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自己実現と日本語教育

法案の審議や外国人増加に伴って,ここのところ,ニュースやネットの記事などで,日本語教育に関するものを多く目にするようになりました。日本語教育の取り組みが活性化することで,人々にどのような幸せを提供でき,どのようによい社会を作っていくことができるのか,改めて整理してみました。大きく分けると,学習者個人の生活を豊かにする「個人にとっての効果」と,社会にとっての「社会的効果」が考えられます。今日はまず,「個人としての効果」についてまとめます。

人々が「自分らしく生きる」ための欲求

自分らしく生きていきたいというのは,人々の普遍的な欲求だと思います。人々の欲求がどのような階層構造になっているのかを整理した,マズローの欲求の5段階説というものがあります(5段階説は解釈が複数あるので,詳しくは廣瀬他2009)。マズローによると,人々はたえず,他者から承認を受けたり,自己実現を果たしたりできるという高次の欲求を満たしたいと考えている,しかしながら,高次の欲求が満たされるためには,低次の基本的な欲求が満たされていることが必要だと述べています。
5段階の欲求というのは,図のようになっています。

この5段階の欲求と日本語教育の取り組みを紐づけて考えてみると,個人としての学習の効果について整理できると思います。

安心・安全と日本語

階層の2段目にある「安心・安全欲求」を満たす日本語学習として,現在,積極的に行われているものとしては,防災,保健・衛生,子育て等に関する日本語学習,日本語支援があります。例えば,防災に関するものであれば,災害発生前にどのような準備をすればよいか,災害発生時にどのような対応をする必要があるのか,そして被災後の避難生活としてどのようなことが想定されるのかを考えながら,必要なことば,コミュニケーション,知識,対応策などを学びます。

ですが,防災日本語で地震に関する単語をひたすら覚えても,防災にはなりません。ことばを使って,またコミュニケーションを通して,安全な暮らしを自分たちなりに整えていくこと,そして非常時に適切な行動をとること,周囲と助け合えるようになることを支えるのが,日本語学習の目的です。また,言語面だけでなく,防災に関する「文化」も理解する必要があります。

愛と所属と日本語

階層の3段目にある「愛と所属の欲求」を満たす日本語学習として,いわゆる「おしゃべり型」の活動があげられます。私たちにとって,どこかのグループやコミュニティに所属している,一緒にいて話ができる仲間がいるというのは,生きていく上でなくてはならないものでしょう。近年,特に地域の日本語学習支援では,おしゃべりを通して相互理解を深め,住民同士の関係を構築していくという,「おしゃべり型」の教室が増えています。

人々は,コミュニケーションをとることで互いを知り関係性を構築していきます。また互いをよく知ることで,さらにコミュニケーションが進んでいき,さまざまな情報に接することができるようになります。おしゃべりには,私たちが日常生活を送る上で必要なさまざまな情報も,また日常生活を豊かにするための情報もあります。

日本語学習は,具体的でわかりやすい目的を持ったものばかりでなく,おしゃべりのような「ふわっとした」取り組みを通して,人々の生活を豊かにしていけるという側面を持っています。

承認・自己実現と日本語

階層の4段目にある「自尊・承認の欲求」や5段目にある「自己実現の欲求」を満たす日本語学習として,学習者が社会参加を行うための学習活動や,キャリア形成と関係づけた学習活動があります。

例えば,母国の文化を近隣の中学校で紹介するために,その準備をする。料理教室を行うために,料理の説明のことばを学び,実際に料理教室で先生として活躍するなどがあります。

また,外国人が日本語で仕事をする場合,ルーティン作業を覚えてしまえば,実はことばの問題はそれほど起きません。突発的な対応の場合はことばが必要になりますが,それはあくまでも突発的な場合です。しかし,スキルアップやキャリアアップをしようと思ったり,新しい仕事を始めようと思ったりしたときは,ことばは重要なツールになります。

現在の在住外国人に対する日本語教育は,欲求の2段目から5段目までをバランスよく,また計画的に配置していく必要があると思います。人の高次の欲求をどのように満たしていくか,日本語教育がそこにどう貢献できるか,もう少し議論が必要だと感じています。

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