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PP FIの移民問題及び免罪体質者の定義について(マシュマロ返信)

※ふせったーより格納。若干の加筆修正あり。
初出:2020/4/8

マシュマロ:
初めまして。PSYCHO-PASSに関するふせったー拝読しました。PSYCHO-PASSには新参者なのですが、3期は疑問に思うところが多く、特に私自身海外生活が長いため宗教や入国者の描き方に疑問と少し不快感さえ覚えていました。個人的には、あの描かれ方やあの描写を疑問なく受け止めた人々の反応が今の日本のマジョリティにおける外国人や移民問題への関心の度合いなのかなと思ってしまい、また疑問を抱く自分がどうしようもなくマイノリティなのだの思いショックを受けていたので、貴方様の意見を読むことが出来て少し安心しました。
話が変わりますが、灼が何故免罪体質だと分かったのかについて、私は彼のお父様が彼に犯罪を犯させたのかなと考えていました。確か幼い灼を車に乗せているシーンで、「オフライン検査をした結果、全て該当しました」と言っていたかと思います。その検査の中で、2期で東金母が幼い朔夜に子犬を殺させていたようなことをして、その時の犯罪係数の変動で発覚したのでは? と解釈しています。(もし私の見落としで、オフライン検査の内容が開示されていましたらすみません)
犯罪を犯さない限り免罪体質だとは分からない、という部分はそうでない限りこれまでの話や台詞に辻褄が合わなくなってしまうのでその通りだと思っています。ただこれに関しても言及してらっしゃる方を他に見かけていなくて、自分の中でのもやが晴れなくなってしまったので宜しければうぐひすさんの解釈を伺いたいです。長くなってしまいましたが、もし宜しければお返事頂けますと幸いです。


お読みいただきありがとうございました。以下、お答えします。(とても長いです。すみません)
※一応念のため書きますが、以下のふせったー掲載の感想を読まれた後という前提で話をすすめます。


移民問題について

移民問題に関しては、炯というマイノリティ側のキャラクターを主人公格に据えたにもかかわらず、描写がマジョリティ側からであることでねじれてしまったのだと思います。
わたしも途中から不快さを覚えて、序盤は熱心に放送を追いかけていたのが嘘のように、一週間、二週間と遅れて見るようになっていました。
マジョリティ側の視点をマイノリティ側に勝手に投影しているようにしか感じられず、それがあなたの勘にも触ったのではないでしょうか。

監督が「外から見た日本を描きたかった」というようなことを発言していましたが、結局のところ、内側からの視点から逃れることができず、あまつさえそれを外からの視点であるかのように描いて失敗してしまった、と見ています。自分の視点がマジョリティ側であることに無自覚だったのでしょう。
(宗教に関しては、あまりにも突っ込みどころが多かったのと、専門外だったので言及は避けましたが、あまりにも安直だったと思っています。外国人は宗教を信じているのが普通、みたいな、まるで日本人が無宗教であるかのように感じられたので。現在であれば、日本は儒教と仏教の影響が強いですし、作中ではそもそも神託の巫女を名乗るシビュラシステムを「信仰」しているに等しい)

残念ながら、あの描写でアニメが出てきてしまったということは、製作側はそのような視点であった、と解釈せざるをえません。移民が多くいる社会というものを、そう設定した側が理解していなかったと言い換えてもいいでしょう。
全体的に関心が薄いのは、今の日本がそういう状況にないからです。これは仕方がありません。むしろ、そういう問題が起きるのを未然に防いだ結果でさえあるかもしれません。
それは一種の幸せでもあると、わたしは思っています。それこそ槙島が嫌ったような、盲目のままでいる幸せです。
わたしはこれと一生付き合う覚悟を決めていますが、不快なものは不快ですね。あなたもそう感じたと仰るのなら、わたしも少しほっとしました。

免罪体質者について

今までその可能性に思い至りませんでしたが、実は灼は、軽い罪を犯すよう仕向けられた後だった、という解釈は成立すると思います。それならば、灼は既に罪人ですので、シビュラに免罪体質者と認識されていてもおかしくありません。
槙島は自分のサイコパスが何をしてもクリアなままでいることを自覚していたので、猫でも殺して試していたのではないか、と考えていましたし、東金も同様のことをさせられていましたから、灼にもその可能性はあります。
人を殺すのと比べれば隠蔽も容易なので、検査内容に盛り込まれていたと見ても、そう問題ないかと思います。

ただ、検査内容は詳しく描写されていなかった(と思います)ので、確証はありません。
また、オブライエンが目の前で死んでいくのに犯罪係数が低下し続けたことに霜月が「まさか免罪体質者!?」と驚いているシーンと少し噛み合わないような気がします。
霜月のところまで情報が降りてこなかったというのは十分考えられますが、やはり灼が免罪体質者ではないかという疑いを視聴者に持たせたのがあのシーンですから、もしそうならあのシーンは一体何だったんだ?という別の疑念が生じます。

また、検査内容が軽い罪を犯させるものであるのなら、これは諸刃の剣です。免罪体質者でなかった場合、一気に犯罪係数が悪化して施設送りになってしまいます。とても親が子を思った末の行動とは思えません。
免罪体質者であることが発覚すればシステムに回収されてしまいますし、どちらにせよ我が子を「罪人」にしてしまうのは、正気の沙汰ではありません。
(書いていて気づきましたが、その発想をする父のほうも教唆罪等に問われかねないので、免罪体質者でなければならないでしょう)

これはメタ的な考察なのですが、おそらく、1期で終わるはずだった世界観を無理やり拡張した結果、あちこちに綻びや齟齬が生じているのだと思います。
それぞれ違う敵役を用意しなければなりませんし、3期では主人公さえ入れ替わりました。これまでと異なる要素を入れたいということで「シビュラの構成員たる資格を持つが、シビュラの外側にいる」キャラクターを出したかったのではないでしょうか。そのせいで、シビュラに見つかったら必ず回収される宿命から逃れる抜け穴として、灼の設定が加わったのではないでしょうか。

灼が真に倫理から逸脱した罪人ならば、視聴者の感情移入は難しくなるでしょう。そもそも免罪体質者はpsychopathな精神異常者ですので、スタート地点はゼロどころかマイナスです(槙島は非常に魅力的な悪役でしたが、主人公としてはふさわしくありません。彼は徹底的に悪役側として設定されていたからこそ魅力的でした)。
だから、灼には罪を犯させずになんとか免罪体質者たらしめる理由をつけようとあれこれ付け加えた、という風に解釈しています。

犯罪係数の判定基準がずっとブラックボックスのまま何作も作り続け、突き進んだ結果でもあるかもしれません。今後も明かされることはないでしょう。明かしてしまったら、免罪体質者が社会から除外される正統性を失う危険があるからです。
犯罪係数は舞台装置であり、「そういうもの」として置かれています。「そういうもの」だからこの世界はこうなっている、という前提で話が進む以上、犯罪係数は物理法則並みに理由がいらないのです。そこへ手を加えようとするなら、待っているのは箱庭の瓦解でしょう。

わたしは「作中で描写されたものがすべて」という見方をしています。この点で言えば、3期は圧倒的に説明不足です。そのうち発売されると思われる設定資料集やノベライズに頼るような真似は、(厳しい言い方をするならば、わたし個人としては)アニメとして失敗であると思っています。

要約すると、わたしもまだ納得がいっていません。設定資料集が発売されたら、もう一度この話をしたいと思っています。

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