届け!就活生に(#2) - 無茶ぶられこそが成長の糧だったコンサル時代。
(記事をお引越しして再掲しています-2021/3/7)
『#コーチングを学生に』という活動を、2021年2月から本格的にスタートし、学生10人にコーチングセッションを体験してもらい、ますます『自己分析』に、コーチングというサービスが有用だと感じています。
これから新しく出会う学生のみんなに、「新卒入社した会社はどうでしたか?」と質問されたときに、きちんと正しい記憶で話せるように、noteで綴っておこうと思います。
(↓↓↓第一弾:就職活動編はこちら↓↓↓)
入社前から落ちこぼれ?
2008年3月に就活を終えて、4回生もゼミの単位を取るだけという状況で、週1回しか大学に行く必要がなかった。マイペースに、中学バスケ部コーチとアルバイト(金属パイプ加工工場と居酒屋)だけに明け暮れた1年だったかというと決してそうではなかった。
内定者懇親会が、(何月かまったく覚えていないけれど)東京で開催され、「就活中はまったく大阪ー東京間の交通費でなかったけど、内定者になったらちゃんと出してもらえるんだな」と思いつつ、内定者という本当に仲間になるかわからない人間とはなかなか打ち解ける気もなく(笑)、まだまだ社会人になるという実感なくただただ参加。
そこで出されたのは3つの課題。TOEIC600点、簿記2級、基本情報技術者試験合格。
残念ながら、中学受験以外まともに勉強をしていなかった自分は、上記課題の参考書を買ったものの、どうやって勉強したらいいかも全くわからずに、とりあえず試験だけは申し込もうと思い立ったが、基本情報技術者試験だけは申し込んだって無駄だと悟った。
簿記3級は元々持っていたから、簿記2級はスムーズにパスすることができたけれど、TOEICは500点いかなかったくらいかなぁ。とりあえず、なんだか入社する前から落ちこぼれコースなのか!?と、ちょっとだけ思ってた。(焦りはなかった)
最低学歴かも ⇒ 気楽にスタート
2009年3月に、初めてのひとり暮らしのため、東京へ引っ越しをして、4月1日の入社式を迎えることに。びっくりしたのは3つ。
一つ目は、同期が200人以上いたこと。翌年がリーマンショックの影響もあり、30余名だった新卒入社のことを考えると、かなり多い。(当然、全員の名前と顔なんて一致しない)
二つ目は、新しい社長になっていたこと。「私も新人社長です」みたいなことを言っていた気もする。見た目も若かったような気がする。(2020年に社長は交代しているので、その時の方ではなくなっている)
いまも昔も、あまり学歴の高い・低いに関心はないんだけれど、思った以上に高学歴な人たちばかりだった(これが三つ目)。そして、内定者の段階から交流を持っていた人たちもいて、そういう意味でも何かひとつ枠組みからひとつ外れている気もした。今思えば、スタートラインが少し外れたところから、いや下の方からという感じがして、気が楽になれたかもしれない。
そして入社式終わりで、なんかわからないけどついていった飲み会で、たまたま隣になったやつとめちゃくちゃ仲良くなって、気づけば合鍵まで渡してて、その1年後くらいに鍵をなくしたとき、その合鍵が役に立ったのはいい思い出(笑)
社会人としての自覚がない研修期間
たぶん長い方だと思うけど、約半年間の研修があった。正直何をしたのかまったく覚えていない。基本的にメモをこまめにとったりもしないし、いらない書類はすぐに捨てちゃう方だから、記録にも記憶にも残っていない(笑)
ただ、基礎的な研修と専門的な研修、プログラミング研修、グローバル研修っていうくくりがあったような気がする。基礎的な研修のあとに、配属部署の決定があって、そのときに確か希望を出したはずなんだけれど、ぼくは「どこでもいいです」って言った気がしていて、SCMセクター配属になった。
中には、希望通りいかない人もいて、「どんな適性を見られているのかなぁ」「何か評価がもう始まっているのかなぁ」なんて思ったりもした。とにもかくにも、配属先が決まっても研修の日々は続き、その後はSAPというシステムを軸に、業務の流れやシステムの仕組み、プログラミングを学んでいった。
ちなみに、プログラミングなんてそれまでほぼほぼ触ったことがなかったが、まったく苦手意識がなく、むしろ得意なくらいで、よく研修中に悪ふざけをしていたような気がする。(めちゃくちゃ派手な色で画面開発をしたり、共有されていた他の同期のプログラムを改ざんして変なメッセージ出したりw)
そして、マレーシアへのグローバル研修があったりして、「英語できねーよ」って思ってるのに、グループリーダーに任命され、そのグループはほとんどしゃべったこともない日本メンバーと韓国オフィスの同期といっしょとなり、研修期間で最も神経がすり減った1週間だったように思う。
そして、マレーシアのタクシーでぼったくられたのも、いい経験になったw
変なキャリアの始まり方
たしか、グローバル研修に行く前に、アサインされるプロジェクトの発表があった気がする。SCMセクターというのは、ざっくりいうと企業さんのモノづくり系案件を抱えているところ。
(当時)たいていのプロジェクトは、クライアント企業先にプロジェクトルームが用意されて、コンサルであるぼくたちもそこに出社するというスタイルだった。なので、当然自分もどこかのプロジェクトにアサインされて、会社ではない違う場所に行くものだと思っていた。
けれど、、、まさか研修していたビルの上の階に、移るだけだとは!
