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いよいよその日はやってきた 【婦人科手術を受けるまでの道⑪手術当日】
手術当日の朝。
もう昨日の苦しみで、手術のことはそんなに不安はない。
むしろこのスポーツドリンク風味&下剤祭りを終了させてくれるなら大歓迎なくらい。
手術当日朝は
もう一度浣腸(念押しすぎじゃない?これ終わった時、心底ホッとした。)
OS1を一本飲み切る。(手術2時間前までに)
アルジネードウォーターを一本飲み切る。
あとはとりあえずNetflixでドラマとか見て過ごすが、基本あまり内容が頭に入ってこない。
やたらと明るい先生が入ってきて、世間話をしながら点滴を入れてくれた。これは術後しばらくまでずっと入るらしい。
手術2時間前に最後のお水を飲んで終了。あとは飲み食いなし。
実はこの日、このタイミングで
生理になりました・・。(なんで。。
ずっと生理不順で、来るべきときに来たことなんかなかったのに。
なにを最後にあがいているんだろう、わたしの子宮・・。
そうなったらふと不安になって。
子宮は取るけど、卵巣は残す予定になっていた。でももし開いた時点で、卵巣に腫れがある等確認された場合、取る可能性もあります、と言われていた。
生理ですこし腫れてたりするだけなのに、取られちゃったりしない・・?(オヨヨ
とりあえず先生のお耳にもはいればいいなー・・と淡い期待を込めて看護婦さんにはお伝えしておく。朝の回診に来た先生にも一応伝えておく。
それと、せっかく用意した丁字帯がつけられない。結局紙パンツをもらってそれで行くことになった。。
しかしほんとになんでよりによって今日。。名残惜しかったのかな、my子宮。
しばらくして看護婦さんが来て「あと○○分くらいで移動しましょう」と言われ、手術着に着替える。いよいよだなと少し緊張してくる。
手術着に着替えるのがまた大変で(笑)。一体どこに手を通してどうやって着ればいいのかさっぱりわからない!わたしほんとに大人なのかな・・。
結局看護婦さんが手伝ってくれました。はずかしいなー。(今思えば、心ここにあらずみたいなところもあったんだろうな。
移動は徒歩でした。昨日麻酔科にいったときと同じ経路でエレベーターに乗り、移動する。今回は大きく「手術室」と書かれた扉から入ります。入る前に頭に紙キャップ(?)みたいなのをかぶりました。なんで髪の毛切らないで来ちゃったんだろうな。キャップに入れにくい。これは術後も後悔することになる。
わたし、あの「手術室」っていう扉の向こうってもう手術台かと思っていたんですが、さすが大病院。そりゃ手術室だってたくさんあるよね!
扉を入ったら、手術室が何個もありました。通路も広いし、清潔だし、食品工場みたいな感じ。
自分の手術室の前の椅子に座って待っていたら、昨日お会いした麻酔科の先生がいらっしゃいました。「どうですか?」って聞かれて出たのが
もう早くやっちゃってください・・・
早く終わりたい・・・
術前の処置がつらくてもうヘトヘトです。。
苦笑いされましたw
看護婦さんも先生もみんなつとめて明るく話しかけてくださって不安はあまりなかったです。
それから間もなく手術室に入りました。
その時点でメガネは病室担当の看護婦さんにお渡しして持って帰ってもらい、手術台の上にのりました。手術台って思ったより高くて、よじ登る感じがなんだか子供になったような気分だった。
まず麻酔をいれてもらいます。全部説明しながら進めてくださって、今何をしているのかわかるのであまり不安はなかったです。
心配だった入れる際の痛み。
まったくなかったです。
いつ入れたのかもわからないくらい。どうやってるんだろう。
上向きに寝てしばらくしたら先生が「だんだんぼんやりしてきます」っておっしゃって、でもその時点ではわたしは「徐々に来るのかなー、なんだかこの部屋も調理室みたいだわねー・・」なんて思っていたけど、次に記憶があるのは
○○さん、終わりましたよ〜!
手術うまくいきましたよ〜!
