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URA(University Research Administrator)という仕事を通じて大学を活性化し社会を活性化させる

米澤 恵一朗
国立大学法人九州工業大オープンイノベーション推進機構産学官連携本部
准教授(専門職):研究戦略URA

執筆者のプロフィール
薩摩隼人(鹿児島県出身)
1987年(昭和62年生まれ)
千葉大学で有機半導体の物性物理の研究で博士(理学)を取得。学術振興会特別研究員(学振)DC2の切り替えで学振PDとして約1年間分子科学研究所でポスドクとして勤務。その後、九州工業大学にURAとして着任し2021年時点で5年目。URAとして着任2年目に、助教(専門職)となり、4年目で准教授(専門職)に昇任。プログラムマネジメント型のURAとして基盤研究から社会実装まで一貫した支援を行うことが特徴。

URA(University Research Administrator)とは?

URAという職種をご存じでない方が多いと思いますので、まずはURAについて簡単に説明します。URAとは私自身の解釈では、大学の研究を加速度的に推進させる戦略ブレインであり、大学が持つ研究シーズを駆使して社会課題の解決を実践するといったことも可能な職種です。RA協議会のホームページではURAは次のように説明されています。「URAとは、大学などの研究組織において研究者および事務職員とともに、研究資源の導入促進、研究活動の企画・マネジメント、研究成果の活用促進を行って、研究者の研究活動の活性化や研究開発マネジメントの強化を支える業務に従事する人材のことです。サーバントリーダーとしての役割を担った、大学等における第三の教職員とも呼ばれている新しい仕事です。」とにかく、URAは大学の研究を支える専門人材であると言えると思います。
RA協議会ホームページ

いつ頃今のご職業につきたいと思いましたか?

「大学は20年後の社会を支える技術と人材を創出する場所である。そんな大学を元気にすれば、社会を元気にできる」という研究室の指導教員の口癖、これが私のURAとしての活動のすべてのモチベーションになっています。もともとサーバントリーダー(奉仕・支援型のリーダー)として周囲を活性化させることが、人よりも得意なのかなという漠然とした感覚があり、それを武器にした仕事をしたいとは、大学に入った頃から考えていました。この強みを使って、大学の研究活性化に貢献できる仕事をしたいと決めたのは修士2年の頃だったように思います。指導教員の口癖がすごく私の心に響いたからです。博士課程に進学した理由も、大学の活性化に貢献するのであれば、まずは学術研究界の苦労や喜びを自分自身も体験しておかなければというものでした。

ですが、実はURAになりたいと思ったのは、URAに転身するほんの2~3か月前のことです。というのも、大学の活性化に貢献する仕事をしたいと思いながら、URAという仕事を私自身が知らなかったのです。学振PDの任期も残り数か月となり、転職活動を開始しだした、ある日の研究所の飲み会で、偶然出会った研究者からURAという仕事を教えてもらっていなければ、今頃別の仕事をしていたかもしれません。

現職に至るまでの経緯をお聞かせください

鹿児島出身で高校まで鹿児島で過ごしたのち、一浪で千葉大学に入学しました。大学では工学部の電子機械工学科の電気電子コースで4年間学びました。当時の電気電子工学科では、4年生から研究室に配属されるのですが、成績が良くなかったので、第一希望の研究室への配属希望が叶わず、余っている選択肢の中から有機半導体の物性物理の研究している研究室を選びました。電気電子工学について学んでいたのに物性物理の研究室を選ぶことからも、私自身があまり学問に興味、こだわりがなかったことにお気づきいただけるかもしれません。

まさかこの適当な研究室選択が、私の天職に出会うことに繋がる重要なターニングポイントとなることは、その当時の私は知るよしもなかったのですが。この研究室には、4年生で配属されてから学位取得までの6年間お世話になることになります。

博士課程まで進みましたが、研究者としてのキャリアは元々考えていませんでした。だからこそ研究には本気で打ち込みました。そのおかげか、研究室での6年間は、本当に色々な経験をさせていただきました。国内外の研究者との共同研究も多く経験させていただき、シンガポール国立大学、中国蘇州大学、ドイツのフンボルト大学、ビュルツブルク大学、イエナ大学を訪問し共同研究を実施しました。また、イスラエルのワイツマン研究所やドイツのチュービンゲン大学とも共同研究をしました。

論文も筆頭著者として2報、共同著者として15報(2021年時点)発表させていただきました。私自身、研究に真摯に取り組んだという自負がありますが、それ以上に指導教員や周囲の環境に恵まれたと感謝しています。

就職に成功した秘訣はなんでしょうか?

