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ユーロピア共和国という幻想と投影される現実について(『コードギアス 亡国のアキト』感想)

※書いている人間は象牙の塔で言語学(バイリンガルの言語習得)を研究していたので、欧州史や政治経済は専門外です。

『反逆のルルーシュ』との対比

『亡国のアキト』は話の作り方もテーマの据え方もキャラの描写も、何もかも『反逆のルルーシュ』と別物だ。
『反逆のルルーシュ』はルルーシュ視点で物語が進行するため、植民地政策やら社会的、政治的背景の描写は省略されがちだったが、『亡国のアキト』は、それらの削ぎ落とされた要素を割と上手く回収していると思う。
(キャラクター――具体的に言えばルルーシュ――の人気で売っていた『コードギアス』のシリーズ作品としては、商業的にあまり人気が出なかったのも残念ながら仕方ないだろう)

もっと言えば、コードやギアス関連がなくても割と面白かったのではないかと思っている。
もちろん、シリーズ物として売るには不可欠な要素だが、5章での展開など、これがかえって邪魔をしたようにも感じられた。

第一印象としては、wZERO部隊は名誉ブリタニア人部隊、アキトはスザク、レイラはルルーシュに欠けていた「安全な場所から部下を死地に送り込む司令官の懊悩」の仮託に見えた。
とりわけ、テレビアニメ本編が落としていった「祖国を失い、祖国でない国のために迫害されながら戦う人々の心境」に焦点を当てていたように思う。

レイラとルルーシュの対比

『亡国のアキト』はタイトルに入っているアキトではなく、レイラ視点で話が進む。
『反逆のルルーシュ』と異なり、モノローグをほとんど使用しない演出方法を取っているため、ほとんど自分を語らず、狂気じみた様子さえ見せるアキトよりも、レイラの方が主人公に近い。

レイラはピカレスク物の主人公ルルーシュとは違って、真っ当な人格をしている。使い潰される二級市民(難民)の少年兵に心を痛める姿なんて、ルルーシュには欠けていた健気さだ。
金髪に紫の瞳というブリタニア皇族を彷彿とさせる容姿の彼女もまた、ルルーシュと同様にC.C.からギアスを授かった設定だった。
アキトが生身でナイトメアを制圧するシーンから見ても、アキトがスザクのポジションで、レイラがルルーシュのポジションだろう。

ただ、『亡国のアキト』はロボ・SF的要素とオカルト的要素の組み合わせがあまり上手くいっていない印象もあった。やりたい場面を繋ぎ合わせていて、4章以降は全体的に展開が雑になり、わけがわからない。
5章のレイラは未来予測のようなギアスの発動を見せたが、力を使ったにもかかわらず代償がないのも物語としては不都合だろう。過ぎたる力は災いを呼ぶものだが、レイラに限ってはろくに反動もなく、ハッピーエンドを迎えた。
シンのギアスが作中で明言されなかったのは、擁護不可能なほどひどい悪手だ。これでは、アキトが何故「死ね」を繰り返していたのかさっぱりわからない。

なぜギアスの設定が上手くいっていないかと言えば、レイラが最初から上流階級出身の職業軍人で、地位と権力を備えている司令官だからだ。
真っ当な手段で己の要求を通せるなら、ギアスという飛び道具は不要になる。
彼女が指揮するwZERO部隊は、遊軍という立ち位置で、市民軍という位置づけらしいが、軍服やIDカードが支給されていることから見ても、正規の軍人だろう。

レイラは高貴な血筋であり、亡命した先で有力者に保護されている。血統目当てにその家の三男と婚約させられており、将来の自由が制限されている。そういう意味ではルルーシュと似ていた。
だが、ルルーシュと決定的に違うのは、レイラの身分が公的なものであることだ。暗殺されたとはいえ、父親は非常に高名であり、父の親友だというスマイラスにも目を掛けられている。
つまり、レイラはその血筋を隠しておらず、むしろその血筋によって利益を――社会的地位を得ている。

もちろん、血統を利用されることのつらさを否定するつもりはない。レイラは働かなくてもいい身分にもかかわらず、「お遊び」と義理の兄に揶揄されながらも軍人として働いていた。彼女は自立を欲していた。そこはルルーシュと共通している。

