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自己肯定と自己否定の反復横跳び

突然だが、あなたは自分が好きだろうか。

「自己肯定感」という言葉が色々な場所で見られるようになって数年。
この自己肯定感というやつにもう長いこと悩まされている。

私は数年前、20代半ば頃にやや本格的なうつ病を患い通院・投薬治療を受けた経験がある。もっといえば大学生の頃からその兆候はあったのだが、その時は明らかにおかしいと思いつつも力技で乗り切っていた。当時はまだ実家暮らしの学生で、自分で物事を決める力が養われていなかったからだ。
精神疾患というのはとんでもない威力を持ったデバフで、脳の動きを完全に破壊してくる。そして完治しづらく、だいたい後遺症のような感じでデバフが残り続ける。

私も今は薬も飲んでおらず、ギリギリ正常と言える状態にはあるがうつ病の時に染み付いた悪い思考の癖がなかなか抜けない。物事の捉え方が明らかに歪んでしまった。
精神疾患は正常な思考の道のりをねじ曲げてしまう。自分でもおかしい、そんなことはないと思いつつも制御できない。そんな感じだ。私はこの状況をよく「フリーズして操作が効かないのに間違った処理を勝手に続けるパソコン」みたいなものと言っている。

さて、自己肯定感の話。
上記の経験を得る前から決して高いとは言えないが、自己肯定感のあまりの低さに自分でも引いている。
私はプロの作家として専業で生活を成り立たせることができている。
自分の描くものにお金を払ってくれる人がいて暮らしが成り立っているのに、自分の描くものにどうしても自信が持てなくてどうしようもなくなることが度々ある。
自分の描くものは自分は大好きなのだが、社会的に需要があるかと言われるとそれは別の話だ。全くない、とは言えないが何かを描くことが仕事になってから常に「他者の評価」がついて回るようになり、自分がいいからいい!だけでは動けなくなってしまった。それが私生活にも趣味にも多大な影響を及ぼしている。

もちろん私の描くものを気に入ってくれる人はたくさんいる。その自覚はある。
感想やラブコールを届けてくれる人もいて、本当に本当に嬉しくてひたすらスクショして専用フォルダを作ってあるぐらいだ。
それでも染み付いた思考の癖はなかなか抜けないもので、自分が描いたものに価値はあるのか?という疑念が常につきまとってくる。そしてそんなことを考えてしまう自分が、好意を伝えてくれる人を信じられていないようでまた嫌になる。こうして自己肯定力ボコボコ人間が出来上がっていくのだ。
ちなみに感想が嘘だとは思っていない。これは本当だ。私の感想スクショフォルダの名前が「元気出して」なことからどうか信じてほしい。

ただ、この仕事をしている以上他者からの評価というものはどうしてもついて回る。デビューしてしばらくは熱心にエゴサーチをしていたが、結構な頻度で中傷や批判が来るので投薬中に頑張って辞めた。
きっと書いている人は軽い気持ちで、そこに必要以上に貶める意図はないのだろう。
まあ中には明確に貶しているし悪意を持って中傷を送ってくる人もいる。
そういう人に対しては夜道に気を付けろよと思っているが、思っているだけに留めているので偉いものだ。私に理性がなくてここが法治国家でなかったら危なかった。
ただそんなインターネットチンピラ気質でもかなり精神に負荷がかかり、何を書いてもこう言われる、ああ言われる、批判されるという一種の幻覚のようなものに取り憑かれたのでエゴサーチはおすすめしない。

絵を描くことのみならず、人間関係においてもこのデバフはかなり色濃く残っている。
もともとコミュニケーションが得意なほうではないが、とにかく人間と関わる匙加減がわからずに深入りしすぎてめちゃくちゃな寄り掛かり方をされたり、逆に希薄すぎて数ヶ月誰とも会わない、ということも多々あった。
自分の価値を自分で信じられていないから他者からの評価や言動に依存し、どこにも自分をピン留めできずに彷徨い続ける。そんな感覚だった。

……というのを数年繰り返し続けているため、自己肯定感を高めようと色々足掻いていたことがある。関連する本をたくさん読み、色々なことを実践した。
しかし思考の切り替えやありのままの自分を愛そう、といった精神の構造自体を変えるものはだいたい対応できずに終わる。一番効果を実感しているのは「身体の健康」だ。それがあれば苦労はしない。

ではこの自己肯定の低さとどう付き合っていくべきなのか。
それはわからない。改善できるものならしたい。
けれどまあなんとか折り合いをつけてやっていくしかないのだろう。
とはいえ自分が嫌い、というわけではなく私は結構私のことは好きだ。
自分の描くものは大好きだし、容姿も整っているわけではないが別段飛び抜けて直したいところもない。
ただただ評価と理想に振り回されてジャイアントスイングされているだけなのだ。

けれどまあ、生きている人のだいたいはこんな感じなのではないだろうかとも思っている。
自分の好きなところもあれば嫌いなところもあるし、他人を気にして自分を見失うことも多くあるのだろう。みんなきっとそうだ。と信じることでどうにか己を慰めている。
頑張って色々考えたぶん、頑張って色々やってきたぶんこびりついた油汚れのようなものなのだ。
簡単に落ちるものではないが、何かいい洗剤と巡り合ってあっけなくするりと綺麗になる時も来るかもしれない。焦げ付きを味としてそのまま時を重ねていくのかもしれない。

自己肯定力。高いに越したことはないので、お持ちの皆さんは大切にしてあげてほしい。すり減ってボコボコになってしまったという方も、それが無意味ではないとどうにか思えると良い。
苦労したから強くなれるという言説には思いっきり反対なのだが。
苦労なんてない方がいいに決まっている。
自己肯定と自己批判の反復横跳び、やめられなくてもこの際いいのでどうにか中間地点だけを見失わずにいたい。がんばるぞ。

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