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ナイキが出している厚底シューズで記録が連発し、ほとんどの選手がナイキのシューズを選ぶようになりました。

このナイキの厚底シューズの問題について意見が二分しています。

「特定アイテムの有無で勝ち負けが決まるのはスポーツとして理想的ではない。」

という声と

「企業の開発努力を無駄にするのか」

という声。

どちらも正しい声だと思いますが、両立する意見とも思っていません。

どう捉えれば、この2つの意見が噛み合うのか、少し強い言葉を使ったタイトルになりましたが、これから水泳にまつわる2つの事例を基に、「ルールとは何か」を考えてみたいと思います。


事例1:高速水着レーザー・レーサー

レーザー・レーサーはオリンピック前年に登場し、「この水着を着ないと負ける」と言われるほどの実力ある水着でした。

日本選手は契約や規定などの諸事情で当初この水着を着用できない規則がありましたが、さまざまな意見が飛び交ったのちに最終的には自由な着用を認められました。

その結果として北京オリンピックはレーザー・レーサー着用者が圧倒的多数で、輝かしいばかりの歴史的な記録を残しました。

ただ、今回のNIKEの厚底シューズと同じように、選手ではなく特定アイテム(水着)にばかり過度の注目が集まりすぎたため問題となり、結果として規制されました。
※正確にはラバーを使った水着も含めて高速水着問題として話題になりました。

その後、高速水着に作られた新規定によって多くの高速の機能は実現ができなくなり、2008年前後に出された世界記録の更新は難しくなりました。
ですが、泳ぎ技術の飛躍的な向上する選手と、それに寄り添った水着開発が進み、あれから12年たった今、記録は再度、徐々に塗り替えされ始めています。

注目の主役は選手に戻ったのです。

この結果を見ると水着ルールの規制は良い転換点だったと言えます。

レーザー・レーサーの規制は残念ではありましたが、その後の競泳水着開発に大きく影響を与えたことは間違いありませんし、そのレーザーレーサーの騒動によって非常に大きな宣伝効果という企業恩恵があったのは間違いありません。

ここで疑問です。

レーザー・レーサーはルール違反だったから規制となったのでしょうか?

競泳の元日本代表・松田丈志選手がこんなことを言っていました。

「レーザー・レーサーは違反となる水着ではありません。ある意味”それまでのゆるいルールの中で決められた最高の水着”、それがレーザー・レーサーなんです。」

そう、スイマーも、多くの企業も想定していなかったぐらいのものが出来たに過ぎなかったのです。

当時の各社開発競争によって、親水(濡れると表面が魚のようにぬめりが出る)水着や、インナーマッスル(腰を抑えて姿勢を安定させる)水着などを開発されています。水中のハンターであるサメを模したサメ肌を意識した表面感の水着もありました。

そんな開発競争の中で、レーザー・レーサーは体を水着の中に押し込んで小さくする事で水流抵抗を極限まで落とし、泳ぎのパフォーマンスを最大化する発想を突き詰め、まるでF-1の世界のように様々な最先端技術を詰め込んだ。

その結果として世間を震撼させるほどの最高の水着となりました。

メーカーは一切のルール違反をしていなかった。

ただ、結果として飛び抜けた数字が出て、その後の水着開発の概念を変え、競泳水着のみならず、通常の水着開発にも影響を与えたのです。


事例2:水泳のルール変化

水泳のルールについて掘り下げてみます。

競泳という競技がオリンピックに登場したのは1896年です。

ただ、当時は今のように4泳法(クロール、平泳ぎ、バタフライ、背泳ぎ)という概念がなく、全員が言葉通りの自由形で、みんなが(水に顔をつけない、顔出しの)平泳ぎで泳いでいたといいます。

その後1人のスイマーが腕を交互に出す泳法を編み出し、水の中に顔を入れなくても大丈夫な背泳ぎに優位性が生まれ、自由形(平泳ぎ)より息継ぎをしなくてもよい背泳ぎを自由形から独立させました。

→自由形(平泳ぎ?)、背泳ぎ

その背泳ぎを独立させた直後に増えたのは、今でいうクロールに近い泳ぎ方。今までのような平泳ぎという競技を守るために、今度は自由形から平泳ぎを独立させました。

→自由形(クロール?)、背泳ぎ、平泳ぎ

その後50年程は自由形(クロール)、平泳ぎ、背泳ぎの3泳法だったのが、平泳ぎの競技中に、今でいうバタフライのような手の動きをする泳法の選手が出て、世界の舞台で結果を残したのです。

平泳ぎは「左右対象でうつ伏せ」というような当時の”ある意味ゆるいルール”の中で泳がれたバタフライ泳法

現代においてバタフライはクロールに次ぐ速い泳法とあって、平泳ぎではバタフライ泳法には敵わず、ほとんどの選手が平泳ぎの種目では今でいうバタフライの泳法で泳いだ。それによってバタフライと平泳ぎが別々の競技になりした。

