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日本国憲法前文を穿つ

日本の“リベラル”は自由主義者ではない。日本国憲法前文教徒だ。


Ⅰ.はじめに

1)日本国憲法前文を初めて読んだとき、読みにくい文章だと思った。
素晴らしく理想的なことが書いてあると思ったが、釈然としなかった。

2)40歳を過ぎたころ、会社勤めをしながら旧司法試験を受けてみた。(短答式:2勝5敗、論文式:2敗)
日本国憲法前文に違和感を感じながらも、合格することが目的なので是非もなく勉強した。面倒なので全文暗記した。今でも暗唱できる。

3)ここ数年テレビを見る機会が増えて、” リベラル”と言われる人々の言説(特に、安全保障、緊急事態条項、不法外国人問題)に強い違和感を感じるようになった。そして、この違和感は、日本国憲法前文に対する違和感と通じていることに気づいた。

4)彼ら”リベラル”の言説は、日本国憲法前文を思い浮かべながら聞くと、ピタリと合点がいくのだ。

5)彼らは、善なる国際社会に尽くすことによって日本国に有事(事故、自然災害を除く)は生じない、と考えているのか。
日本国憲法前文に洗脳されて頭の中から有事が抜け落ちているのか。
日本国憲法前文を穿うがってみた。

Ⅱ.日本国憲法前文を書いた人の認識

1)日本国は世界秩序に挑戦し惨敗した。

2)世界秩序は、西欧キリスト教文明(淵源は旧約聖書)を基盤としたものであり、日本はこれと最も遠いところにある。

3)日本人は12歳である。(ティーンエイジャー(大人見習)にすら達していない)

玉音放送を聞く日本国民 thejapantimes

Ⅲ.日本国憲法前文を書いた人の意思(上記Ⅱの認識に基づき日本国民に命じたこと)

1)日本国民の究極の目的は、「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭(日本その他野蛮国)を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占め」ることである。

2)上記目的を達成するための日本国民の行動指針は、以下3つである。

①.日本国民の生命・財産・自由を「平和を愛する諸国民の公正と信義」ゆだねるこ と。

②.「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」こと。
(国益より国際社会の利益を優先せよ:国家ではなく「普遍的」「政治道徳の法則」に従え)

③.日本国の防衛力強化につながる日本国「政府の行為」を阻止すること。(日本国民には自衛権行使と侵略戦争の区別はできないので、「政府の行為」「戦争の惨禍」に直結する)

降伏文書に署名する重光葵外相 Wikipedia

Ⅳ.日本国憲法前文は日本国を守るか

1)日本国憲法前文には、国民主権、基本的人権の尊重、が書かれている。異論はない。(悪文かどうかは別)

2)日本国憲法前文には、平和主義(国際協調主義)が書かれている。「崇高な理想」が書かれている。
この「崇高な理想」邁進まいしんすることで日本国が守られるならそれでよい。(ここで出自は問わない。日本国民が目指すべき真の目的は、日本国の永続と繁栄だ)

3)果たして、それで日本国は守られるか。
近代以降、崇高な理想をむりやり現実社会にあてはめた結果、大混乱・惨劇がいくつも生じた。(共産主義、ファシズム、民主主義の押し付け)
この種の大混乱・惨劇は現在も進行中だ。


4)日本国憲法前文の「崇高な理想」は、今のところ惨劇をもたらしてはいない。しかし、緩やかに確実に日本国をむしばんでいる。
すなわち、日本固有種リベラル(自虐史観・安全保障音痴・国連崇拝)蔓延まんえんの源泉となっているのだ。

5)この「崇高な理想」は、学校で教えられ、公務員試験をはじめとする各種資格試験で出題される。毎年、少なからぬ純粋で賢い若者が、この「崇高な理想」に夢中になり信者になる。熱心な信者にならなくても、この「崇高な理想」の押し付けを受け入れる素地が作られる。

6)この「崇高な理想」の信者である日本固有種リベラルは、保守主義者を極右と呼び(過激な左派のことは極左とはいわず急進左派という)、近現代史を再評価すると歴史修正主義者とののしり、安全保障の重要性を語ると軍国主義者ときめつけ、外国人の非行を批判するとレイシストと絶叫する。


7)日本固有種リベラルに支配された大手マスメディア(ほとんどの全国紙と全ての全国放送テレビ局)は、保守的言説をほとんど伝えない。
特に、日本固有種リベラルの核心的イデオロギー(日本は悪、国際社会は善。日本人は悪、外国人は善、という考え)に触れる言説は全くと言っていいほど伝えない。

8)これが自由主義か。この薄気味悪い自主規制?は、大日本帝国末期の言論統制の裏返しとは言えないか。右に行ったら川に落ちてひどい目にあったから、今度は左に盲進すれば安全か。断崖絶壁から転落し、今度こそ這い上がってこられなくはならないか。世界はそんなに単純か。

