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「今日は何をしよう」という贅沢

漫画家としてデビューして今年で9年目になる。

デビューしたのが大学2年生、20歳の頃。打ち切りを度々やりつつも有り難いことに長く仕事が途切れることはなく、読切も合わせると割とコンスタントに何かしらの作品を世に出している。
一時期は2本同時に連載を持っていたこともあった。3日で20Pの原稿を仕上げたら死にかけたので流石にもうそれほどの無茶はできない。

私が連載を持っていない間何をしているかというと、だいたいは新しい連載の準備に費やしている。
新連載を取るために企画を作り、キャラクターデザインをし、オッケーが出たらネームを描き……といった作業を連載が決まるまで延々と繰り返す。ちなみにこの間は一切給料が出ないので地獄だ。なのでなるべく早く終わらせねばならない。
複数社掛け持ちで企画作りをすることも多いので、下手をすれば連載がある時よりも忙しいかもしれない。

そんな感じで9年過ごしてきた。
ちなみに今はとにかく休むことを最優先にしたため、それすらやっていない。完全にフリーの日をのんびりと謳歌している。

体調を崩しつつ仕事をしていた時、ずっと憧れていた言葉があった。

それは「今日は何をしようか」というものだ。

休日、と決めても何かしらやることはあるし「今日は何をしようか?」と思えるほどタスクがない状態を作るのはなかなか難しい。
これはきっと会社勤めの人も同じなのではないだろうか。私は社会経験がゼロなので詳しくはわからないけれども。

今は朝起きて最低限家事を済ませ「さて、今日は何をしようか?」と思える日々が大半を占めている。なんて贅沢だろう。時間の余裕というものはこんなにも人生を穏やかにしてくれるのか。
私は恐らく連載がある時期でも普通よりもだいぶのんびりと暮らしている。〆切が近かろうが眠ければ寝るし散歩にも行く。それでもそう思うのだから「やるべきことが積み重なっている状態」というものがいかに精神を磨耗させるかがわかる。恐ろしいことだ。現代はとにかくタスクが多すぎる。

今現在も買い物と家事を終えたので何をしようか?と思いこの文を書いている。これが終わればまた何をしようか?が生まれる。贅沢だ。一生こうであってほしい。

そして「何をしようか?」が生まれたことで気づくが、私はどうにも物事を決めるのが下手らしい。
あれがしたい!これがしたい!ということは数あれど今の自分が何をしたいか気づき、それを実行するというのはなかなか難しい。
なるべく自分の今したいこと、今食べたいものといった願望を叶えるようにしてあげようと意識しないと色々な物事の決定がなあなあになってしまう。
自分の面倒を見るのは難しい。けれど自分を一番大事にしてやれるのもまた自分なので、なるべく可愛がってあげたい。

さて、この文章が書き終わったら次は何をしようか。
廊下に数日前に届いて放置している組み立て式の棚があった気がするが、まあ気にしないでおこう。


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