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『絶望の果ての戦後論 文学から読み解く日本精神のゆくえ』浜崎洋介編著 啓文社書房 2024

「米国に対する隷属関係に関する日本人の共同意識」とのテーマに基づいてピックアップされた戦後文学を、雑誌『表現者クライテリオン』の編集長と編集委員の皆さんで読み講評するという、誌上座談会をもとにした本です。
俎上にのるのは、太宰治「トカトントン」(昭和21年)から、島田雅彦「優しいサヨクのための嬉遊曲」(昭和58年)まで、だいたい年代順に全16冊。

非常に分厚い本ですが、文学論・文藝批評のたぐいは好きだし、座談会(会話)形式なので、サクサク読めました。
深く鋭い考察あり、ラフなおしゃべりあり。
藤井聡先生が奔放すぎ(笑)。

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いちばん蒙を啓かれるというか、「そうかあ」と目からウロコが落ちたのは、大岡昇平「生きている俘虜」(『俘虜記』(昭和23年)所収)を論じた第一章です。
これが基調で、以降の章はバリエーション、そんな感じ。

大岡は、出征したフィリピンのミンドロ島で、アメリカ軍の捕虜となった経験の持ち主です。
この作品は、大岡が入っていた日本兵捕虜収容所での集団生活の様子や人々の心理状態などを描きながら、占領下の日本社会の風刺をこころみたものといいます。

収容所は、アメリカ軍によって「人道的」に支配されていた。
日本人は住居も娯楽も、1日2700キロカロリーの十分な食事も与えられ、アメリカ軍の伝書バトである日本人所長のもとで、秩序正しく「自由」に日々を送る。
そんな自分たちの生態は、まるで先取りしていたかのように、敗戦後の日本と日本人の姿に似ていた。

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7年間で占領統治は終わり、日本は主権を取り戻したていにはなりますが、実態は、アメリカの管理下にあって〈9条-安保体制〉で囲われた「収容所」のまま。

アメリカが意外に優しかったので、日本人は敗戦の悲しみ恨み、怒りのぶつけどころを失ってしまい、「経済的にも軍事的にも、アメリカなしではやっていけないのだから…」という打算も働いて、高度経済成長、バブルという実利の影で、「収容所」の裏設定は外されず、放置されつづけます。

戦後文学には、そういう日米関係のために生じた日本人の深層心理—無力感、後ろ暗さ、卑屈な感情、郷土や人間の変容に対する煩悶みたいなものが描かれる流れがありました。
しかし、それも、昭和で終わってしまったということです。
アメリカの価値判断に追随するだけの時間が長すぎて自己喪失した日本にとって、アメリカが他者ではなくなってしまったからだと…。

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本書は、近い将来(?)アメリカの庇護が剥がれたときの日本精神を考える前提として、戦後、アメリカの従属下で生きた日本人の心の軌跡を、文学から読み解いています。

昭和17年(1942)、『文學界』という雑誌で「近代の超克」という特集が組まれ、哲学者や藝術家、批評家、宗教家などがポストモダン、脱西洋、反資本主義などのテーマで論文を寄稿しました。
戦争中のこと。
明治以来の近代化・西洋化の歩みをいったんとどめ、あらためて「日本とは何ぞや」を問い直す文化人たちの試みでした。
その思想の潮流は、敗戦によって潰れたわけですが。

欧米発祥のグローバリズムが猛威を振るい、日本的な価値観を消し去ろうとしている今、今度は「〈戦後〉の超克」が必要では…。

平成はもっぱら翻訳文学ばかり読み、令和に入ってすっかりフィクションからも離れてしてしまっていますが、大岡昇平『俘虜記』と石牟礼道子『苦海浄土-わが水俣病』は、ぜひ読みたいと思いました。

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