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あなたのいない100日間の私について。【推しの無期限活動休止】


私の推しが活動休止して100日。

推しの現場や活躍を心の支えに日々を送っていた私にとって、それはあまりにもショッキングな出来事だった。


私の推しは舞台をメインに活躍されている俳優さんで、人生のほとんどが芸歴のような人だ。

きっかけは歌声だった。
ワンフレーズ聴いただけで耳に残る透明度の高い歌声に、気づけば惹かれていた。
音程がまったくぶれないのに抑揚がしっかりついていて、ただ歌っているだけではない、お芝居の中で歌に乗せて言葉や感情を伝えるのがとんでもなく上手い人だと思った。

好きになったのは表情だった。
セリフを喋っている時の表情も好きだけれど、セリフがない場面やセリフとセリフの間の微妙な空白で見せる繊細な表情がとても魅力的だと思った。

何より彼が眼差しで演じるお芝居に観るたびに惹き込まれた。
もともと眼力の強い人だけれど、お芝居の中ではその眼差しに役の感情が如実に滲む。
目は口ほどに物を言うとはよく言ったもので、彼が演じる役がどれほどセリフや表情で誤魔化そうとしても眼差しは登場人物の本心を物語っているのだ。

言葉にならない感情のお芝居が好き。
彼のお芝居の好きなところは?と聞かれたら私はそう答える。

歌声でも、表情でも、眼差しでも、どれをとってもそうだ。
嬉しいとか悲しいとか名前のつく感情はこの世界には数えるほどしかなくて、その他の数多の感情、ともすればその一瞬しか生まれないような感情でも、等身大の大きさで客席に伝えてくる彼のお芝居が好きなのだ。


同時に、彼のお芝居からは登場人物の人生が見えるのも私が好きなポイントだったりする。

基本的に登場人物の人生は物語で描かれた部分しかわからない。
けれどあくまで物語とは人生の切り抜きであって、本来切り抜かれた部分以外にもこれまでとこれからが存在するはずなのだ。

彼のお芝居からは描かれていないはずのこれまでが見えて、これからの存在をあたりまえに感じることができる。
役を生きる、という言葉があるけれど、彼のお芝居は役として生きる、の方が近いような気がしている。
演じる役に血を流し込んで、その役として生きているんだなと、彼のお芝居を観るたびに思うのだ。


もちろんお芝居だけじゃなく、
踊らせたらキレッキレなところも、
年齢のわりにおじいちゃんみたいな中身も、
たまにあらわれる時報みたいなツイートも、
時々子どもみたいないたずらをするところも、
画伯なところも、
好きなところなんて挙げ出したらキリがない。

たまにイベントなどでお話しする機会があるとファンに対してとても誠実な方だなと好きが増すし、日々好きが新たになっていく。


彼の芸歴からすれば私なんてまだまだ新参者も新参者だけれど、やさしくて親切な同担(=同じ人のファン)の方々に囲まれて、彼を好きになってから約3年、本当に楽しく推し活させてもらってきた。

冒頭にも書いたけれど、推しの現場や活躍が私にとっては計り知れない活力だった。

仕事がつらくても頑張れるのは、直近行ってきた、あるいは来たる推しの現場があるからだった。
何度となく「今日頑張れば○○(作品名)」と自分に暗示をかけて挫けそうな心を奮い立たせて日常を送って来た。


あの日は年度末最後の大仕事を目前に控え、ひたすら準備に追われていた。
やることなんて山積みで、日頃からあってないような休憩時間がどう足掻いても捻出できない中、時間を見つけては2日更新がない推しのTwitterのホーム画面を確認していた。

通知ONにしてあるのだから動きがあれば通知が来る。
いくら画面をスワイプしたところで通知が来ていない以上更新はないとわかっていながら、そうしなければいられなかった。

毎日ツイートを更新することを目標にしている彼が2日連続呟かない。
そんなことはいつぞや彼がコロナに罹患した時ぶりだ、という事実が私に一抹の不安を抱かせていたのだろう。


そしてその時は突然やって来た。


立て続けに本番があると告知があったばかりだった。
いくらなんでも仕事入れすぎじゃないの?と心配していた矢先の出来事。

決まっていた仕事は当然すべて降板になった。
正直そんなことはどうでもいい、本当にゆっくり休んでほしい。
誰に責められたり急かされたりすることなく、彼のペースでしっかり調子を整えてほしい。

