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そのプロダクトに教義はあるかい?

以前から「完全教祖マニュアル」が面白いと聞いていたため、最近ふと読んでみました。正直宗教には全く興味がなかったのですが、読み始めると「これ完全にプロダクトの立ち上げの話だぞ」と思えて仕方なくなり、終始、新規プロダクトの立ち上げフェーズに置き換えて読んでしまいました。感想と合わせて、かねてから思ってたことを吐き出そうと思います。

新興宗教の立上げと新規プロダクト立上げは似ている

「完全教祖マニュアル」は、教祖になるには?何を打ち出してどういう壁にぶつかるのか?に関して読者を【宗教を興したい教祖】と見立ててロールプレイしながら伝えています。怪しい本というよりは、立ち上げから隆盛の過程での登場概念を、大真面目にシニカルに伝えている本です(=脱力タイムズ的な面白さ)。「これもうプロダクトの話じゃねぇか!」と思った箇所を抜粋しつつなぜ似ていると思ったのかを紹介します。

これは神の効能の一例に過ぎませんが、あなたはこのように神を機能的なものとして考えなければなりません。何やらよく分からないもやもやとしたものではなく、その神が人にどんなハッピーを与えられるか、そこを具体的に考えていけば、あなたの作る神の姿も自然と見えてくるはずです。つまり現代社会の問題点に即して、今必要とされる神を作れ、ということです。

プロダクトと一緒だなと思ったきっかけの文章です。ほんとに神様が目の前に降りてきた人以外は、神(=プロダクト)が、具体的に誰をどうハッピーにするのか?(=価値)を明確にする、かつそれが現代社会の問題点に即している、必要とされる神をつくるということです。これを元に神が説く教え(=打ち出す価値)を体系化していく。また、体系化された教義に基づく現実の機能(=プロダクトの機能)、例えば免罪符であったり教会であったりを提供していくのだ。と自分の中ですんなりと言い換えができました。※wikiによると宗教の教えを体系化したものを教義というそうです。

実際のところ、新興宗教にしろ伝統宗教にしろ、いちから神も教えも作ってやっているところはあまり多くありません。(中略)それよりは既存の宗教から発生して、教えにオリジナリティを加えたり、一部を否定したり、先鋭化したりして、自分たちの宗教としてやっている方が遥かに多いのです。

キリスト教や仏教など、その時代における大規模宗教が掬えない人たちをピンポイントに掬う形で新興宗教ができた歴史があるという旨の文章です。これってキリスト教や仏教は宗教界におけるGAFAで、新規プロダクトはGAFAの掬いきれない局所的ニーズをニッチに特化してアプローチしにいくのと一緒じゃないかと興奮した箇所でした。

実はこれらの「前提」さえ納得すれば後はすべて理論で話ができるのです。「前提」を踏まえた上での論理的思考。(中略)インテリからすれば、あなたの提示する「前提」さえ受け入れるなら、これまで答えの出なかった社会的問題や人生の問題に論理的な答えが出せてしまうのです。となればもう「前提」を受け入れてしまいたくなる。

ここでいう「前提」は宗教の教義とほぼ同義と思って読みました。つまりは新規プロダクトにおける「こんな状況作れたら最高」を肯定的に受け入れ始めると、既存業務に対して「それによってこういう改善ができそうだな」と組み替えられ整理されていく時と同じに思います。この感覚はサービスの導入検討担当者なら誰もが経験しているのではないでしょうか。

異端を追放しよう(中略)あなたの教団に解釈の異なるものが現れた場合、あなたはそれを異端と断定し、追放してしまっても何ら問題はありません。

最後は、宗教を興す側の視点の話なのですが、異端=教義に反する機能開発と捉えることができると思っています(ちょっと拡大解釈しすぎ?)。「アンケートに従って浅慮に作ってしまった機能」「大口顧客の社内事情のための追加機能」などで、教義に合致しないものはそのプロダクトが誰をどのようにしてハッピーにするのかを曖昧にし、教義の解釈をブレさせ、神の存在を疑わせるように思います。何にでも使えるプロダクト、というのは結局の所、教義を失い何にも使えないプロダクトとなりがちと思います。

プロダクトには核となる「教義」が重要

思い返すと私自身、一人の担当者として核となる「教義」が欠けた営業を受けることがありました。もちろん前提として明確な課題感から何かしらのサービスへ問い合わせをするんですが、「これは〇〇ができます!」「〇〇機能があります!」系の話を商談冒頭からされてしまい、”単なる機能群”の説明を受けた時には魅力を全く感じませんでした。そうなると枝葉末節である「うちと同じ業界で同じ規模の事例はありますか?」「競合製品との機能差異は?」「割引はありますか?」など仔細に自然と話が行きました。結局は、今はいいかな。と検討を止めてしまう。

特に、キャズム理論でいうイノベーター、アーリーアダプターにアプローチする際にはプロダクトの教義が重要になると思っています。プロダクトの立ち上げにフォーカスした話として「セールスアニマルになろう」というスライドを共有します。

Slack:Slack というプロダクトではなく、組織の変革を売っている(とSlackは自負している) p.87

このスライド自体はプロダクトの立ち上げ期におけるセールスの重要性(=ターゲットとの対話の重要性)についてまとめたものです。ですが、セールスを通じて、何を届けたいと思っているのか?を何度も見つめ直すことを勧めており、プロダクトの教義を刷り直し、明確にする意味では「何やらよく分からないもやもやとしたものではなく、その神が人にどんなハッピーを与えられるか、そこを具体的に考えていけば~」と似た話だなと思いました。

サイモン・シネック「WHYよりはじめよ」

別方向からのアプローチとしてサイモン・シネックのTED動画をご紹介します。営業トークや誰かの話を聞いているときに「上手く言えないがなんか納得行かない。」と思うことはありませんか?それは刺激する脳の部位が違うことが起因しています。人間の意思決定を司る大脳辺縁系は、言語中枢(論理的思考をする)とは別領域にあります。そのため、人を動かすのは「WHAT」ではなく「WHY(感情的動機づけ)」である。と、この動画では言っています。つまり①「WHY」:なぜやるか、②「HOW」:どうやってやるか、③「WHAT」:なにをするのか、この順序=ゴールデン・サークルこそが重要と伝えています。

元の話に関連付けるなら、プロダクトにどんな機能があるのか?の「WHAT」ではなくプロダクトの教義「WHY」から話すのが重要なのではないでしょうか。こんな状況になったらハッピーでしょう?(WHY)その状況を作るために私達はこんな方法でアプローチしようと思っています(HOW)そして具体的にはこんな機能で実現させます(WHAT)と。感情的動機づけにつながる、教義の部分が大事なのだということを脳みその仕組みからも辿ってみました。

まとめ

プロダクトが具体的に誰をどうハッピーにするのか?(=価値)を明確にし、価値を体系化し「教義」にしていく。これがすごい重要なことなんだなと思いました。今の会社で新規事業にどっぷり浸かっているので、教義を常に忘れず、時に刷り直しながら立ち上げていきたいと改めて思いました。

お客様や、投資家と対峙したときに不安からどうしても、”エビデンスベースでかつ矛盾や飛躍のない論理”であったり”可能/不可能など事実ベースで話せる機能の話”(=WHAT)ばかりしたくなります。

でも、データや調査による証拠で裏付けられた、穴のない論理の新規事業は現実世界ではありえなく、仮にそれができるならとっくに誰かがやっているんだろうと思います。大事なのはディテールではなく教義だ思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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