周囲を破滅させ、自身もまた破滅したルルーシュと違い、ハッピーエンドを迎えたレイラたちの違いは、結局はこのような社会的地位に起因している部分が大きいだろう。

レイラは「アキトを信じている」と言う。これは、誰も信じなくて裏切られたルルーシュの反対のように見えた。
レイラはルルーシュと違い、部下を大切にする。作戦のために犠牲にした命を忘れない。必要な犠牲だったとは決して言わない。
ルルーシュがピカレスク物の悪役主人公として振る舞うために露悪的だったことを差し引いても、レイラはずいぶんと見る側の倫理感に近いキャラクターだった。

レイラが人を信じられるのは結局のところ、マルカル家の庇護があり、地位と権力があり、公に認められている職業軍人だからだ。だからこそ、それらを持たない、奪われているルルーシュは人を信じない。
(ルルーシュは優秀すぎて、自分一人でいいと思っているところがあった。欲しいのは仲間ではなく、思い通りに動く手足でしかなかった。ルルーシュが唯一、心の底から欲しがった対等な存在は、スザクだけだった)

対等な仲間を認めるか、その仲間を信じられるか否か――正統派主人公が持つべき要素をレイラは持ち、ルルーシュは持たなかった。そこが二人の明暗を分けたのだと思う。
(『反逆のルルーシュ』ハッピーエンドルートはユフィに救われたスザクがルルーシュを救うことだと思っているが、この物語の主人公はスザクになる。そもそも、そういった正統派主人公要素をスザクに持たせてルルーシュと立場を入れ替えた物語なので、バッドエンドは当然のことだった)

「亡国」とは何か

タイトルに入っている『亡国』に関して、この物語はあまり明確に答えを出さなかったように思う。
何故なら、主要キャラクターたちが国家というものに背を向けたエンディングだったからだ。

主要キャラクターたちは皆、多少なりとも「亡国」要素を持っていた。ユーロピア生まれのアキトたちイレヴン、亡命してきたレイラは言うまでもなく、孤児だったと思われるジャンやアシュレイも「国家」というものへの執着、愛国心といったものは薄かった。
彼らは国家よりも個人間の人間関係を重視していたように思う。

リョウ、ユキヤ、アヤノは居場所がほしいと言う。彼らは国などという大層なものではなく、ただ自分たちが生きていられる場所を欲しがった。そこにはずいぶんと時代の変化を感じる。
『反逆のルルーシュ』が個人間の争いを国家間に拡大したのとは反対に、『亡国のアキト』は国家間の争いを個人間に落とし込んだように見えた。

タイトルの「亡国」とは、日本という国家がなくなったことを指すのではない。彼らが心の拠り所とする「故郷」の喪失を指している。
彼らにとっては日本――エリア11も「故郷」ではない。何せ彼らは日本へ行ったことがないし、おそらく日本語も話せないからだ(これに関しては後述する)。

それゆえ、『反逆のルルーシュ』が失われた祖国を取り戻す話であったのに対して、『亡国のアキト』は個人の居場所の話に終始する。
彼らはユーロピアのために戦っているようでいて、その実、ユーロピアという国家にも日本という国家にもさほど興味はない。

物語の終わりで、戦場を離れてジプシーらしき人たちと過ごすことを選んだレイラとアキトたちは、責任を放棄して逃げ出せば個人の幸福が得られたかもしれないというルルーシュとスザクのIFルートのようにも見えた。
さらに言えば、社会的責任に背を向けるレイラと、ロロの迎えに応じてブリタニアに「帰る」スザクの対比でもあったのではないかと思ったほどだ。

ラストでレイラとアキトたち(とどこかから湧いてきたアシュレイ)が戦場を離れ、ジプシーの仲間になるのは、社会的、道義的責任を放り出したように見えてまずかったと思う。
結局ユーロピアは何も変わらず、イレヴンの待遇はよくならない。スマイラスを失ったユーロピアは「人気取りの政治」を続けるだろう。

ただ、逆に、レイラ一人では国を変えることはできず、自分の手のひらに収まる人たちの幸せを守ることしかできないのだという結末と解釈すれば、とてもリアルかもしれない。
(個人的な好みで言えば、全滅するか、レイラが終わりなき戦いにアキトたちを投じ続けて、死地に赴かせる責任と向き合い続けてほしかったところではある)

