

でも、食べられるもの、食べられる部位も多いのです。

市場では決して出回らないこうした野菜たちも、自分で育てている場合は大切な食料です。

そのうえ、包丁の入れ方、火の通し方、味の付け方を少し工夫するだけで、「食べごろ」とはまた一味違った味覚を味わうこともできます。

なかには、ジャガイモやヤーコン、菜花など、売り物にならないような状態のほうがおいしいと感じるものもあるほど。

「切り取りかた」で、見えるものが変わってくることを実感する瞬間。
「自分の思い込みが世界を狭めている」ことを感じる瞬間です。

同時に、野菜を食べて感じた「おいしい!」が「ありがとう」へ変わる瞬間でもあります。

まな板の上で向き合う、1本の大根の一生。

その一生を今ここにいただく。

「ありがとう」

自然と、そんな気持ちになるのです。

3月に入り、野菜たちも世代交代の時期を迎えています。

「ありがとう」が溢れる季節です。

食べごろの女山三月大根(左)と、タネをつけ、生涯をとじた一年前の女山三月大根(右)





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