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自分だけの道を探して

野村 愛
株式会社シンプロジェン バイオプロセス研究開発部

ポスドク時代

 私は博士課程の頃は遺伝子組換えイネを利用したイネ種子のタンパク質蓄積機構の解明と、その蓄積機構を利用して抗体やワクチンタンパク質などの有用物質をイネ種子で生産させる、といった趣旨の研究を主に行っておりました。ですが、ご縁あって、その後免疫学のラボで4年と2か月間ポスドクとして在籍するという少し変わった経験をしました。ポスドク時代も遺伝子組換えイネを作出・解析する遺伝子工学的な研究がメインではありましたが、それに加えてマウスの免疫実験、大腸菌組換えタンパク質の精製方法、レンチウイルスを用いた遺伝子組み換えヒト細胞作製と糖タンパク質を精製する系の立ち上げ、等の学生時代とは違う分野で新しい知識や手技を身に付けることができました。分野を変えて新しい環境に身を置いたことで、自分のキャリアの可能性が広がったと感じています

サイエンスコミュニケーションとの出会い

 私はポスドク時代にサイエンスコミュニケーションに興味を持ち、仕事とは別で勉強をしていました。私はポスドク時代に大学見学に来た高校生にアンケートを取っていました。まず遺伝子組換え作物がどのように利用されているかを話す前にこう聞きます。「遺伝子組換え作物に良い印象を持っていますか?悪い印象を持っていますか?」そうすると、ほとんどの高校生たちは「悪い印象を持っている」と答えます。理由を聞くと、「スーパーで売っている食品のラベルに ”遺伝子組換えでない” という表示を見るから、身体に悪いものだと思っていた」というのが大半ですが、ネット等の情報媒体で「身体に悪いと書いてあった」と答える子が一定数います。また、「遺伝子組換え作物を使った食品を自分は食べたことがあると思いますか?」という質問には、「食べたことがない」と答える高校生が半数以上です。実際には、以前遺伝子組換え作物を摂取し続けた実験動物で腫瘍ができた、という論文は後に実験系に問題があったとされ取り下げになっていますし、醤油や食用油等の加工品、また食肉にされる家畜の餌に遺伝子組換え作物は使われています。

 このように、私たちに身近な科学技術について、ほとんどの人たちが間違った知識を持っていることは問題なのではないか、と思うようになり、私は北海道大学の科学技術コミュニケーター養成プログラム(CoSTEP)を1年間受講しました。CoSTEPではサイエンスコミュニケーションとは何か、という概念から、どのような方法で、誰に向けてコミュニケーションをするかという実践までを学びました。CoSTEPの受講生は横の繋がりだけでなく縦(受講年度の違う人達)のネットワークもあるので、現在も修了した方々と一緒にイベントの企画に参加する事があります。サイエンスコミュニケーションと聞くとまず思い浮かぶのは、高校生を相手にしたラボ見学や体験授業、一般市民への公開講座だと思いますが、昨今のコロナ禍において目にする情報が玉石混淆である状況で、サイエンスコミュニケーションをどのように行うべきか考えるようになった人も少なくないはずです。

 また、専門家同士でのサイエンスコミュニケーションも非常に大切なことで、これは仕事でも同様です。同じ職場にいる人たちは皆同じ専門家のように思えますが、実はバッググラウンドの異なる集団でもあります。仕事をする上でもサイエンスコミュニケーションは重要だなと、最近ますます実感しています。

今の職業に就くと決めた経緯

 私が今の職に就こうと決めた理由は大きく2つありました。

 1つ目の理由は、私は学生の時からずっとライフサイエンスで社会還元 (社会実装) できる”モノ作り”に関われる仕事がしたいと思っていました。アカデミアでも社会還元できる素晴らしい研究は沢山ありますが、やはりモノ作りに関わる仕事をするなら、民間企業の研究職を探すほうが自分には合っているのではないかと思うようになりました。

 もう1つの理由は、このコロナ禍で大切な人に会いに行くことが容易に出来なくなった状況で、自分にとって大切なことは何だろうと考えたとき、やはり当時お付き合いしていた彼(現在の夫)と一緒に生活したいと思うようになったことです。そうすると自然と『結婚』という言葉が浮かんでくる訳ですが、私がこれまで見てきたアカデミアで立派に働く女性のように、家事・育児・仕事の全てを両立できる自信が私にはありませんでした。また、別の話ですが大学のラボで働くなら結婚・出産などのライフイベントを経ても、それ以前と同じパフォーマンスで働けなければダメ、という事実を突きつけられ、職を辞してしまった同僚がいて、それを見た時に疑問を感じていました

 以上のような理由から、私は2021年に入って本格的に民間企業の研究職のみに絞って職探しを始めました。私はもともと農学出身で、免疫学に関してはそこまで深い知識がないので、書類審査は通過しても面接をしてみると相手の期待と齟齬があって不採用、ということが続きました。そんな時にお声がけ頂いたのが、現在の会社でした。ヒトや動物の培養細胞を用いた遺伝子治療用のウイルスベクター作製の実験系を立ち上げたいので、もしよければ一緒に働きませんか?ということでした。ポスドク時代に培った経験が採用担当者の目に留まったようでした。思い返してみれば、そもそも私が研究の道に進んだのは、遺伝子組換え技術やその技術の有用性に魅力を感じたからでした。原点回帰という意味でも、この会社で仕事ができたら面白いだろうと思い、転職を決めました。

 現在の会社には2021年6月に入社しました。現在は遺伝子治療用のウイルスベクターの研究開発を行っています。まだ新しく小さな会社ではありますが、独自の技術特許を会社で保有しており、より安全で高い品質の治療用ウイルスベクターの生産プロセスの技術構築を目指して研究を進めています。社員数は多くはありませんが、問題解決のために小さなことでも皆が情報共有をする必要性を認識しており、仕事がとてもやりやすいです。また勤務時間も、大学にいたときに比べると皆比較的早い時間にパッと帰宅し、あまりだらだらと仕事をする人がいない印象です。アカデミアから企業の研究職に移ることに多少の不安を感じていましたが、実際働いてみると不便だったり制限をかけられることもほとんどなく、以前と同じように研究活動が出来ています。会社内で様々な専門性を持つ方々と一緒に議論を重ねながら目標達成に向けて日々業務をこなす中で、これが顧客のニーズに直結するのだということを感じられるのも非常にやりがいを感じます。自分の仕事もまだ始まったばかりでどうなるか分からないのが正直なところですが、現在の職場なら皆で協力して良い結果が出せるだろうと思っています。

 学生の頃は先人たちのようにアカデミアでのレースに生き残れないと生活していけない、と勝手に思い込んでいましたが、自分の能力や経験を活かせる場は自分が思っている以上に様々なところにあるのだと知りました。この年になってやっと、キャリア形成とは成功した誰かの真似をすることではなく、自分だけの道を進んでいくことだ、と自信を持てるようになった気がします。私のようなあまり目立った業績のない人間でも役に立てる場があるということが、同世代や若手の皆様にとっての希望となれば幸いです。


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