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ゆっくりと苦しみをもって

エリック・サティのジムノペディ第一番が好きだ。
夜寝る前や雨で外に出ない日などによく生活のBGMとして部屋に流している。
ちなみに今も流れている。なんとなく落ち着くのだ。

普段はあまりインストゥルメンタルを聞かないしクラシックもそこまで造詣が深くない。
曲調も明るくて賑やかでアップテンポなものが好きだ。よく聞く楽曲だとラプソディ・イン・ブルーなんかは普段好きな曲と近い。
ちなみにラプソディ・イン・ブルーのことは小学生の時のだめカンタービレで知った。

しかしジムノペディは私が好きな曲の中では珍しくしっとりした曲だ。
一番しか聞いたことがなかったので先日初めて二番と三番を聞いた。
聞き馴染んでいるせいもあるだろうがやはり一番がしっくりくる。調べてみるとジムノペディにはそれぞれ演奏方法に指示があり、一番は「ゆっくりと苦しみをもって」らしい。
ゆっくりと苦しみをもって。なんだかとてもしっくりきた。
静かだけど穏やかではない、じわじわと息が詰まるような苦しさなのかもしれない。生きているとたびたび感じる少しずつにじり寄ってくる不安や孤独、そういうものに寄り添ってくれるからこの曲は広く愛されているのだろうかと思った。
どうやら精神疾患の療養にもヒーリングミュージックとして使われることがあるらしい。私は心療内科に通院歴がある由緒正しいメンヘラである。知らずに自ら音楽療法をしていたのか。

私は音楽には詳しくない。
家族には音楽好きが多いが私は音を聞いて楽器の区別がつかないほど疎い。ポップスとロックの違いすらよくわかっていない。幼稚園の帰りの会でハーモニカを吹く時間があったが頬を膨らませたり萎ませたりすることで「吹いてる風」にして誤魔化していた。けれど人並みぐらいには音楽を聴く。

先日それを衣服に対しても思った。
かわいい服が好きで特に古着のヴィンテージブラウスを収集していた時期があり、見事に服がクローゼットに入り切っていない。
裁縫が全くできないため服と言えば買うものだが、服を作る人もいるしソーイングブックもたくさん売っている。
作り方を知らないから完成品を享受するしかできない。自分の世界は狭いなあとひしひしと感じた。それでも人には向き不向きがあるし、何より完成品を消費することと作ることに興味を持つかは別の話だ。完成品に触れて「なんかこれ好き」だけで好きと言うには充分なのだろう。

世の中、とりわけインターネットにいるとあらゆる分野の専門家や有識者がすぐ近くにいるように思えてきて自分はなんて物事を知らないのだろうと痛感する。そしてなんとなく、詳しくないと好きと言ってはいけない気がしてくる。そんなことはないと頭で分かっていても気圧されてしまうのだ。

大学で受けた講義の中で、西洋美術史の教授がこんなことを言っていた。
「その作品の生まれた経緯やどうして価値があるのかは別の話。絵を見たときの感想は「なんか好き」でも全然良い」
それがなんとなく心に残っている。好きの理由や好きと言うに値する価値があるかなどを気にしてしまうこともあるが「よく知らんけどなんか好き」でもいいと教えてもらったのは大きかった。

よく知らんけどなんか好き。
よく知らんけどなんか良い。

肌感覚って大事だ。あとから歴史や意味を調べて「なんか好き」の理由を知ることもまた楽しいが、まずは入り口の「なんか好き」を忘れずに感じていきたい。

これを読んでいるあなたには、最近「好きだなあ」と思ったものはあるだろうか。
好きなものはあればあるほどいい。浅くてもいいから、なんか好きだなあがたくさんあると生きるのが少し楽になる気がする。

私が最近好きだなあ、と思ったものは成城石井のクッキーだ。美味しいのでお近くに成城石井のある方はぜひ食べてみてほしい。マカダミアチョコチップカントリークッキーを買ったら美味しすぎて1日で一袋食べ切りそうになった。
早く野菜と運動を好きだと思えるようになりたい。道は険しい。


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