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大人になってから、迷惑かけた人に「ごめんなさい」と言えたこと。申し訳なさにケリをつける。

おはようございます。
ゆです😊

昨日は、「裏切りの気持ちにケリをつけること」について、マンガ『宇宙兄弟』のワンシーンを紹介しました。

これに関連して今日は、半年ぐらい前に申し訳なさ・罪悪感にケリをつけたこと、その体験談を書いていきたいと思います。

大学のサークルで任されていた大規模なプロジェクトを、準備不足でめちゃくちゃ失敗させてしまった

大学時代、鳥人間サークルというものに所属していた。琵琶湖で人力飛行機を飛ばすアレだ。

ほとんど無名だったけど、一つ上の代の時、初めてコンテストに出場して、2キロほど飛んだ。運営側に「どうせ飛ばないだろう」と思われていて、かつ次のチームが強豪だったため、カメラがほぼついていなくて、変なカットしか残っていなかったことはよく覚えている…

(探したけど動画見つかんなかった…)

それが一個上の代。問題はぼくらの代で起こった。というかぼくが起こした…


事の顛末

ぼくたちの代でぼくは、責任の大きい役職に就いていた。やる人もいないし、学級委員とかやってきたし、一肌脱ぎますか!みたいな感じで引き受けた。

飛行機を飛ばす前に強度試験というものをする。飛んでいる時の負荷に機体が耐えられるかを確認する試験だ。当然、耐えられなければならない

結論から言うと、
耐えられなかった。
耐えられなかった、どころでは無い。
重みに耐え切れず真っ二つに折れてしまったのだ

完全にぼくの準備不足だったし、同期の代表のやつとも連携が取れていなかった。なんにせよ、もうサークルの仲間とも顔を合わせづらくなって、逃げるように休学した。休学の理由はそれだけじゃないけど、居場所をひとつ失ってしまったという喪失感や「ぼくはなんてダメ野郎なんだ」という自責の念は、ぼくの心身を蝕んでいた。

それ以来、サークルの仲間、特に代表のやつとは連絡すら取っていなかった。もう一生会うことも無いんだろうなと思った。


自分の気持ちに見て見ぬふりをしていたけれど、本当はずっと謝りたかった。「許してほしい」なんておこがましくも思っていたけど、許して欲しかったんじゃなくて、ただ、自分のために「ごめんなさい」と言いたかった。

迷惑をかけたこと、逃げるようにいなくなったこと、その後始末を押し付けてしまったこと。このことをちゃんと謝りたかった。

去年の11月末、『嫌われる勇気』を読んで、相手がどうであろうと、自分の本心に従ってすべきことをすることが大事だと思った。

それで数年ぶりに電話をした。心臓がバクバク跳ね上がって「どうなるだろうか?なんて言われるだろうか?」と、とても緊張したし不安だったし怖かった。

「これとこれとこれについて、本当にごめんなさい」と言った。

「色々と伝えたいけど、とりあえず気にしすぎ」と言ってくれた。

本当に救われた。

自分がしでかした罪の重さを考えると、「救われたこと」や「赦しを請うこと」はどう考えてもおこがましかった。でもそいつは「気にしすぎだ」と言ってくれた。

どうあっても自分の罪の気持ちを贖うことは出来ないけれど、「ごめんなさいと伝えたこと」そして「気にしすぎだという友の言葉」が、ぼくの「裏切りの気持ち・申し訳ない気持ち・罪の気持ち」にケリをつけてくれた

胸がすく思いだった。なんかめっちゃ元気になった。「おれなんか元気になっていいんだろうか」と罪の気持ちはまだある。でも、申し訳なさの気持ちがどれだけ自分にとって重い足枷となっていたのかに気付かされた。

まだケリをつけなきゃいけないことがある。ケリをつけたらまた報告するね

まだケリをつけなきゃいけないことがある。ある人たちに対する罪の気持ち・申し訳ない気持ちだ。

ちゃんと謝ろう。不安だけど。怖いけど。


ちゃんとケリをつけよう。


じゃあまたねー

マジあざす!!!!!!! からあげ食べて良い記事書く!!!!!!