少なくとも、レイラとアキトたちは個人の幸せを手に入れた。亡国の彼女たちは、国家という枠組みが肌に合わなかったのではないだろうか。
ジプシーは移動する民族で、当然のことながら国を持たない。国家というものから逃げることで居場所を見出した彼女たちには、そういう意味ではとてもふさわしい最後だったように思う。

(しかしながら、『復活のルルーシュ』でのゼロレクイエムの扱いのように、あまりに大きな社会問題だったから、ほどよい落とし所を見つけられずにふわふわしたハッピーエンドにしてしまったのではないかという批判は免れないだろう)

「統一された欧州」という幻想

前提として、『亡国のアキト』が公開された時期と現在では、「ユーロピア共和国」への捉え方が異なってしまったことは念頭に置かなければならない。
『亡国のアキト』が公開された2010年代前半はグローバリズムの全盛期であり、そのひずみが表出した時代でもあった。
拡大を続けるEUが存在していた頃に作られた作品を見るのは、たかが5~10年前なのに、不相応なほど懐かしさを覚えるくらいだ。

物語の舞台であるユーロピア共和国は、統一された欧州を表している。ナポレオンの時代、市民革命が欧州全体に波及し、王侯貴族は新大陸へ逃れた――その後に欧州に形成された民主主義・共和制の国家である。
背景設定が粗雑な(あるいは上手く話に出せなかった)印象の強かった『反逆のルルーシュ』と比べてよく詰めてあると感じたし、とてもリアルだったと思う。
ブリタニアは現代日本と全く違うから、極端な設定でもある程度、許される。しかし、ユーロピアは民主主義を掲げているから、よりリアルに寄せないといけなかったのだろう。
それに合わせるように、ユーロ・ブリタニアも騎士道精神について言及されており、狂った側面がクローズアップされがちだった『反逆のルルーシュ』とはやや違う趣だった。

しかし、Brexitしてしまった今となっては、かつての「いがみ合う欧州諸国が手を取り合って共同体EUを作り上げる」という理想は、もはや完全に幻想となってしまった。
(イギリスが半ば自棄になってグローバリズムに背を向け、EUを煽りまくった演説をしてユニオンジャックを振り、他のEU議員が手を繋いで「蛍の光」合唱でイギリスを送り出す風景には、欧州諸国のお家芸が21世期でもまだ生きているんだなと感心しきりだった。ヘタリアだってここまではなかった)

そもそも、作中のユーロピア共和国も、平和な統一国家である保証はない。というより、現実的には地方分権の連邦制ではないかと思う。
ユーロピアの共通語はフランス語だったが、市民革命の後にフランスが周辺国へフランス語を「押しつける」ことができたのだろうか。それは王侯貴族による支配と同一ではないのだろうか。

現実的に考えると、ユーロピアへ編入された地域には、日常語としてその地域の言語が残っていて、公用語/行政語としてのフランス語とバイリンガル状態だと思う。
現実のEUが加盟国の公用語すべてをEUの公用語として認めているように、本来、長年にわたって争い続けてきた欧州がフランスの「支配」を手放しで受け入れるはずもない。
もし受け入れているなら、それはフランスの「侵略」であり、王侯貴族の代わりにフランスがその地位を占めているにすぎない。

しかし、これに関しては、ブリタニアが英語ベースなのに対してフランス語を設定したような気もする。
ナポレオンによる王制廃止を起点に分岐した世界であれば、ブリタニアと欧州の対立は英仏の長年の対立を彷彿とさせる。
であれば、ブリタニアと対立するユーロピアは英仏の歴史的対立と専制君主制(英王室)と共和制(フランスの市民革命)を反映していることになる。

ただ、よくドイツと仲良くできたな……という思いは否めない。フランスとドイツを結託させるほどにブリタニアの脅威が大きかったとするには、シャルル即位以前のブリタニアが内乱で国力が弱くなっていたという設定が邪魔をする。
(個人的には、レイラをジャンヌダルクになぞらえているのを見て、『ナイトメアオブナナリー』のC.C.(ブリタニアの魔女)がジャンヌダルク(フランスの魔女)に呪いをかけられた設定なのを思い出した)

幻想となってしまったユーロピアだが、現実にも尾を引く共通の問題として、移民問題がある。
というか、Brexitの要因のひとつなので、これは今なお欧州にくすぶる火種でもある。

(ところで、ロシアがブリタニアということは、ナポレオンのロシア遠征は失敗したのだろうか? 皇帝にもなっていないようだし……)

