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「甘えだ」「我慢しろ」という物言いには警戒したほうがいい

生きづらさやしんどさをなんとかしたいと思い声をあげたり、悪しき慣習を批判すると、それをアシストするよりも、

甘えだ

とか

みんな我慢した

という声を抑え込んでしまう現象を、昔からよくみられたようで、古代ローマの詩人ホラティウスは、『詩論』のなかで「昔はよかった」という老人について書き綴っています。

すなわち、

喧嘩腰で、文句を言ってばかりで、自分が少年の時に過ごした時代を褒め称え (laudator temporis acti se puero)、年下の人たちを叱責したり批判する人

というものです。

しかし、常に付きまとう生きづらさやしんどさというものは、その人に固有の原因であるというよりも、制度的欠落や不整合さから必然的に導かれてしまう以上、その矯正こそわたしたちの課題であると考えています。

そこで必要となってくる姿勢とは、「善人の沈黙」という諦めを柔軟に退けながら、挑戦していくことではないでしょうか。

イギリスを代表する哲学者ラッセルの言葉に耳を傾けると、

必要な観念は、公平の観念であって、自己犠牲の観念ではない。人にはみんな、この世の中で一定の場所を占める権利があるのだから、自分の当然の権利を擁護することを何か悪いことのように感じさせてはならない。

(出典)ラッセル(安藤貞雄訳)『ラッセル 教育論』岩波文庫、1990年、153頁。

「人にはみんな、この世の中で一定の場所を占める権利があるのだから」というのは当たり前だし、「自分の当然の権利を擁護することを何か悪いことのように感じさせてはならない」のも当然ですよね。

だとすれば、それは「甘え」だとか「我慢しろ」という物言いには大いに警戒すべきですよね。



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氏家法雄/独立研究者(組織神学/宗教学)。最近、地域再生の仕事にデビューしました。