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我慢しないのは良いことだけど、我慢しない方法がわからないについて

我慢するのを止めたら色々良いことがあるのではないかと思って、そういう資料をつくりました。でも、そう簡単にはいかないですよね。

我慢しないのは良いこと?

我慢をするとどんなことが起きるのかを図解します。

何かの理由で我慢をし始めると、途中で嫌になってきた時に、なんで自分だけ頑張っているのだろうとなる。その後、周りの人のできていないエピソードに出会ったときに、相手が変わらないから自分が大変になっていると思い始めます。一方で、自分のできてないエピソードは忘れていきます。
ここは、論理に飛躍があって、相手ができているからといって自分の我慢していることがなくなるわけではないことも多い気がします。
相手のためを思って、相手に対してできてないよ!と指摘をするのですが、自分は何度も何度もこの話を言うか言わないか四六時中考えているので、自分の中では当たり前の話になっているのですが、言われる方は初めて言われた話なので、え、なんですかその話となる。
そうすると、指摘した側は、こんな当たり前のことを言ってもわからないのか!と自分が四六時中考えているのが原因なのに、相手の理解のなさに怒って、喧嘩になります。
そして、喧嘩になるのはしんどいので、こんな喧嘩を繰り返すくらいならとなって、我慢をします。このサイクルがエンドレスで回る。

一方で、我慢をしない方を選ぶとこうなります。

我慢をしなくなると、まず、みんながそれぞれに頑張っているのだろうと言う想定に変わります。
そんな時に相手ができてないエピソードに気づいた時に、相手はもしかして我慢し過ぎているのでは?と想定するようになります。
(ここの論理の飛躍ができる人とできない人がいるのではとご指摘をいただいたので、次の項目でなぜここで、「相手が悪い」想定が復活するのかを説明します。)
さて、もし相手が我慢し過ぎているのではとなった場合には、相手に対しては我慢しすぎない方が良いのではと助言することになります。
言われた方が、「確かに!」となって仕事や何か我慢していることを止めます。そうすると、その様子を見て、我慢しない方が良いよと指摘した本人もやっぱり我慢しない方が良いんだなと、となってさらに我慢しなくなります。
と、なったら良いのですが、そうはならないのでは?と思いますよね。(ここまではなんか自己啓発とかで出てくる話だなと思われたかもしれません。私もそう思います。怪しい話ですね。)
どうして、こううまくはいかないのかを説明します。

我慢しない方法がわからない

そもそも我慢をしない、と言われても、それができないから困っているんだよ、となると思います。
そこで、そもそもなんで人が我慢をするのかを説明します。

できる人が多い事前の予想

この図は、多くの人の脳内で思い描かれているだろう世界です。できる人がたくさんいて、ここで「できない」と言うと少数派になっていじめられてしまいそうです。
あなたはできないかもしれないけど、できる人はこんなにたくさんいるんだよ、と言われたらへこみます。この世界はめちゃくちゃ怖い。
当然、我慢もするでしょう。できないのは私だけなのだから。
そして、当然できない人を非難もするでしょう。その人は数少ない落ちこぼれなのだから。救済する必要があるとすら言えるかも。

できない人が100%の予想

でも、もしかしたらできない人が100%かもしれません。
え、そんなことありますか、となるかもしれないですが、私の観測範囲でできている自信に満ち溢れている人はあんまりいない気がする。どうも、みんなできてないけど、なんとかやっている人しかいないのでは。
100%は極端かもしれないけど、もし、自分が思っているよりもできている人が少なそうだとしても、どうして「私できません!」と楽しそうに会話している人を見かけないのでしょうか。
もし、できない人だらけなら、できているエピソードがあまりにも多すぎるのでは。

できている人が多いと想定して話すしかないからそうなる

もし、初めて話す人と無難に会話しようと思ったら「できている人が多くて、できてないと言われると傷つくだろう」と想定して話し始めると思います。いきなり初めての人に、「あなたもできないですよねー!」と言われたら、ムッとするのでは。
①の人は、相手を傷つけないように、「できる人世界観」で喋ります。
そうすると②の人は、「あ、この人は「できる人世界観」で話しているな」と思って、それに合わせて喋ります。
実際には、2人とも、「別にできなくても良いや」と思っていたとしても、日常会話の中に、「できないのが良い」「我慢しなくて良い」的なものはあんまり出てきません。
褒めよう!「さしすせそ」で話そう!「さすがですね!」と言ってしまう。

我慢しない方法

我慢しない方法は、多分、みんなできてないと想定して観察することです。

あれ、この人もあの人も実はそんなにできてないな、という気づきがあれば、まあ我慢し過ぎても良くないな、となるのではないでしょうか。

我慢しないと良いことはあるのか

そして、我慢しないと良いことがあるか、については、そんなにないかもしれません。
良くある話だと我慢しなくなるとストレスがなくなって人生が好転!みたいな感じですが、多分、ちょっとイライラしくなる、くらいのことで、それほど、大逆転はありません。
逆に、普段悩んでいた時間が空いてしまい、退屈になるのが新しい懸念かもしれません。

今日は以上です。


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