隠してたイメージ

歯医者の麻酔ができない。正確にはしてくれない。血圧が高くなり、上が200を超えるため。

血圧計を手首に巻かれると、途端に苦しくなる。心拍が上がり、胸がキューっとなる。
やばい。これがその時の気持ち。何がやばいのか、その時はわからない。

でも、後になって思い起こすと、先生に麻酔をしてもらえなくなることがやばい。だから血圧が上がったらダメ。

それと、先生に嫌な顔をされる、飽きられる、見捨てられる、という幻想によって支配されている。

以前に麻酔ができた時は、麻酔をできたことが安堵感につながり、血圧も下降していった。

そう考えると、麻酔が目的ではなく、麻酔を打つためにいかにスムーズに先生に認められてそこを乗り越えるか、これが重要なファクターになっている。

カウンセラーの先生は、これはフォービアだという。扁桃体が異常に反応するようになっているので、それを断ち切る練習が必要だという。
以下がフォービアのワーク。

その恐怖体験の記憶を変化させ、新しい反応をインプットすることで、恐怖症の症状を
解消する方法
① 対象とするフォビア(恐怖症)が形成された出来事を思い出すことで、どのような
感じがするか言語化する。今回メールで送って来られたような内容を文章で書いてみる
② 自分にとても安全で居心地のよい状態(安全な場所)を思い出して言語化する。
その際、自分がいつでも思い出せるように安全な場所の象徴となるような短い言葉を決
める(アンカリング)。
たとえば、奏史君なら「電車」とかですよね。彼は自然と自分でイメージしやすい短い
ことばを決めていました。大谷さんも「ワイン」とか「ヨガ」とかでもいいですし、も
っと楽しいワクワクして楽しいなぁとか安全だなとか思えるものを決めてください。そ
して、それが如何に自分にとって安全で気持ちが良いかをまとめて文章にする。
③ 映画館に座っている状態をイメージし、目の前のスクリーンに安全で居心地のよい
状態(安全な場所)や、過去の楽しかった出来事を白黒で思い出し、映し出す。
④ スクリーンに映し出された映画を見ている自分をそこに置いたまま、そこからから
抜け出し、その「映画を見ている自分」の姿を後ろから見るポジションに立つ。
⑤ 今度は、スクリーンにフォビア(恐怖症)の体験を前後を含めて、白黒で映し出す
(歯医者での血圧測定の場面)。
⑥ 白黒の映像を、最後のシーンから5秒くらいの高速で、逆回しで映し出す。
⑦ 映像の最後のシーンをカラーにして、一瞬にしてもう一度逆回しにする。
⑧ 次に、歯医者に行って同じような恐怖体験を経験した際に、どのような反応になる
かイメージしてみる。

このワークのポイントは、映像を逆回しにすることによって恐怖の記憶を壊している点
です
この逆回しを何回かやった後、安全な場所のイメージをしてリラックスする。

これを実践すると、また違った事実に気づく。
やはり、自分は麻酔が怖い訳ではない。以前のEMDRでそれは克服している。
一番、嫌な場面は血圧計を手首に巻いて、スタートボタンを押されると、キューっと締まっていくところ。ここで、ドキドキが最大になる。そこからは、ドキドキよ治れ、治れ、収まれ、と心の中で念仏のように唱えている。なぜか?先生のガッカリした言葉、自分を見捨てるような言葉、言動、そして、自分で自分を貶める言動、それらが混じったイメージで心がダメージを受ける。それが嫌。

ところで、フォービアのワークの中にある安全安心を保つイメージで、自分としては一つのイメージを想像していた。それは、大きな窓があるリビングルームで、窓の向こうには明石の海が間近に見え、部屋にはグリーンがいっぱい置いてある。そんなリビングで海風が心地よく部屋をすり抜ける中、ゆったりと風を感じながら瞑想している自分。

ただ、それは今現在、購入しようと思っている家と近いイメージで、購入できなければそのイメージが崩れそうな感覚がある。不安定。

そこで、本当に安心安全な感覚を抱けるのは何なのか、考えた。心の奥底にしまってあること。それは、自分でも気づきながらも認めたくはない事実。。。
オカン。母親に包まれているイメージが最も落ち着く。
いつの間にママと呼ばなくなったのだろう。いつの間に恥ずかしいと思うよになったのだろう。
いまだに恥ずかしいという気持ちがあり、これを書くにあったてもところどころ躊躇する。誰に?自分に?
イメージとして最も落ち着くのは、自分が赤ちゃんのように丸まってママの膝下、もしくは近くにいるとき。丸まって、というのがポイントの一つで、もう一つは近くにママの存在を感じること。

このイメージを自己開示するには大きな勇気が必要。マザコンのレッテルを貼られる。誰に?自分の家族。そうか、自分の家族以外には開示できるかもしれない。開示する必要はないけど。自分への開示が必要で、気づいたのは良いが、この躊躇する気持ち、モヤっとする気分、誰かに何か突っ込まれるのではないかという恐れ、これを払拭できた時初めて自分に対して開示できたというのであろう。
今はまだ、何かと理由をつけて安心イメージに登場させているに過ぎない。

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