その結果として、今の4泳法が誕生することとなります。

→自由形(クロール)、バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ

さて、

この新しい泳法というのは誰かが違反をしたから生まれたわけではありません。

既存のルールの中で出来る最高のパフォーマンスを考えた結果、効率の良い泳ぎ方を見つけ、それを実践した。

そして、周りの人も

「おい、あいつ違反しているぞ!取り締まれ。」

ではなく、

「あの泳ぎ速い!自分も真似しよう」

と受け入れた事で、新しい競技の誕生、いわゆる水泳競技の進化と発展につながります。


ルールとはどう捉えるべきか。


競泳に関する2つの話題で、ルールについて考えてみました。

ルールとは、「この枠の外に出てはいけませんよ」ではななく、

実際は「広い荒野の中から、この点を触ってはいけない。それ以外は自由」という地点が点在するだけと解釈したほうが正しいはずです。

ルールと四角

ただ、いつしかそのルールが続いていくとみんなの認識の中に

「ここより外に出てはいけない」という、本来のルールとは違った潜在的な意識なってしまっているのではないかと思うのです。

金魚鉢理論で例えると分かり易いので説明してみます。

◆金魚鉢理論とは
水槽の中に金魚を入れ透明な板で仕切る、透明な板の反対側にエサをやると、最初はそのエサを食べに行こうとするが、何度もぶつかっているうちに、ここより先はいけないと認識し始める。その後に透明な板を外しても、金魚はその板の向こうにはいけないと思い込み、板の向こうに飛び込んでも行こうという行動をしなくなるわけです。

一度ルールを四角い枠の中として自分の中に受け入れてしまうと、その自分の知っている枠の外に出る事ができなくなります。実際にそんな制限はないにもかかわらず。

※心理学の世界ではカマス理論ともいうそうです。

良いルールとは何か

良いルールとは下記が明確であることです。
・ルールの意図
・ルールの条件(形)


1.ルールの意図(根本)が明確

(例1)Aを、この条件下Bで実施すると、大きな問題Cにつながるから
(例2)これを認めると、試合が単調になり、競技性を失うため

というように、そのルールがただの記載上の制限ではなく、意図が明確である事が大事です。

格闘技での安全性のための急所攻撃禁止
高校野球での球児の将来を守るための投球数制限
サッカーのゲームバランスを成すためのオフサイド
など意図が全て明確です。


2.ルールの条件(形)が明確

(例1)水泳ではそれまでのルールの形を正しく捉え、その制限下で違うアプローチをした結果4泳法が生まれた。

(例2)多くの企業が水着の開発競争をした中で、締め付けによる水流抵抗の削減を追求した水着が結果として飛躍的な結果を出した。

スポーツの世界ではルールの形を正しく認識し、その本質を真似、時に制限することで競技のレベルが上がり、限界(世界記録)があがってきた歴史があります。

先ほどの金魚鉢理論では透明な板でしたが、ここに1匹だけが通れるぐらいの穴があるとしたら、その穴を通ることを悪いと言えるのでしょうか。

そこを徹底的に考えることが大事だと感じます。

今回は厚底シューズの騒動に際して色々と書かせていただきました。

今後この問題がどうなっていくのかはわかりませんが、仮に規制となったとしてもそれは悪いことだとは思いませんし、企業努力を否定するものではないと思います。

その過程で得られた技術、ノウハウは今後のランニングシューズ開発だけではなく、私たちが日常使う靴にも何らかの形でフィードバックされていくはずです。

水泳選手以外は知らなかったspeedoというブランドを、今でも記憶に蘇るぐらい、世間一般が知るほどに名前を広めたのは、レーザーレーサーがあったからこそでした。

ランニングにおいて日本人の足にはAsicsやニューバランスと言われていた業界に、ルールの形を捉えて大きな風穴を開けたNIKEブランドの記憶は多くの人に鮮明に刻まれたはずです。

大事なことは、既存の枠を超えるような発想があったこと、それをまずは称賛すること。

そうすれば次につながる色々な進化があるのだと思います。

規制をするとしても、「選手のために最良の選択は何か」ということを理解して判断して欲しいと、切に願います。


社会のルールを壊そう。

個人的なことをいうと、私はルールというのは壊してこそ価値があると思っているため、規制という意味でのルールが苦手です。

ただ、ここでいうルールを壊すとは、ルールをズルイ形で認識して誤魔化すことを言うのではありません。

今どう言った理由でこのルールが設定されていて、そのルールの形はどう捉えるべきなのか。

ルールを壊すとは、その意図を正しく理解して、その制限された中で、今まで誰も踏み入れていない領域に足を踏み入れ、常識を壊していくからこそ価値があると思うのです。

私が尊敬する経営者や、スポーツ選手の多くはルールというものに捉われません。

ですが、それは上記にも記したように、守るべき規範や意図といったルールを無視しているのではなく、その場にある事象・ルールをしっかりと理解した上で、新しい捉え方をしているからこそだと言えます。

ルールは正しく壊すことが大事だと思います。

普段自分の身の回りにあるルールというものを、今一度見直してみませんか。

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