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東京3日間。ありがとう祖父。

先日、しばらく会えていなかった、埼玉の祖父が亡くなってしまった。
母方の祖父だが、幼いころから高知県からよく会いに行っていた。
毎年、夏の一番の楽しみは山に囲まれた地元から東京へ行き、埼玉の祖父母、いとこ家と会い、遊ぶことだった。

出発の朝の雲

写真を撮っている今、写真を見て記憶を思い出すことは多いけど、祖父の記憶は写真がなくても思い出せた。一番最初に浮かんだのは、いとこの家の台所で、朝から焼酎を飲んでタバコを吸っている祖父だった。

新幹線より

祖父はいわゆる「ゲテモノ」が好きだった。その遺伝子を受け継いだ姉が、小さい時から、大人が好むような、癖のある珍味を食べたがっていたのを思い出す。

祖父が差しだしてくれたハチミツには、ホンモノの蜂が入っていた。子供のころの僕は今にも蜂が動き出しそうで、怖がった。

昔、母の高知県のもとへ祖父が来た時、山中に「イノシシ肉あります」という旗が立っていて、
「今のところ行きたいから引き返して!」
とイノシシの肉をお土産に買っていったそうな。

そんな祖父と最後に会ったのはいつだったろうか。
タイミングを見つけられなかったといえば言い訳になるかもしれない。
高校3年まで高知で過ごしたあと、東京で大学生になり、卒業して2年東京で働いていたけれど、東京に行ってから一度も会っていなかった。あ、そうだ、高知の父方の祖父が亡くなった時に会った気がする。

そんなことを考えながら東京を歩いた。
東京に行くのも久しぶりだった。

ゆたくん、irohaさん、ひなみさん、しょうたくん、参加させてくれてありがとう。写真集を読む会

祖父の葬儀の前日から東京へ向かうことにし、これを機に会える人達に会っていた。

東京には8年住んでいたので、行った事のある場所が多いけど、写真をやっていなかった時とは違う見方ができるので、知らない街みたいに思える。東京は再開発が凄まじいので、変わっていた場所ももちろんあった。

日々さん、Ryoさん、霜月さんありがとう。

写真展にもお邪魔した。
唐突のことだったので、出展者の友人はとても驚いていた。

浅草をゆたくんとirohaさんと歩いた。
ジャンパーの前でジャンプしてもらった。


二人が帰った後も夜中までスナップしていた。
久しぶりにたくさん歩いたので疲れてすぐ寝てしまったけれど、2日目は早起きして朝の浅草を歩いた。

朝の散歩が終わって、レンタルした喪服に着替える。
喪服のサイズが、明らかに小さい。
1日ぐらい我慢するかと思ってホテルから出発しようとしたら、靴を履くときにしゃがんだらお尻がやぶけた。
お尻がやぶけた喪服のパンツの割れ目を、股を閉じて押さえながら、朝の電車に乗って埼玉へ急いだ。

祖父の葬儀場へ着くと、受付にいた叔父と、いとこから
「股大丈夫?」
と笑われた。情報が早い。
僕は31歳にもなって裁縫が出来ないので、母親に頼んで縫ってもらった。いつまでも子供だ。
葬儀場なのに、みんな笑顔で話していた。
確かに祖父には重い空気は似合わない。
僕も気にせず笑うことにした。
祖母に会うのもかなり久しぶりだったけれど、僕のことをちゃんと覚えていてくれて嬉しかった。車いすで大変そうだった。
お坊さんのちょっと癖のあるお経をたくさんきいた後、たくさんの花と、最後は飲めなかった大好きなお酒で祖父を天国へ送った。

僕は祖父のことをあまり知らなかったと思う。でも、祖父が作ってくれた手作りのあられや、ラーメンのことはよく覚えている。硬くて嚙み切れない部分のあるあられがとても美味しかった。今、ゲテモノでも何でも好きで食べられるのは祖父の遺伝子だと思う。
昔の僕はもっと内気で、人と喋るのが苦手だった。祖父ともたくさんはしゃべれなかった。
それでもありがとう。おじいちゃんの教えは母親へ伝わり、きっとそれが僕へ伝わっているんだと思います。

祖父の葬儀の日は、綺麗な夕陽と綺麗な月だった。

翌日、ゆたくんと東京を4万歩も歩いた。

もしどこかで蜂が漬けられているハチミツを見つけたら、食べてみたいなと思う。

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