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【222】忘れ得ぬ唄の話:後の時代まで残って欲しい「六月の子守唄」ウィッシュそして「外は雨」川島康子さん 2024.6.25


1 「六月の子守唄」ウィッシュ、なんと今日でちょうどリリース50周年でした!!

 六月になったらと書こうとずっと思っていたウィッシュの「六月の子守唄」についてやっと書きます。

 この曲は 伊豆丸礼子(いずまる・れいこ)、伊豆丸幸子(いずまる・さちこ)さんという姉妹フォークデュオ ウィッシュが1974年6月25日にリリースした4枚目のシングルのA面曲です。

 ということは、今日でぴったり50年目ということになるのではないですか!!
 偶然ですがびっくりしました。
 
 1974年というと、吉田拓郎、井上陽水、かぐや姫などが大ヒットを飛ばしフォークソングの全盛期になっていました。

 そんな時代の中でウィッシュは4枚のシングルを発表しており、その4番目がこの曲なのでした。

 この曲を聴いたのはNHKのFM放送「昼の歌謡曲」だったと思います。たしか、何曜日だったかはフォーク、ニューミュージックを流す日とかがあって、それを毎週エアチェックしていたような記憶があります。

 その日ウィッシュの曲は数曲流れたはずですが、中で、若い母親が、赤ちゃんに語り掛けるこの曲が心に残って忘れられないのでした。

 星がひとつ空から落ちてきた
 六月の子守唄をうたう母のもとへ
 さわるとすぐに こわれそう
 ガラスのような おまえだから
 風がわるさせぬように
 悪魔がさらって行かぬよう
 そして おまえが
 目をさましたならば
 一番はじめに 私が見えるよう

 母はこうしていつまでもいつまでも
 おまえのそばにいてあげるから
 大きくおなり 優しくおなり
 母はこうして いつまでも
 おまえのそばに いてあげよう
 私の愛を忘れずに

 星がひとつ空から落ちてきた
 六月の子守唄をうたう母のもとへ
 六月の子守唄をうたう母のもとへ

 生まれたばかりの我が子を見守るお母さんの気持ちがせつせつと伝わって胸をうたれます。
 
 私はこの歌詞を聴くと、たしか椋鳩十さんだったか、イタチに狙われたヒナを助けようと母鳥がイタチの前に出てケガをして飛べないふりをしてイタチを引き付け、その間にヒナを逃がすというお話を連想するのでした。

 私の母も子供を守るためならライオンにも立ち向かうというひとだったなあと、この曲を聴いていると思い出します。

 「六月の子守唄」はもっと後の世代まで残り続けて欲しいなとおもうのです。

2 「外は雨」 川島康子 1976.9.1

 この曲もNHKのFM放送「昼の歌謡曲」でエアチェックしたもののように思います。

 最初聴いたときから、なぜかこの曲が不思議なくらい好きになってしまって、カセットに好きな曲を集めて車で聴くときもこの曲を必ず入れていました。

 声が好き、メロディーが好き、歌詞が好きです。


 貴方の後ろ姿 見送りながら 一日中泣いていよう
 別に悲しい 訳じゃないけど 別れには似合いそう

 外は雨 傘の花 寒そうな赤電話
 走り去る車と 窓をつたう涙雨

 あんな激しい愛も今では安物の指輪のよう
 流す涙もどこか昔とぬくもりが違うのよ

 外は雨 傘の花 寒そうな赤電話
 走り去る車と 窓をつたう涙雨

 外は雨 傘の花 寒そうな赤電話
 走り去る車と 窓をつたう涙雨

 なんというのでしょう、少しハスキーで、捨て鉢なドスの聴いた歌い方はフォークというより、演歌の世界に近いようにも感じます。

 この曲を聴いていた青春時代、なんでこんないいこを捨てるんだと、自分なら絶対しあわせにしてやるのになんて感情移入したりしてましたね。

 川島康子さんは幸せな一生を送っているのでしょうか、きっとそうなのでしょうね。
 
 この曲の入ったアルバム「あなた・・・」を中古レコード屋さんで探し当てて持っています。

 「外は雨」、この曲も、後の時代にまで残ってよい曲だと思うのですが、それは私の世代の感傷に過ぎず、今は無き赤電話と共に消え去ってゆくものなのでしょうか?

 川島康子さんは「あなたのこととなると」「回想(めぐるおもい)」など好きな曲は多いです。

補足 「ある雨の日の情景」吉田拓郎

 六月、雨 という連想から吉田拓郎の雨の歌、「ある雨の日の情景」を思い出しました。

 たくろう初期の名曲ですね、作詞が最初の奥さん四角佳子さんだったことは今回初めて知りました。

 雨は好きです。夜の雨、六月の夜の雨の匂い、好きです。


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