空想シーソー

ギッコン
ばったん

シーソーがいちばん安定しているのは
ふたりがつま先立ちで並んだときじゃなくて
ひとりが空に足を広げもうひとりを想うとき
ひとりが地に足をつけもうひとりを想うとき

ぼくは空から
キミが他人に見せることができる景色があるんだと賛辞して
ぼくは地から
キミが綺麗な世界に「とんでよかった」と思うことを願おう

ぼくたちは人間なのですから
飛行機みたいに絶対にとばないといけないわけじゃないから
シーソーであそびつかれたら
互いに地に足をつけてまたここで
またここでおしゃべりしよう

「足掻いて藻掻いて挑んでみんなに凄いものを届けたいんです」
キミは地面を蹴る
「時々は地に足つけて自分のために優しくあってほしいんです」
ぼくは地面を蹴る

「それでも足掻いて藻掻いて挑んでみんなに凄いものを届けたいんです」
キミは地面を蹴る
「それでも時々は地に足つけて自分のために優しくあってほしいんです」
ぼくは地面を蹴る

ギッコン
ばったん
それは相容れない矛盾じゃなくて

ぎっこん
バッタン
どこか心地よい矛盾
並び立つことのないぼくらの歌

互いに地に足つけ空を見上げ
雲間に隠れて見えないあなたに
「キミは大丈夫」と空想しながら

キミは「無理しすぎないでくださいね」と地面を蹴る
ぼくは「キミにばかりぼくの気持ちを代弁させるのはズルいよ」と
また地面を蹴ろう