9)前世紀終盤には、中国の改革開放、冷戦終結、アパルトヘイト廃止、中東和平、ロシアのG8参加等、おおむね楽観的出来事が続き、世界は西側先進国を中心に、一時ユーフォリアに浸った。歴史は終わったとも言われた。
 We Are the Worldが流行した。日本国憲法前文の「崇高な理想」を追求していればよい、そのほうが楽だしお洒落しゃれだと思うこともできた。


10)歴史は終わるのだろうか。
終わりつつあるとしても、それは百年先か、千年先か。断末魔に巻き込まれて国が亡んだら、誰が日本人の人権を守るのか。国連人権理事会の決議か。シンGHQに優しく統治してもらうのか。
「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会」は在るのか無いのか分からないが、日本国を守ってくれそうもないことは分かった。(ロシア・ウクライナ戦争、ハマス・イスラエル戦争が語っている)

安保理機能不全 読売新聞


11)日本国憲法前文の「崇高な理想」を宗旨とする日本固有種リベラルは、日本国の防衛力強化を妨害し、日本国の自由主義を阻害する。
日本国憲法前文の「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会」は日本国を守ってくれそうもない。
日本国憲法前文は日本国を守らない。


Ⅴ.日本国憲法前文は錦の御旗

1)日本固有種リベラルにとって、日本国憲法前文は錦の御旗である。
この御旗さえ掲げておけば安全であり利益を得られる(主にマスコミ、学会で)。逆に、この御旗を傷つけると追放される。
日本国憲法前文は敗戦によって与えられた。彼らは敗戦利得者の系譜(約80年続く)につらなっている。

日本国憲法前文を書いた人の目論見もくろみ通りに活躍してきた 画像はNHK


2)彼らがこの錦の御旗を振りかざして力説する姿は、”天皇陛下に対し奉り・・・”と言って気に食わぬ相手を黙らせようとした人々を思い起こさせる。

3)戦後レジームからの脱却を目指した安倍元首相に対する彼らのバッシングは、狂気じみていた。バッシングの前線には、「崇高な理想」の狂信者がいたが(主に団塊世代と一部の若者)、あの狂気のもう一つの原動力は、日本国憲法前文(戦後レジーム)から湧き続ける既得権益に群がる彼らの、あせり、おびえ、うらみ、だったのではないか。

大人のやることではない 画像はEast Asia Forum

 

Ⅵ.日本国憲法前文の役割は終わった

1)日本国憲法前文を書いた人の目的は、異人種で初めて近代国家を作り、組織的に米欧に反撃した日本国の牙を抜くことであった。

2)敗戦国日本はおとなしく牙を抜かれたままでいる必要があった。
要路の大人たちは、日本国憲法前文の「崇高な理想」など信じていなかったが、復興と発展を妨げる無用のトラブルを避けるためのカード(手段)として利用した。(憲法改正先送りのそしりにあたるか否かは分からない)

3)今や大人たちはいなくなり、日本固有種リベラルは、文字通りこの「崇高な理想」「目的」として「達成することを誓ふ」ている。重しが外れ、やりたい放題だ。

4)テレビの偏向報道はひどい。「崇高な理想」の信者である彼らにとって、放送法4条など蜉蝣かげろうのごときものなのだろう。
彼らは、日本国憲法前文を神聖不可侵なものと考えているので、他者が異論をさしはさむと怒ってしまう。昭和初期に天皇機関説に激怒した人々のように。(ここで、直近の顕著な例として、2022年テレビ朝日玉川徹事件をみてみよう)

【9月28日の放送での玉川氏の発言全文】 「これこそが国葬の政治的意図だと思うんですよね。当然これだけの規模の葬儀、儀式ですから、荘厳でもあるし、個人的に付き合いのあった人は、当然悲しい思いをもってその心情を吐露したのを見れば、同じ人間として、胸に刺さる部分はあると思うんですよ。
 しかし、例えばこれが国葬じゃなくて、内閣葬だった場合、テレビでこれだけ取り上げたり、この番組でもこうやってパネルで取り上げたりVTRで流したりしないですよね。国葬にしたからこそ、そういった部分を我々は見る、僕も仕事上見ざるを得ない状況になる。
 それは例えれば、自分では足を運びたくないと思っていた映画があったとしても、なかば連れられて映画を見に行ったらなかなかよかったよ、そりゃそうですよ、映画は楽しんでもらえるように胸に響くように作るんです。だからこういう風なものも、我々がこういう形で見れば胸に響くものはあるんです。それはそういう形として国民の心に既成事実として残るんですね。これこそが国葬の意図なんですね。だから僕は国葬自体、ない方がこの国にはいいんじゃないか、これが国葬の政治的意図だと思うから」
「僕は演出側の人間ですからね。演出側の人間としてテレビのディレクターをやってきましたから、それはそういう風に作りますよ。当然ながら。政治的意図がにおわないように、制作者としては考えますよ。当然これ、電通が入ってますからね」

【玉川徹氏の国葬「電通」発言全文】羽鳥慎一が番組で謹慎処分を説明、改めて謝罪求める/芸能/デイリースポーツ online (daily.co.jp)