ぼくがアサインされたのは、(当時)AMOという社内の別事業部だった。そして、翌年にはアウトソーシング事業部という名称に変わったっけな?とにもかくにも、200名近くの同期のほとんどは社外に出ていったにもかかわらず、ぼくを含めて5人は、その社内の別事業部へのアサインだった。
あとから聞くと、このアサインはとても異例なことで、ぼくたちの前年度から試験試行中だったよう。風の噂で聞いたのは、優秀な人がアサインされたとかないとか。。。どこに真相があるのかはぼくはわからないけれど、それを聞いたときは、素直に嬉しかった。
とはいうものの、そんな情報はまだ知る由もなく、ここでもまた少し外れたところからキャリアスタートとなった。(つくづく、人とは少し違うことをやる運命にあるんだなと、いま振り返るとすごく感じる)
https://www.abeam.com/jp/ja/service_line/outsourcing
研修で学んだことは全く使わない
めっちゃざっくり言うと、初アサインされた仕事は、『企業のITシステム部門の外注さん』だった。たくさんあるクライアント企業のシステム関連の困りごとを、スピード感持って対処するのがもっぱらの仕事で、何か間違いがあったら、即通常業務に影響が出るという、いま改めて考えると緊張感の高い仕事だった。(当時は、まったく緊張感がない)
先に白状すると、この仕事に2年ちょい携わって、クライアント企業さんに謝罪しにいったことがある。処理を誤って、お客様先の複合機に、1,000枚も印刷してしまった。幸いなことに、白紙を出しただけだったし、業務に大きな支障をきたしたこともなかったので、大事にはならなかったけれど、コンサル時代の最大のミスだった。
ITシステム部門の外注なんだから、研修で学んだSAPシステムを活用している企業さんの担当になるかと思いきや、まーったく違うものだった。SAPも使っていなければ、研修で学んだプログラミング言語すら使えないもので、かなりの無茶振りだったような気もする。
ただ、最初の仕事で、VB.NETという言語に触れることができたことで、プログラミング言語の共通点を知れたこと、VBという世界に触れることができたので、プログラミングに対する抵抗感はまったくなくなった。
自分に合った環境で、強みがより鍛えられた
毎日、毎週、小さなプロジェクトを繰り返しているような感じで、短ければ1時間で終わるような仕事もあった。すでに本番稼働(=企業さんで実際に使用)している一旦はOKをもらっているシステム・関連帳票をゼロベースで読み込み、特定の部分を改修(≒改造)するにあたって、影響範囲がどこにあるのか、どんな風にプログラムを追加/修正/削除していくべきかを、繰り返すことで、かなり問題解決や資料/プログラミング読解力が鍛えられたように思う。
無茶振りへの耐久性・柔軟性・納期へのコミット力は、もともと持ち合わせていたと自負しているが、ここでかなーーーーり鍛え上げられた。そういう意味で、当時は残業もあまりなく、同期と比べて楽な環境でコンサルキャリアをスタートしたけれども、ただただやみくもに議事録を取ったり、右も左もわからない状態から資料作成などをするよりも、自分に合った仕事だった。
そんなこんなで、開発部門(設計通りにプログラムを変更する)を経験し、業務部門(企業さんからのリクエストに、どこに影響があるから、どこのプログラムを変更し、設計・開発・テストなどの工数を見積もる)も経験し、その業務部門で1企業の主担当にさせてもらい、(正確な記憶はないが)2年近くが経過していた。
無茶振りの環境を与えてもらえる自分
そして、次のプロジェクトにアサインされることになるわけだが、次はどこにいくのかと思ったら、SCMセクターの仕事ではなく、FMCセクター(クライアント企業の会計管理に関わる案件)の仕事だった。
しかも、海外ロールアウトプロジェクト。日本で整備したシステム(業務のやり方・ITシステム)を海外子会社に導入するプロジェクト。そう、英語がマストなプロジェクト。
アウトソーシング事業部で、英語対応も経験したことから、人事リストに英語OKフラグがついていたのかもしれない。基本的にNOと言わない日本人を徹底しているので、「どこでもいきます」と、常に無茶振りされる環境を求めているのは、今も昔も変わらない。
(次回へ続く)
2021年2月8日
大野 祐一
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