見出し画像

1人の男性がエンジニアになるまで〜ウホーイの場合〜(前編)

ウホーイ(@the_uhooi)です。
ゐろは(@wiroha)さんとm.coder(@_m_coder)さんの記事に触発され、エンジニアとしての人生を振り返ってみたくなりました。

私はあまり性別で困ったことがないので、ゐろはさんの記事の観点からは外れます。
つまるところただの自分語りです。

自己紹介

簡単に自己紹介します。

年齢: 30歳(1990年9月生まれ)
性別: 男(女性に期待したあなた…ごめんなさい!)
職業: システムエンジニア(メイン: iOSアプリ開発)

TwitterやQiitaではiOSアプリ開発について投稿することが多いですが、iOSアプリ開発をメインで行うようになったのはここ2年ちょっとです。
直近の業務ではプログラミングよりマネジメントをメインでやっています。
本当はプログラミングに専念したいです。

誕生

千葉で双子の兄として生まれました。弟も私も、女性に多く男性には少ない名前です。母曰く「双子ということは早い段階でわかっていたが、性別まではわからなかったので、男女両方で名前の候補を考えていた。ただ生まれた瞬間に「違う」となって女として生まれてきた場合の名前を付けた」とのことです。
そのせい(おかげ?)なのか、あまり男らしくない性格になりました。
余談ですが、冒頭に紹介したゐろはさんとm.coderさんの両方から「女性だと思っていた」と言われましたw

幼稚園〜小学校

父親の転勤で、生まれて割とすぐに仙台へ引っ越しました。幼稚園から小学校を卒業するまでの約9年間を仙台で過ごしています。
田んぼや畑が多く、それに比例して虫も都会では考えられないくらい多かったです。ある晴れた夏の日、ハチとカマキリが対戦してハチが勝った光景は未だに覚えています。雨が降った次の日はアメンボとカエルが大量発生します。都会では発生しないことに驚きました。

放課後に外で鬼ごっこや缶蹴りするのが好きでしたが、同じくらいゲームするのも好きでした。人生で一番最初にやったゲームは、ゲームボーイ版「ドクターマリオ」です。あの単三電池4本を消費する初期のゲームボーイです。今思うと小さい体でよくやっていたと思います。

小学生の頃にやったゲームで特に好きだったのは
 ・ポケットモンスター 赤
 ・ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド
 ・ファイナルファンタジーⅣ
 ・星のカービィ スーパーデラックス
 ・うちゅう人田中太郎でRPGツクールGB2
あたりです。

64以降の3Dアクションゲームが苦手で、ゲームボーイやスーファミのシンプルなゲームが好きでした。ポケモンはひたすらバグらせて遊んでいました。私が好きなバグは、タマムシシティでミュウを釣るバグと、開始数分で殿堂入りするバグです。

画像1

小学校の卒業アルバムでは将来の夢に「ゲームデザイナー」と書いています。ちなみに意味はよくわかっておらず、単に「ゲームを作る人になりたい」という気持ちで書きました。

画像3

意外かもしれませんが、性格は超がつくほどの人見知りでした。
教室では自分から話すことはなく、話しかけられない限りはずっと机に座っているような子でした。でもなぜか友だちはいたので不思議です。

そろばん

小学校6年間、近所のそろばん塾に通っていました。今の私を作り上げたのは間違いなくそろばんです。弟と私は数字遊びが好きだったらしく、それで通わせたそうです。好きなことを汲み取ってやらせてくれた親に感謝です。

弟は2級まで持っているのですが、私は準2級までしか持っていません。

画像4

小学校高学年になってサボり出したのが原因なのですが、弟に負けるのは悔しかったです。サボらなければ追いついたはずで、弟より劣っていたとは思っていません。

弟との比較はともかく、そろばんのおかげで算数が得意かつ好きになりました

中学〜高校

これまた父親の転勤により、小学校を卒業して中学に入学するまでの間に千葉へ引っ越しました。男女が完全に分かれて遊んだり、名字で呼んだりと、小学校とは文化が違うと感じました。
人見知りな性格は変わらず、中学も高校もほぼ部活にしか友だちがいませんでした。

中学も高校も一般的な公立校であり、特筆すべきエピソードもありません。
勉強に関していうと、中学では20/70位くらいであり、勉強はできたほうでした。高校は進学校に入学できましたが、日本史や国語などの文系科目はほぼ赤点で、数学や物理などの理系科目は平均より上という、完全に理系男子でした。当時は失礼ながら、本当か嘘かもわからない歴史を学ぶのはつまらなかったです。筆者の気持ちもまったくもって理解できませんでした。
プログラミングは情報の授業でVBAを触り、意味がわからずまったくできなかったのを覚えています。