(なお、後日玉川徹氏は、電通と菅前総理大臣に対して事実誤認である旨、番組内で謝罪した。しかし、政治的意図がにおわないように<政治的意図をもって>番組制作しているのではないか、という疑惑については釈明していない(“事実誤認”に問題を矮小化)。別の機会に釈明したのか。

玉川徹氏は、今でもテレビでご高説をのたまっている。仮に、何ら釈明していないのであれば、率直に言って、破廉恥はれんちというほかないだろう。

また仮に、玉川徹氏が<政治的意図をもって>番組制作しているとすれば、<ないほうがこの国にはいい>(上記引用文下から5,6行目)のは、玉川徹氏と彼をあやつるテレビ朝日ではないか、との疑惑が深まる。)

5)日本国を取り巻く安全保障環境が激変した今、日本国憲法前文は害悪しか生まない。
日本国憲法前文の役割は終わった。(19世紀半ばに鎖国の役割が終わったように)


Ⅶ.おわりに


1)日本国憲法前文の影響力をあなどってはならない。
前世紀の日本固有種リベラル(進歩的文化人と呼ばれた)には、威儀を備え、節度をわきまえる人もいた。昨今は、宗教弾圧、テロ礼賛、何でもござれだ。変異株が強毒化している。

2)崇高過ぎる理想をおおやけに持ち込むと危険なのだ。神を地上に降臨させてはならない。

3)日本国民が日本国憲法前文に掲げるべき目的は、日本国の永続と繁栄(弥栄いやさか)である。国際協調はその手段だ。
勿論、日本国の永続と繁栄には国際協調が欠かせない。しかし、国際社会の永続と繁栄には、必ずしも日本国は必要ない。日本国が消滅しても国際社会は永続し繁栄するだろう。

4)倒錯してはならない。
情けは人の為ならず” を無防備に、ばか正直に、国際関係に持ち込んではならない。
 
5)日本固有種リベラルの根を断ち、「他国と対等関係に立」つため、直ちに日本国憲法前文を全文削除しよう。
そして、格調高い日本語で改正されるまで、こう仮置きしよう。
《日本国民は、日本国の弥栄いやさかのため国際社会と協調する》
新たな倒錯者を生まないために。

 
令和6年春分の日
みやこ乃たつみ鹿の鳴き声 
 


※念のために
平和主義・国際協調主義を否定するのではない。
我が国の憲法前文を、誤解を生まない日本語で、12歳の少年少女でも少し背伸びをすれば分かるような、美しい日本語で書きたい。反省文ではなく。
日本人は誇りをもって日本人らしくしていればよい。それが多様性だ。
We Are the Worldを歌おう。ただし、せっかちにそれを手繰たぐり寄せようとしてはならない。遠くを見据えて、一歩一歩、地に足をつけて進もう。


令和6年弥生の望月の頃
みやこ乃たつみ鹿の念ぶつ


昭和天皇と香淳皇后 日本国憲法公布記念式典 朝日新聞


【資料】

日本国憲法前文

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想目的達成することを誓ふ


※お読みいただきありがとうございます。本文Ⅳ-1で<出自は問わない>としましたが、日本国憲法の成立経緯を知ることはたいせつです。下記参考文献でお確かめください。(本をあまり読まない方は⑳をどうぞ)

【参考文献】
西修(2012)『図説 日本国憲法の誕生』河出書房新社
江橋崇(2020)『日本国憲法のお誕生 その受容の社会史』有斐閣 
③古関彰一(2021)『日本国憲法の誕生 増補改訂版』岩波書店
西修(2019)『証言でつづる日本国憲法の成立経緯』海竜社
篠田英朗(2019)『憲法学の病』新潮新書
⑥長谷部恭男(2006)『憲法とは何か』岩波新書
⑦芦部信喜(2016)『憲法第六版』岩波書店
高尾栄司(2016)『日本国憲法の真実 偽りの起草者ベアテ・シロタ・ゴードン』幻冬舎
⑨鈴木昭典(1995)『日本国憲法を生んだ密室の九日間』創元社
倉山満(2011)『誰が殺した?日本国憲法!』講談社
小堀桂一郎(2001)『さらば東京裁判史観 何が日本人の歴史観を歪めたのか』PHP文庫
島田洋一(2023)『腹黒い世界の常識』飛鳥新社
岩田温(2018)『リベラルという病 奇怪すぎる日本型反知性主義』彩図社
八幡和郎(2018)『「立憲民主党」「朝日新聞」という名の“偽リベラル”』ワニブックス
阿比留瑠比(2018)『左派のどこが「リベラル」か』産経新聞
⑯田原総一朗(2015)『戦後レジームの正体』現代ビジネス
半藤一利(2003)『日本国憲法の二〇〇日』プレジデント社
山田風太郎(2002)『戦中派焼け跡日記』小学館110頁昭和21年3月7日
永井荷風(1987)『摘録 断腸亭日乗(下)』岩波文庫308頁昭和22年5月初3
むらおの歴史情報サイト レムリア



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