って遠くから嬉しそうな顔して言う担当医の先生でした。
4時間くらいはかかってるはずなんだけど、感覚としてはほんとうに一瞬。目をつぶって、次に開いたら終わってた感じ。
でも返事をすることもできず。「移動しますねー」って言われたのは覚えてる。その時点ですでに手術台は降ろされていたんだろうね。ベッドでごろごろ移動されました。
手術室の外すぐのところでいろいろ外されたりつけられたり(?)してたのかな。すごくたくさんまわりに人がいたような気がするんだけどどうなんだろう。バタバタ慌ただしい雰囲気はなんとなく覚えている。
その時、摘出した子宮を姉と母が見せてもらうというので先生は家族に会いに行っていたそうだ。コロナ禍ということで原則面会禁止なのだけど、手術の報告だけ聞きに廊下までは入れてくれてお話できたそうで、ちょうどわたしが手術室から病室へ運ばれるとき手術室の外で待っていてくれて、一瞬会えました。
なにか言っていたけれど、わたしは目で合図を送るのが精一杯で、会話なんてものではありませんでした。後から聞いたら、青白い顔をして運ばれていったそうです。
ベッドがそのままエレベーターに入ったのは覚えているけど、次の記憶は病室に入るところ。同部屋の方々はお食事中だったような雰囲気だったな。お部屋の電気はついていた。
でもその次にある記憶はもう消灯時間後でした。あちこちで時間が飛んでいる、
足に血栓予防のポンプがついていて、プシュー、プシューと音が出ていたのは覚えている。その頃からは結構覚えているのでやっと目が覚めてきていたんだろうね。
看護婦さんが来てくれて、ナースコールのボタンを近くに置いてくれたりしてたけど、なにか言おうとしたり、ありがとう、と言おうと思ったのに、喉が閉まってしまっていて、全然声が出せなかったのはびっくりした。すごく頑張って話しているのに、全然声がでないの!
呼吸のために管とか入れられていたからだと思うけど、びっくりした。
肝心のお腹のところは、たまにズキンズキンするような、なんだか中で腸がすごく動くような痛さはあったけれど、背中から麻酔はまだ入っているので、悶絶するような痛みではありませんでした。たまにズキンズキンがだんだん大きくなって、グァングァンした強い波になる。なるべく我慢したけど、いよいよ痛くなって来たら麻酔のボタンをカッチンと押してもらえば、すぅーっと冷たいものが背中のなかを通って行く感じがあって、10分も待つとすぅーっと痛みが引いてすこし楽になる、というのを繰り返しました。
でも、そのお腹の痛みよりなにより一番辛かったこと。。。
それは
骨盤。。
足がポンプで固定されていること、手術始まってから何時間も同じ姿勢なこと、導尿の管もあるし寝返りがうまく打てないこと。いろいろな理由で、どう寝ようと思ってもおしりと骨盤がバラバラになりそうに痛い・・・。
体重を少し分散したいんだけど、それがうまくできない。
看護婦さんにお願いして、タオルを何枚か持ってきてもらい、それを腰からお尻あたりにかけて当ててもらって、少し体をかたむけようとするけど、タオルじゃ全然だめ。「やっぱり痛い」と言ったら、今度は枕を持ってきてくれました。少しだけ楽な気がしたけど、またすぐ痛くなって、今度は反対になんとか枕を移動して(点滴されてるし起き上がれないし、移動させるのも難しかった)体の反対側をすこしずらしてしてみる。でもそんなに楽にはならなかった。
入院前の看護婦さんとの面接のときに、血栓の話をしていて、できれば寝返り打ったほうがいいです、足だけでも左右に倒したりして動かしたほうがいい、とか言われていたけれど、それはほぼできなかった。
とにかく体の節々が痛いことと、ガンガン響くお腹の痛みだけ覚えている。
長い夜だった。
この日のいろんな感情や感覚をまとめると
わたしにできることはなにもなかった一日だった
ということ。
もうすべてをプロの手に委ねて、あとは流れに身をまかせて、すべてを受け入れるしかなかった。
でも、無事に終わった。もうここからは元気になるだけのためのプロセス。
そう思うと、気持ちは少し楽になった気がした。
体は全然まだまだ楽にはならないけど!
(つづく)
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