私は高校3年生になってもやりたいことがなく、家も裕福ではなかったので、そもそも大学に行くか迷いました。しかし勉強以外にできることがなかったので、とりあえず好きだった数学が学べる数学科に進むことを決めました。
学費の安い国立大学に進学したかったのですが、残念ながら合格できませんでした。ただ運よく私の学力以上の私立大学に複数合格することができ、迷った末に東京理科大学理学部第一部数学科に進学しました。
学費は奨学金を借りて支払い、今でも返済を続けています。

大学

前述した通り、私の学力以上の大学に進学してしまったため、大学1年生の4月から授業についていけませんでした。なので授業はほぼサボり、テストは数少ない友だちから過去問をもらったりしてギリギリC判定で乗り切りました。
私は人生を常に自分で選択を繰り返した結果だと思っており、すべて自分の責任なので後悔することはほぼないのですが、好きだった数学を本気で学ぶチャンスをふいにしたことは後悔しています。ただこの後悔が今プログラミングを本気で学ぶ原動力の一部になっているので、一概に悪かったとは思っていません。

バイト

大学の授業をサボって何をしていたかというと、週6日でバイトをしていました。コンビニを4年間と、途中から服屋の店員を掛け持ちして2年間やっていました。

バイトにより、人見知りの性格が嘘のように変わりました。高校のときにマックや郵便配達のバイトをしていましたが、どちらも裏方の仕事で接客業ではありませんでした。コンビニと服屋はガッチガチの接客業なので、強制的に人見知りしなくなりました。

画像2

特に服屋のバイト経験は私の人生を大きく変えたと思っています。
スタッフには元ヤンのいかついお兄さんから、高学歴で要領のいい超美人さんまで、様々でした。ド理系で、バイトの採用面接時に「どこで服買ってる?」と店長に言われて「イトーヨーカドーです」と答えるほどダサかった私にとって(なんで採用されたのか未だに謎)、普通に生活していれば絶対に仲良くならない人たちばかりでした。
その中でスタッフ間の交流や、お客さんへの接客によって、見違えるほどコミュニケーション能力が上がったと感じました。もちろん人見知りド理系男子の私なので、最初は全然できなくてめちゃくちゃ怒られました。でも諦めずに続けたことで仕事ができるようになり、最終的にはメンズのバイトリーダーにまでなりました。
スタッフ同士の仲がよく、今でも連絡を取って遊ぶ人が複数人います。
ついでにファッションが好きになり、ウィンドウショッピングは特に好きな趣味のひとつです。

就活

大学3年生の秋から就活を始めました。高校3年生のときと変わらず、私にはやりたいことがないままでした。
少し考えたところ、数学科でもプログラミングの授業がいくつかがあったのですが、評価がオールSだったのです。プログラミングといってもC言語で数式を処理したり、Perlでテキストに沿ったプログラムを組むなど、業務にはまったく結びつかないものでしたが、楽しいかつ得意だと感じました。
その結果、システムエンジニアを第1志望として就活を始めました。

とはいえ授業でプログラミングを少しやっただけで、そもそも自分のパソコンを持っておらず、パソコンにほとんど触ったことすらない私です。
頑張ってES(エントリーシート)を書いて、聞いたことのある大手IT企業にひたすら提出しましたが、なかなか通りません。通っても面接で落ちてしまいます。
原因はいろいろあるのですが、一番は「就活の対策ができていない」ことだと思いました。まず「自己分析」が苦手で「こんな4択の心理テストみたいなものでオレのことを分析できるわけがないだろ」と思ってほぼやりませんでした。面接でも思ってもいない定型文を返すのができなくて、面接で「海外への転勤はどう思いますか?」と聞かれて「絶対に嫌です」と答えたら落ちました。印象に残っているのは、ある企業の一次面接で「ペライチの紙に書いてある文章を読め」というのがあったのですが「進捗(しんちょく)」が読めなくて「しんぽ」と読んだら落ちました。

内定が1つももらえず4年生の6月になり、教育実習のため3週間ほど就活を中断しました。その間に進んでいた選考がすべてなくなり、就活は白紙の状態になりました。
そんな中、7月に大学で合同説明会が行われることを知り、とりあえずの気持ちで向かうウホーイを待ち受けていたのは…!?

後編へ続く

自分語りが長くなり過ぎたため、前編と後編で分けることにします。
見てわかる通り、平凡かつプログラミングとは無縁な学生生活を送っていました。
ここからどのようにエンジニアへなるのか、気になる人は後編へどうぞ。