①URAという職種に就職できた理由、そして自分で言うのもあれですが、②URAという職種で活躍できている理由について自分の考えを述べたいと思います。

①のURAという職種に就職できた理由については、単純にその当時URAの募集が多かったこと、私のように学位取得直後の20代後半の人間がURAに応募するケースが少なかったという業界的な理由が強かったと思います。URAの配置が進んだのは、平成23年(2011年)頃からで、業種として確立してから、まだ10年程度の若い職種です。なので、私がURAにキャリアシフトした5年前は今とは比べ物にならないほど認知度も低く、URAの募集に対して手を挙げる人の数が少なかったことが、転職がうまくいった何よりの理由であると思います。つまりURAに転身できた理由は、私自身の能力云々というより、単にタイミングが良かったからです。

②自分自身で思うURAという職種で活躍できている理由については、私自身のモチベーションと強みを掛け合わせて勝負できているからだと思います。
私の仕事における信念は、「大学の活性化は社会の活性化に必ず貢献する。大学の活性化を実現するのはURAである。」です。なので、少々面倒くさい仕事が回ってきても、大学の活性化に資すると思えれば、全く苦になりません。

ここまで強い信念を持てている理由は、私自身が大学、特に研究室生活で私自身の強みに気付き、納得する、そんな学びを得られ、その学びのおかげで今があると心から感謝できているからだと思います。私のような学びをすべての大学生が得られるような、そんな活発な大学を作りたいと心から思っています。

一方、技術と人材の両方の育成、創出を目的とする大学研究の活性化には、一般的なトップダウン型のリーダシップではなく、サーバントリーダーの力が必要不可欠と言われています。私自身の強みである、サーバントリーダーとしての力がまさに必要なフィールドなのです。

私は、サーバントリーダーシップの能力が長けているということに強い自負を持っています。先に述べたように研究者時代には、国内外の研究者で組織したチームでの共同研究を多く経験させていただきました。この研究チームは、計測装置開発、実験、シミュレーション、理論構築をそれぞれ専門とする研究者で構築されており、専門領域だけでなく、文化の異なる多様な研究者で組織されたチームでした。こんなチームの中で、研究者としての能力は高くなかった私が、活性化人材として機能し、結果として多くの成果を創出できたことが私の自信につながっています

URAという職種にキャリアシフトしそれなりに活躍できている理由は、まさにタイミング、自分のモチベーション、そして自分自身の強み、このすべてが幸運にも組み合わさった仕事に出会えたからだと思います。

他の進路と比べて迷ったりしましたか?

大学研究の活性化に貢献できる仕事を自分の仕事としたいという思いには強いものがありましたので、そういう意味では他の進路への迷いはありませんでした。

ただ、研究者のうちにやっておきたかったが、叶わなかったことはあります。実は、若いうちにもう少し異文化を学ぶために2~3年海外で働きたいと考えていました。ですので、URAに転身する前に、数年ポスドクとして海外で働くことを考えていました。

私の理想のキャリアプランは、30歳過ぎまで海外で研究者として働き、そのあとURAのような大学研究の活性化に貢献する仕事にシフトすることでした。なので、実は九州工業大学のURAに着任する裏で、ドイツの研究員のポスト(日本の学術振興会特別研究員のようなポスト)にも応募していました。

残念ながら、ドイツの研究員ポストが不採択になってしまったため、当時描いたキャリアプラン通りとはなっていませんが、そのおかげで今の仕事ができているので、ドイツの研究員ポストは不採択になってよかったなと今となっては思っています。

今の生活に満足しておられますか?

常に、さらに良くしたいとはもちろん考えていますが、今の生活には満足しすぎています。自分が思い描いていた30代前半の理想よりもはるかに高いレベルの活動ができています。今の生活を送れていることに感謝しつつ、さらなる高みを目指していければと思っています。

生きがいや夢をお聞かせください

大学で推進する学術研究は、自由な発想と知的好奇心・探究心に根ざした知的創造活動です。この知的創造活動こそが、自分を知り、自分がやりたいことを自分らしい方法で実現する、そんな学びを得ることの近道だと考えています。

大学で質の高い学術研究を実施することができれば、学生も研究室等の活動を通じて、質の高い知的創造活動を経験することができます。そんな学生は、きっと社会に出た後も、自分らしい活躍ができる、そんな人材になると信じています。そして、そんな人材を創出できる大学を作っていきたいと思います。その為に、URAとして大学で質の高い学術研究を推進する環境を、そして生き生きと学術研究に取り組む研究者を増やしていきたいと思っています。

最後に若者へのメッセージをお願いします

私自身がまだまだ若手なので偉そうなことはいえませんが、人にやらされたからでなく、自分がやりたいと思えることが何かを真剣に考え抜いて欲しいです。そして、自分を客観的にとことん分析して、自分らしい手段で、自分の夢を実現する為に試行錯誤し続けることが何よりも重要だと思っています。

“自分らしく”と色々な人が簡単に言いますが、自分らしさを本当に理解している人はごくわずかに感じます。その為にも、自分が人よりも秀でていると思うことがあれば、ぜひそれらを得意とする人が集まった集団に、早い段階で飛びこむことが重要だと思います。自分の勘違いに気づき落ち込むこともありますが、それ以上に自分の本当の強みに気づくことができます

また、文化の違う世界・集団との生活も非常に有益だと思います。文化を背景に成立していることも多い、何々するのが普通という感覚が壊れる経験は、自分自身の可能性を柔軟に考えるうえでとても重要だと思います。私自身、文化も専門も違う海外の研究者と切磋琢磨した経験が、自分自身の型を一旦壊し、改めて自分自身を構築する、いいきっかけになりました。

皆さんもぜひ自分のやりたいことを自分の強みを生かして自分らしく行えるように試行錯誤してもらえたらと思います。その為に、海外で研究(知的創造活動)を行うことは、領域のトップレベルの人材と切磋琢磨できる、異文化の中で自分自身の価値観を再構築するという点から、非常にいい機会だと思います

本文が、少しでも気付きを得られるようなきっかけになりましたら幸いです。


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