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文明か野蛮か




学生時代から、慣れ親しんできたのがスペインの哲学者オルテガです。主著と言ってよい『大衆の反逆』は広く読まれていますが、いま読み直してもなおリアリティに満ち溢れているのが正味の話だと思います。

ここではあえて原則そのものから問い直す哲学という立場を一歩保留して、つまり、文明とは何かとか野蛮とは何かといった問いをいったん封印して、字義通りの理解で話を進めていこうと思います。

オルテガによれば、「文明とは、何よりもまず共存への意志」であり、対して「野蛮とは解体への傾向」であると指摘していますが、福沢諭吉の文明論とも交差する普遍的思考ではなかろうかと考えています。

具体的に言えば「人は他人を考慮しない度合に応じて未開であり、野蛮」とのことであり、思うに私たちの身近な日常生活を振り返ってみても少なくないとは思います。

そしてそこに政治学の眼差しを注ぎ込めばオルテガのいう他人とは「生きている人間」だけでなく「死者」に対しても目を向ける必要があります。つまり先人たちの失敗を繰り返さぬように努力すること、また勝ち取ってきた人類的遺産を継承し続けるということだと政治学者の中島岳志さんは言います。

今週で9月議会も閉会となります。

いくつかの成果を上げることもできたと思いますが、引き続きオルテガや中島先生の指摘を真摯に受け止めながら、前へ進めていければと思います。

未開ではなく文明として。

文明とは、何よりもまず共存への意志である。人は他人を考慮しない度合に応じて未開であり、野蛮である。野蛮とは解体への傾向である。だからあらゆる野蛮な時代は、人間が分散した時代、分散し敵対し合う小集団がうごめいた時代であった。

出典、オルテガ、桑名一博訳『大衆の反逆』白水社、2009年、146頁。


氏家法雄/独立研究者(組織神学/宗教学)。最近、地域再生の仕事にデビューしました。