死は悪いことなのか?part.4


はいどうも!
うじまるです。

さて、今回でこのパートはラストになります。
「死は悪いことなのか?」完結編です。

前回までのあらすじのまとめ

①死に直面した時に恐怖などを感じることから死は悪いと言えるはず!
②死は残される人ではなく本人にとって悪いこと!
③死の過程の痛みなどが悪いことの本質というわけではない!

ざっくりではありますけどこんな感じでしたね。

では今日は本書で語られる死は本人にとってどう悪いのかを見ていきましょう!

検証③死は機会を奪うから悪い?

はい。最後の検証内容は死は機会を奪うということです。
具体的に何の機会かというとこの先、生きることが出来たら得られたであろう経験や感動などのことです。

例えば
Bさんは徴兵によって戦争に向かいそこで殉職したとします。
しかし、Bさんにはこれから先幸せな家庭を築き、週末には家族で映画を見に行き、これといって不自由のない生活を送る可能性があったわけです。

仮に寿命を全うして100歳で亡くなったとしてもさらに10年、20年と生きることができたらまた違った体験や感動があったかもしれません。

本書ではこういった死がその後未来で経験できたであろう価値を奪うことを剝奪説(はくだつせつ)と呼んでいます。

これが本書で出ていた一つの答えです。

私はいざ言葉にして聞いた時にちょっと拍子抜けというかこんなもん?って感じでした笑
恐らく当たり前すぎて思考の片隅にはあっても気づいていなかったのでしょう。それか何か革新的なものが来るはずという期待のしすぎか笑

私はこの剝奪説の部分を読んでいてこんな疑問が生まれました。

「じゃあ仮にこの先ずっと死んだ方がマシなくらい悪いことしか起きなかったら死んだ方が良いのか?」

という疑問です。
自分がそんな場面に出くわしたら確かに死にたくなるだろうし死んだ方がマシなくらいならその方が合理的だなぁーなんて思っていました。

ですが後に本書でも語られますが、この考えは間違ってはいないけれど実用的ではないということです。

どういうことか?
自分に今後悪いことしか起きないと分かる人は誰一人としていないということです。
有り体に言うと未来は誰にも分からないということです。

とは言ったものの、人間はそう単純な生き物ではないのでお先は明るいのに目先が真っ暗な状態だとお先も真っ暗に感じてしまうものだと思います。

目先真っ暗で未来は明るいと期待して生きるのもなかなかつらいものもあるでしょう。

私も一時期ささいなことで結構本気で自殺を考えたことがありました。
色々なことから逃げ出したかったといったところです。
しかし、そんな勇気も無く現実的な方法で逃げ出すこともなく、向き合うことになったのですが、終わってみれば本当にささいなことでした。

結局のところ何が言いたいのかというと、生きてみないとどうなるのか分からないし自らが自らの未来を剝奪するというのはなんか普通にもったいない気がします。

もし自殺を考えている人がいるならばこんなことを考えてみてください。

・あなたは今日の夕飯何が食べたいですか?
・友達と出かけるとしたらどんなことをしたいですか?
・家族と過ごすならどういう過ごし方をしたいですか?
・今すぐどこにでも行けるならどこに行きたいですか?

これから食べたいもの、したいこと、何でも構いません。
それらの何かが思いついただけであなたはまだ生きようとしている証だと思います。取るに足らない価値しかないかもしれませんが、少なくとも生きているうちはその価値を感じることができます。

本当に死ぬことでしか解決できない問題なのかを是非今一度考えてみてください。

と上手くまとめたふりして全然まとまってないですが、死というのは良いこと悪いこと含めてすべてを奪っていきます。

ほう?そうなると不死は最強なのでは?となってきます。
一切の剝奪を受けないわけですからね。

皆さんは不死になったらどうですかね?
最高にハッピーですかね?それとも最悪ですかね?

次回はそんなことを考えていこうかと思います。

それではまた次回お会いしましょう!

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