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日本語学校の質保証とCEFRのA2について(1)

パブリックコメントの募集

法務省出入国在留管理庁から、パブリックコメントの募集が出ました。「日本語教育機関の告示基準の一部改正」についての意見募集だそうで,締め切りは5月27日です。日本語教育界隈では、この一部改正の中でも、特に以下の部分に反応する人が多いようです。

教育の質の確保を目的として,各年度の課程修了の認定を受けた者の大学等への進学及び日本語能力に関し言語のためのヨーロッパ共通参照枠(「CEFR」)のA2相当以上のレベルであることが試験その他の評価方法により証明されている者の数について,地方出入国在留管理局へ報告し,公表するとともに,当該者の合計の割合が7割を下回るときは,改善方策を地方出入国在留管理局へ報告することとするもの。

要するに、きちんと審査を受けて設立が承認されている日本語学校の質保証として、日本語要件を課すということです。そして、その要件として,CEFRのA2レベルを想定しているということです。このことについては,3段階で考えなければならないと思います。

1つ目は,日本語学校の質保証として日本語要件を課すことは妥当なのかということ。2つ目は,質保証の日本語要件としてCEFRを採用することは妥当なのか。3つ目は,CEFRのレベルA2を質保証の基準とすることは妥当なのかというものです。
どうも,このあたりが整理されずに,一緒くたに議論されているように思います。

日本語学校の質保証として,何らかの日本語要件を課すことは必要だと思います。今日はまず1つ目の課題について書いてみます。

法務省告示校についてはこちら

日本語学校の役割

日本語学校は日本語を学ぶところなのでしょうか。そうだとも言えますし,そうでないとも言えます。日本語学校で学ぶ事柄は,言語としての日本語の知識やスキルだけではありません。日本語を通してさまざまな「内容」を学んだり,日本語によるコミュニケーションを通して日本社会に参加する経験を通して学んだりすることもあります。

言語事項としての日本語を学ぶことだけに特化するのであれば,海外で学ぶことや独学することとの差別化が難しくなります。日本語学校が日本語学校としての社会的存在意義を持てるのは,日本語「で」学ぶことも含めた多様な学びの場を創出することでしょう。しかしながら,日本語「を」学ぶにしても,日本語「で」学ぶにしても,その目的または手段としての日本語力を高めることが,日本語学校の重要な役割であることは明白でしょう。

また,日本語学校は多様であり,進学のため,就職のため,仕事の質の向上のため,生活のため,趣味や余暇の楽しみのため,ギャップイヤーやワーホリで日本社会での生活を楽しんでいる人たちが日本語も学ぶためなど,さまざまな目的で集まってきています。そういう人たちの共通の興味関心は「日本語」ですので,やはり教育の質の指標として,日本語を外すことはできません。

新規校の開設

近年,新規開校の日本語学校が「急増」しています。2010年から14年までは徐々に学校が増え,5年で40校が新たに法務省告示校となっています。ところが,2015年以降は,2015年522校(前年比+37),2016年568校(前年比+46校),2017年643校(前年比+75校),2018年711校(前年比+68校)となっており,この間だけで226校も増加しています。業界内の限られた人的リソースで,これだけの新規校の質を維持することが本当に可能なのでしょうか。

従来,法務省告示の日本語学校の開設に関わる審査においては,カリキュラムや時間割による教育計画を元に教育の質を判断していました。しかしながら,実際にその取り組みを通してどのような成果が出たかという事後の評価は行われていませんでした。性善説でいくのであれば,その後は各教育機関に任せて…となるでしょうが,残念ながら性善説に立てるほど,みんなが「善」であるわけではありません。結果・成果を評価せざるを得ないのが現状です。

偽装留学生問題

巷では「偽装留学生」の報道も頻繁に行われています。たとえば,2019.04.23にPresident Onlineに掲載された「8割以上の日本語学校は"偽装留学生"頼み」という記事があります。この記事のように,不正確な情報を引用して,もっともらしく書かれた「うそではない記事」がマスメディアを介して広がっていきます。そして,誤解と偏見に満ちた世論が作られていくという側面があります。

就労を目的とした,いわゆる「偽装留学生」が存在することは事実であり,その数は少なくありません。その根本原因は,人手不足の状況にありながら,いわゆる「単純労働者」の受け入れを頑なに認めてこなかった政府の政策決定によるところが大きいと思います。しかしながら,日本語学校・日本語教育業界の側にも,脇の甘さや仕組みの不十分さがあることは否めません。

以上,日本語学校の存在意義,新規開設校の急増,偽装留学生問題という三つの側面から,日本語学校の教育の質を日本語で評価するということは,避けて通れないことではないかと思います。(明日以降(2)に続く)

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