この仕事が大好きだと言った彼の言葉を信じることしかできない。
いつまでだって待つ覚悟はできている。

だって私、ファンだもの。


それだって、決して嘘ではないのだ。

本当にゆっくり休んでほしい。
いつになってもいいから、元気な姿を見せてくれればそれでいい。


だけど同時に、心のどこかに穴が空いてしまったようだった。

出演予定だった作品が彼の存在など最初からなかったかのように進んでいくのが悲しくて、払い戻しで残高が増える銀行口座が虚しくて、果ては楽しそうに推しの話をする他担(=他の人のファン)が恨めしくて。

日に日にフォロワーが減っていく更新のない推しのTwitterを見守るしかできないのもなかなか胸が痛かった。


頭ではわかっているのだ。
一人抜けたなら演出を変えて上演に臨むしかないことも、代役がたったなら降板した役者の存在を匂わせうるものは抹消したほうがいいことも、他担は他担で悪気はないどころかまったく関係ないことも。

本当に本当に、わかっているのだ。
それでも心が追いついてくれない。


こうなってはじめて、自覚していた以上に推しに支えられていたんだと知った。

常日頃から茶化すみたいに「生きる力を育むのは教育じゃなくて推し」と言っていたけれど、まさか身をもって実感することになるとは。


この期間を無為に過ごすわけにはいかない、推しが戻って来た時に胸を張って会いに行けるようにと、今まで以上に意識して電車で席を譲ったりしている。
自己満足でやっているだけの行為なのに、ふと我に返って自暴自棄になる。

私が徳を積んだって推しは戻ってこない。

仕事にもより一層打ち込んでいる。
推しは推しでいまがしんどい時期なのだ、私まで一緒になって沈んでどうする。
こういう時だからこそいつもと変わらず頑張るべきなんだ、と自分を奮い立たせては毎朝職場に向かう。
それでも終業後は毎日虚無だ。

推しの現場ないのになんで働いてるんだろ。

それでももしかしたら、だからってだらけていたら推しは戻ってこないんじゃないかと1ミリも因果関係のないことを考えては動きを止めることができないでいる。
結局のところ、活動休止していたって推しは私の背中を押してくれているのだ。

推しの出演作品の円盤や、過去配信のアーカイブ、Twitterの鍵垢に書き溜めたファンサレポで命を繋ぎ、そうこうしている間に100日が過ぎた。

よくもまぁ、100日生きたよ、私。
拍手でしかない。よく頑張った。

きっとたぶん、彼は戻ってくる。
このまま引退なんてことにはならない気がするし、いつになるかわからなくてもまた彼のお芝居を観ることができる日はくるんだろう。

そう思いつつも不安なものは不安だ。
今日も通知の鳴らないスマホを見ていると押し潰されそうな気持ちになる。
だんだんといないのが普通になっていくのが心がちぎれそうなほど悲しくて、怖い。


それでも私はファンだから。
待つことしかできないし、推しのしあわせを願うことしかできない。
たとえ役者じゃなくたって、極論彼がしあわせならばそれでいいんだと本心からそう思っている。


それでもやっぱり、思ってしまう。
あーあ、推しに会いたいなぁ。
推しのお芝居が観たいなぁ。
早く戻ってこないかなぁ。

裏を返せば、こんなにも好きだと思える推しに出会えたことがしあわせなのだけど。
私は欲張りなので、どうしても推しの活躍が見たいのだ。


拝啓、私の推しへ。

元気ですか?ちゃんとご飯食べてますか?
ゆっくり休んで、心と体を整えて、また元気な姿を見せてくださいね。
どれだけ時間がかかっても、あなたがかけがえのないスターであることは変わりません。
あなたのファンはいつまででも待っています。
でも、できれば、ちょっと早く戻って来てほしいな、なんて。


推しがいない101日目。
ごちゃごちゃと整理のつかない心を抱えながら、それでも日常は過ぎていく。

いつか推しが活動再開した時に胸を張って会いに行きたい。
だからへこんでばかりもいられないのだ。
これまでの推し活をおまもりがわりに、日々徳を積みながらその日が来るのを待とうと思う。

…時々落ち込むのはゆるしてほしいけれど。

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