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2024.04.25 22:03

4月に入り僕は無職になり早くも3週間以上が経った。1日から18切符を握り締めて伊勢に行き、和歌山をぐるっとまわり、地元へ帰る旅をしたのちに母から聞いた話を頼りにそのあとは倉敷へ、丸亀へとぷらぷらとしていた。

旅先では文字通りいろいろあったのだがそれは別で日記を書いているのでまたまとめてからどうにか形にしたい、せねばいけない。

実家へと帰る日にいつもの道を歩いて、季節がら筍が生えてないか無意識に見てしまったり、橋の下の鯉はいるのかとか、山の形を見て、雲の形を見ていた。今住んでいる地域にはない形で、この雲の形を久しぶりに見たことに気づいた自分に感心していた。

実家では姉が旅行に行ったので実質ほぼ親と犬の大学時代の時以来親とじっくりと話す時間があった。帰ったらいつも騒いでいた犬は僕が帰っても誰だっけ?のような感じで足元もおぼつかないし、おむつもしているし、完全におじいちゃんに変貌していた。俺たち年取ったな,,,

地元に帰ってくることはないだろうとずっと思っていたがなんか拒絶まではいかなくても理解する気持ちが少し増えた感じがする。自分だけじゃなくて彼女と生きて、家庭を持つであろうという視点が僕を大きく変えていることに気づく。そして親が歳をとっていることにも改めて気付かされる。



何も無い日々は本当に一瞬で溶けて過ぎさる。1週間の早さが尋常ではない。気候も良いせいかほんとに心が穏やかに暮らしている。空が青く感じる。車があればもっといろんな場所に行きたいのだが今はなくて正解かもしてない。まず僕は家の荷物を片付けて早く彼女と合流する準備をしなくてはいけない。

庭の植物たちは夏になる準備をしている。青々しく茂ることを知っているので早めに抜いて除去する。冬過ぎに植えた茗荷が芽を出し毎週末彼女とその成長を観察している。オッペンハイマーを見た後に少し手を込んで昼ごはんを食べたら、いつもよりありがたく感じるねと話す。倉敷で祖父の戦争時代についていろいろ調べていたので、それが映画と重なり、この感情、先人たちへの感謝を忘れないようにしようねと話す。

ありがたくも知り合いの方からお仕事をもらいどうにか食い繋いでいけそうな感じはある。多分僕である必要はないのだが何か気にかけてくれたのかお願いしてくれて僕はこれを大切にしなくてはいけない。今はその作業などをセコセコとやったり、庭草を抜いたり、木を削ったりして満足している日々。もう少しするとお金がよりちらつき不安が押し寄せることになるのだろう。

仕事のリサーチをする上でいろんな人がいて、いろんなことをしているなと改めて当たり前のことを思う。みんななんでこんなに頑張っているのだろうとかどうしても思ってしまうがたぶん根本が違うし、楽しんだろうなと純粋に解釈する。僕は今僕の半径1mのことで一杯一杯というか明日どうやって生きていくかのことしか考えてないのに、この差はなんだろうとか思っていた。

時間は有限なので今のうちにやれることやっておきたい。この何かを作りたい気持ちを大事に育てていかなくてはいけない。僕は作り続ける属性の人間であることを理解している。今は自分が純粋に楽しいと思うことを育てていきたい。まだ焦る時間じゃない。俺の中の仙道がそう言っている気がする。知らんけど。

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