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お願いする仕事の進め方:子供に早く家を出てもらいたいが理由を説明できない

多くの生活の場面で人は、何かをお願いする必要があります。
家庭でも仕事でも、これをやって欲しいとお伝えする時に、大体そうしたくないと思われて物事は止まります。

例えば、私は今朝「なぜ保育園に遅刻せずに着く必要があるのか?」と聞かれました。
確かに、どうしてなのかわかりません。子供は玄関にくるまでに相当泣いたり喚いたりで時間を使い果たしている状況です。
ここで良い答えを出さないとさらに子供が理由をつけて遅れてしまうかもしれません。ど、どうする…。
焦る私はとっさに「別に理由はないよ。ただ遅れると周りの人がいないのはなぜだろう?と思うからだけで、他に間に合うことに理由はない。大人になると、信用を失うなどがあるかもしれないけど子供の場合には特に遅れて悪い理由は何もない。小学校になったら先生に怒られる可能性はあるかも。でもまあ、理由はどっちにしろないよね。」でした。
言いながら、何も考えてない何も説明してない説得力ゼロの主張だなと自分でも思いました。
だけど意外に子供は、そうかー、という感じでそのまま家を出てくれました。
あれ、となりました。

そこで、思い出した話があります。
流し読みの本なのですが、『「わかりあえない」を越える――目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』にこんなことが書いてありました。

リクエストVS強要
「お願い」と「強要」の2つはどう違うのか?口調の丁寧さ/優しさや内容の明確さだけでは区別がつかない。例えば、同居人に「脱いだ服はハンガーにかけておいてほしい」というとしたら、それはリクエストか強要か、どちらなのだろうか?決め手になるのは、相手がこちらのリクエストに応じてくれない時に、その人とどう接するかということだ。その接し方次第で、こちらの示したものは、リクエストにも強要にもなる。人は押し付けられていると感じること、強要されていることはつい忘れがちにもなる。求められる結果が重要なほど、強要しないことが大切だ。相手に「お願い」であることを信用してもらうためには、相手が「そのリクエストに対して異議を唱えたとしても理解してもらえる」と確信する必要がある。相手が安心して異議を唱えられるように、その反対意見に共感する方法も教える必要がある。それができた時、誰もが尊重できる合意に達することができるはずだ。こちらが頼んだことに対して、相手が罪悪感・恥の意識・懲罰への恐れなどの理由で取り組む場合、頼んだこちら側にツケが回ってくる。望ましいのは、相手が自身の神聖なエネルギーと繋がっている時にだけ、こちらのリクエストに応じて行動してくれるようになることだ。人と人が与え合う時に感じる喜びとなって現れてくる神聖なエネルギーは、大人同様、子供も持っている。

(『「わかりあえない」を越える――目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』第1部の一部)

「リクエストに異議を唱えたとしても理解してもらえる」これは、普段、仕事でお願いをする時に、自分がそんな姿勢で依頼をしているとはとても思えない。断られたら困る、としか思わないのでは。
でも、ここに書いてあることは「やってもらえるとそもそも思わずに依頼する」ということだ。すごい、そんなことが可能なのか。

会社の仕事のよくある光景

例えば、何かの申請のルールみたいなものがあるとします。
でも、それってやる必要あるんですか?みたいなことは必ずある。

その時に担当する人の気持ちとしてはやる理由をしっかり説明する、または権限を行使するの2択だと思います。
わかりやすい資料をいらすとやさんの画像を無料の使用範囲内であることに留意しながら作り出したり、怖めな上司役の人を召喚して恐怖による支配を図ってみたりします。
でも、これをやると必ず反発が出ます。
わかりやすい資料があったとしても、この結論に対する反論が許されていない場合は、「私はこういう事務作業は苦手なので」という究極の逃げ道があります。

お願いする仕事は、きっとここで力強く「そうですね!この仕事は誰も得意な人がいない無意味な仕事です。」と全肯定することで進むのではないでしょうか。
確かに振り返ってみると、よくこういう言い方で相手の主張を全肯定していたこともあるかもしれません。(それでうまくいっていたのかは思い出せませんが)

ただ全肯定するだけでなく、それとなく世間のルールに従うことのメリット/デメリットがあるらしいけど、それを選択しないのも完全に自由であると付け加えるくらいが良いのかもしれません。

今朝の出来事からの仕事に関係あるようなないような気づきでした。


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