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左利きの書道は有りか無しか。 左利き書作家の考え その1

左利きは武器だった。

書を書きはじめて十数年間、いかにして右利きのように書けるかを模索する日々。
何度書いてもなめらかな普通の線がかけない。簡単なひらがなを書くだけなのに、書き損じの山がみるみる出来る。なんで自分は上手くかけないんだと悩む、そんなことを延々と繰り返してた。
そもそも書を書くようになったのは別に好きだったからではない。小さい頃から絵を書くのが好きだっ自分は一新発起して7年勤めた会社を辞めてデザイナーに挑戦。運良く就職出来たデザイン事務所がパッケージデザイン中心で、そこの流儀が「デザイン用の素材は自分でなんとかする」だった。渡される注文書には「商品名は筆文字で」と書かれたものがよく回ってくる。先輩の文字を見様見真似で書いてみるが当然のことながら上手くいかない。優しそうな先輩にこっそり書いてもらったこともあったがそうは続かない。仕事で書けなかった文字をよく家に帰って特訓してた。
そんな自分でもたまに「面白い字を書くね」などと言われたりすることがあると嬉しかった。書いているうちに左利き故の難しさに気づき始める。丸を書いたときに明らかに右利きの先輩と線質が違うことに気がついた。下手なら練習有るのみだが、左利きを克服するためにはやり方を工夫する事が大事と思い紙を横にしたり筆を改造したりいろいろ試し、逆さまに書いたり、鏡文字でも書いてみたりもした。鏡文字とは鏡に写ったように裏返しで書くことだ。中には効果のある方法もあったがちょっと上手い人には叶わなかった。ただ素朴な文字など味のある文字は時々褒められるようになった。
書との悪戦苦闘の日々、徐々に書の面白さ深さにのめり込んでいく自分に気づく。
転機は今から十二年ほど前、ある書道家との出会だった。その人は全国で個展を開催し、さらにアメリカ・ヨーロッパ・アジアなどで精力的に作品を発表しているバリバリの書道作家だった。その人との出会いからあれよあれよと気がついたら書を学ぶことになっていた。そこからほぼ2ヶ月に一回のペースで実践的な勉強会が始まった。その勉強会の折に自分の書に対する悩みを相談する機会を得てこんな事を言われた。「左利きは武器だ、左でしか書けない線がある。左利きは武器だよ」と。
この時大げさかも知れないが自分の世界が変わった。今までコンプレックスだったものが実は宝物だったことを気づかせてもらった。この関係は2年続き、震災の年に継続が困難となり終了した。自分にとってこの書道家との出会いはとてつもなく大きい。この方には今も感謝しかない。

左利きでは書道は無理と言う意見に、条件付きで賛同する。

書道を教えている講師の方には左利きは書道に向かないから直したほうが良いと考える方が多いが、この考えはある意味正しい。左利きは武器だと言ったばかりで、書道に向かないと言う考えに賛同するとは一体どんな了見だ、とご立腹の方もいるかも知れない。その理由は以下の通りだ。
書道を習うことを一般的には習字と言う。この習字は楷書の練習から始まり、上級者になると行書・連綿といった文字から文字へ線がつながる書体を習得していく。これら一連のプロセスは姿勢や筆の使い方、更に線の始まりと終わり、文字のかたちまで細かく決まっている。
これらを習得するためには物理的に左手で筆を持っては出来ないのである。
書の説明によく用いられる「永字八法」というものが有る。永と言う文字には書に必要な8つの筆法が全て使われている。8つの筆法についてはここでは省略させていただく。
下記が永の文字を右手と左手で書いたものだ。上が右手、下が左手で書いたものだ。左利きの自分が右手で書いたので文字がゆがんでいるのはご容赦願いたい。

永右

永左

見ていただきたいのは線質だ。右で書いたものは線の始まりと終わりが綺麗にまとまっている。それに比べて左で書いたものは、がさがさしていて線の終わりがまとまらない。この理由は右手の場合筆の穂先を引きずる動きなので筆先は細くまとまりやすい、だから線もまとまる。逆に左は穂先を紙にこすり付けるような動きになるので穂先が乱れてぼそぼそになる。左ではシャープな線は上手く書けない。これが左手で楷書が書けない理由だ。ただ筆も傾きを修正することで右手に近づけることはできるが右利きの上級者には絶対及ばない。

回転

次の画像は右方向の羅旋(らせん)を書いたものだ。上段が右手、下段が左手で書いている。上段の右手で書いたほうがなめらかな線が書けている。左利きの自分が書いたものなので右利きの人が書けば更になめらかな線になるはずだ。下段の方はぎこちない線に見えるし、角になっている所もある。これは人間の骨格が大いに関係している。右手で右回りの円運動をするのはとても自然な動きなのでなめらかな線がかける。逆に左の場合不自然な動きなので終始緊張状態で書かざる負えずぎこちなく不自然な線になる。左回転ならスムーズに書けるが文字を書く場合、殆どが右回転を使う。ぜひご自分で意識して試してみてもらいたい。文字を書く場合、行書や連綿の書は右回転の円運動を多用する。だから左では書けない。
ここまで読んでいただくと左で書をかくことは諦めたほうが良いと思うかもしれない。
しかしこれまで述べてきたことはあくまで「習字」に限ったことである。
条件付きで賛同するという意味は、習字に限ってはという意味だ。

書を創作と考えるならば不自然な線、ぎこちない線は全て個性となる。左利きの書く線の一本一本は右利きの人には書けない線なのだ。
書道の達人が鮮やかな手さばきで流れるような書をしたためる様子は見ていて恰好いいし自分も憧れる。好きな四文字熟語に桜梅桃李というのがある。桜は桜、梅は梅だ。梅は桜にはなれないが、逆もまた然りだ。
左利きに出来ないことがあると考えるより、左だから出来ること、右利きには出来ないことがあることを知った時、道は拓ける。新しい書道分野の誕生だ。
(次回につづく)

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