亡くした猫の夢をみた
カーテンから朝の光が漏れはじめたころ、去年の夏に死んでしまった猫の夢をみた。
車通りが激しい広い道路。
歩道の端に、自動販売機みたいに3段ケージが置いてある。
そこに、猫が入っていた。
覗くと、お水用の器がカラになりかけている。
器を取り出して、水を汲みにいった。
戻ってくると、猫がいない。
周囲を見まわしたが、車も歩行者も多いなか、猫の姿はみつからない。
むちゃくちゃ焦って、猫を探して走り出した。
いない!いない!どうしよう!どうしよう!
…夢をみながら、これは夢だとわかっていた。
切なさと焦燥感に浸されながら、「あの子を見つけられないまま、すごくつらい気持ちで目が覚めるんだろうな」と。
あの子の今わに、もっと何かできたんじゃないかという後悔は、ずっと残っている。
だから、いまだにこんな夢をみてしまうんだ、って。
でも実際は、あの子はどこかに消えたわけじゃない。
ちゃんと手元にいて、最期まで看取った。
それに思いいたると、夢のなごりの胸苦しさは遠のいていった。
…が、ドスンと物理的な重みが胸の上に乗っかった。
飼い主の覚醒を察知した猫が、朝ごはんの催促にやってきたのだ。
もう一匹いるのだ。
スフィンクス座りをして、ひんやりした鼻を顔にちょんちょんつけてくる。
ごはんの定刻まであと30分、寝たふりを続けなければならない。