鋼の精神は_むしろ壊れやすい

鋼の精神は、むしろ壊れやすい

「鋼の精神」という言葉がある。強い精神という意味で使われるのが一般的だ。しかし、本当に「鋼の精神」は強いのだろうか?

フィクションの世界でなら、鋼の精神の持ち主は本当に強いだろう。何度叩きのめされても立ち上がる。あらゆる困難を乗り越える。だがそれは、所詮は虚構の世界だからに過ぎない。虚構の世界は作者の思うがままに、やらせようと思えば、なんでもありだからだ。

では、現実世界はどうだろう? 一見すると、鋼の精神の持ち主がいるように見える。報道やドキュメンタリー番組などで、苦難を乗り越え、立ち上がった人物が紹介されたりする。しかし、ここで気をつけなければいけないのは、そうした番組が映す人物像は、どこまで行ってもひとつの側面でしかないということだ。

そもそも「鋼」はけっして傷つかないものだろうか? いや、そんなことはない。鋼は確かに硬いが、圧力を加えればダメージは受ける。同様に、ダメージを受けない精神も存在しない。そして、限界を超えれば、壊れてしまう。

つまり、鋼の精神は何にも傷つかない精神であり、それ故に強いと思われているが、事実は異なる。むしろ、傷ついていることを否定し、ダメージを見て見ぬ振りをしていると、やがて壊れてしまうものなのだ。

では、本当に強い精神とはなにか? 強い精神にはなにが必要なのか?

そのヒントは、硬さの反対、弾力性にある。

弾力性とは、たとえばゴムのように、圧力を加えられても元に戻るということだ。柔らかい精神こそが本当に強い。

どうすれば柔らかい精神を作れるのか?

自分のニュートラル状態を把握することが第一だろう。ダメージを受けたときは、ダメージを受けたと認識する。ダメージを否定してはいけない。圧力を加えられた状態から、ニュートラル状態に戻すようにする。

精神に圧力を加えられた状態とは、自分の弱さ、欠点に意識が流れてしまっている状態のことだ。ニュートラルに戻すためには、その反対、自分の強みに目を向ける。自分の強みに目を向けることで自尊心が育つ。

フィクションを見て気晴らしする、という行為は駄目だ。一時的には気が紛れても、結局は誤魔化しにしかならない。他人の創作物で自尊心は育たない。

自分の良いところを見つけること。見つからなかったら、自分で自分の良いところを作ること。

良いところを作るには、自省が必要だ。自らを客観的に見つめ、伸ばせられそうな部分をピックアップする。ゲームのキャラクターだと思えばいい。

強みの発見といえば、「ストレングス・ファインダー」という診断ツールがある。有料だが、このツールを利用してみるのもひとつの手だ。実際、僕は利用した。その結果、僕の強みは「内省」「最上志向」「着想」「適応性」「戦略性」であることが判明した。



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