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一日一頁:丸山眞男『日本の思想』岩波新書、1961年。

何度読み返しているのだろうか。

丸山の問題意識あるいは、この国で生きることの違和感は、本書が著されて以降も一向に改善されていない。

ソリャあ、そうだ。

伝統もなければ「思想の伝統化」も遂行されていないからだ。

時間がなくても1日1頁でも読みないことには進まない。

 日本の「近代」のユニークな性格を構造的にとらえる努カー思想の領域でいうと、色々な「思想」が歴史的に構造化されないようなそういう「構造」の把握ということになるがーがもっと押しすすめられないかぎり、近代化した、いや前近代だといった二者択一的規定がかわるがわる「反動」をよびおこすだけになってしまう。
 話がひろがりすぎたので、もとへもどすと、私達が思想というもののこれまでのありかた、批判様式、あるいはうけとりかたを検討して、もしそのなかに思想が蓄積され構造化されることを妨げて来た諸契機があるとするならば、そういう契機を片端から問題にしてゆくことを通して、必ずしも究極の原因まで遡らなくとも、すこしでも現在の地点から進む途がひらけるのではなかろうか。なぜなら、思想と思想との間に本当の対話なり対決が行われないような「伝続」の変革なしには、およそ思想の伝統化はのぞむべくもないからである。

丸山眞男『日本の思想』岩波新書、1961年、6頁。


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氏家法雄/独立研究者(組織神学/宗教学)。最近、地域再生の仕事にデビューしました。