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豁然開朗

これは「目の前がパッと明るく開けること。また、明るい見通しが立つこと。また、疑い迷っていたことが解けて、真理を悟ること」という意味の四字熟語だ。

30数年生きていると、この豁然開朗が大なり小なり訪れる。

例えば、
試験問題を解いていて、どうしても解けない問題だったが、別の問題を解いていたら、ふと解法が思いついて豁然開朗。

そんなこともあれば、
研究が行き詰まり、体調まで壊し、休学。復学間際に旅行した先で不意に糸口が見つかって豁然開朗。

日常でも、
ちょっと人間関係でモヤモヤして、お風呂に入って、寝て起きて、ヨガをしたら豁然開朗。

そんな感じで豁然開朗状態になることはよくある。
これはアハ!体験とも言われるひらめきに近い感覚なのかもしれない。またはアブダクションのように、驚くべき事実から仮説が創出された時に生まれる感覚かもしれない。

豁然開朗には視点の転換、思考ルートの変更、雑念の排除。
そういった要素も含まれるかもしれない。

長い時間悩み、探り、考え続けてきたことほど、豁然開朗になった時の爽快感が強い。世界の見え方がガラリと変わり、なにもかもが新鮮に感じられるので、生まれ変わったような気さえする。

今まで何度か大きめの豁然開朗が訪れたのだが、そのきっかけはいずれも旅だった。長いモヤモヤが続いて、埒が明かないと逃げるように旅に出たら、旅先で後頭部を鈍器で殴られるような体験をして豁然開朗。スッキリとした気分で、帰ったら自分の課題に集中できるようになる。

それが私の成功体験として残ってしまったせいで、今やすっかり旅中毒だ。
ガッツリ旅をしないと「刺激が足りない」「飛躍する方法が見つけられない」と脳が悲鳴をあげる。

長旅であることが多いので、「自分探しの旅でもしているの?」とからかい半分に聞かれるが、そんなことは旅をしなくてもできる。思索し行動に移せばいずれ見つかるものだ。

私が旅に求めるのは、豁然開朗である。
同じものが、全く別の角度から見える。見たこと・やったことのない経験を通して、ひらめきの回路が作られる。

というわけで、豁然開朗を求めて旅ばかりしていたが、どうやらそればかりだと良くないらしい。視点が変わるたびに価値観や考えていることが変わり、行動も変わるので、ブツ切れの人生を歩んでいるように感じるのだ。

数年前、数ヶ月前、数日前の自分をつなげるストーリーが紡ぎ出せない。
それもどうなのか。

ここ数年、豁然開朗の乱獲を目指して生きていたが、それはやめることにする。2021年の自分に求めるのは、ひとつひとつの積み重ねだ。
「水滴石穿」なんかがふさわしいだろう。

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