欧州における移民問題と移民の帰属意識

ユーロピアと日本の関係について

ユーロピアには日本人が多く住んでいる。アキトたちがユーロピア生まれという設定に則れば、ユーロピアにいる日本人はブリタニア侵攻から逃れた難民ばかりでなく、それ以前のごく普通の移民がかなりいたのだろう。
それが、ブリタニアを恐れたユーロピアによってゲットーへ追い込まれたという状況のようである。
(さすがにブリタニア侵攻前からあからさまな人種差別をしていたとは思いたくないが、現状を見ればあっても不思議ではない)

まず、イレヴンという呼称についてだが、これはブリタニアがエリア11に住むナンバーズを差別するために用いた言葉だった。
ブリタニアと敵対するユーロピアが積極的に取り入れたとは考えにくい。おそらく、ブリタニア側から何らかの要求があったのではないだろうか。

ストーリー冒頭で、アキトがIDを見せた途端に「イレヴンかよ」と差別される。ユーロピアの兵士の代わりに最前線で命をすり減らして戦う日本人に対する態度としては、とても冷淡だ。
ここで最初に考えた可能性は、「日本がブリタニアに占領されて大量の難民が欧州に流入し、人道的支援を続けていた欧州が疲弊して日本人への差別が始まった」だった。

だが、アキトたちがユーロピア生まれ、つまりブリタニアの日本侵攻以前の移民であることは明らかだ。その時点での移民が既に難民状態だったかは描写がないが、開戦前の日本はそこまで切羽詰まっている感じでもない。
おそらく、日本人を市民に認定するとブリタニア側から圧力がかけられるということかもしれない(逃げたイレヴンを追いかけるほどブリタニアは暇ではない気もするが……)。

もうひとつの可能性としては、「ブリタニアの日本侵攻以前から、ユーロピアと日本の関係が悪かった」が挙げられる。
小説版やドラマCDで言及されているが、敗戦前の日本はサクラダイトの埋蔵量を盾に、他国に無茶を要求していたところがあった。なんせ、埋蔵量の70%が日本にあるのだ。非常に有効な交渉カードだろう。ユーロピアと対立関係にあってもおかしくない。
だから、元々対日感情が悪いところに、ユーロピアへ逃げた難民はいい顔をされていないのではないか。

作中における人種差別

物語の舞台が欧州方面へ拡大した結果、多少の齟齬が生じている。
作中では人種差別という概念が「ナンバーズ差別」へ言い換えられているせいで、不自然さをあちこちで感じる。

神聖ブリタニア帝国が大英帝国をモデルにしているのは間違いない。しかしブリタニア本国は北米に位置するので、現在の地理で言えばアメリカ合衆国である。
つまり、ブリタニアは専制君主制のアメリカ合衆国といったところだろう。

「ナンバーズ」とは、ブリタニアが植民地の人間を差別する言葉だ。
ブリタニアの人名がおそらく意図的に英語・フランス語・ドイツ語・イタリア語を混ぜていたのは、欧州諸国の王侯貴族が市民革命時にそろって新大陸へ逃げて混血し、アングロサクソン系を頂点に専制君主制の帝国を形成したからなのだろう。
したがって、ブリタニアは白人による国家であるのは間違いない。
(ブリタニア=イギリスの旧い地名を名乗っておきながら、シャルルやマリアンヌ、ルルーシュが明らかにフランス語なのは、突っ込んだらおしまいである)

一方で、ブリタニアが征服した土地は有色人種のものだ。つまり、ナンバーズとは有色人種の言い換えでもある。
作中では存在を消されているが、新大陸の原住民は、ブリタニア人が滅ぼしたと解釈するのが筋だろう。あるいは、存在感を消されるほどに社会的地位が低いと見なすこともできる(さすがに欧州中からかき集めたとしても、王侯貴族だけでは人口が足りない)。
ブリタニアの純血主義は白人至上主義の言い換えであり、移民国家が出生地主義というイデオロギーを捨てた姿なのだと思う。

翻ってユーロピアはといえば、元から白人の居住地である。
ロシアに相当する地域は、ユーロ・ブリタニアという一定の自治を認められた属国になっている。封建制のもと、領土を与えられた大公が治めている形式なのだろう(ブリタニアはまだしも、ロシアをヨーロッパと呼ぶのは人文的に論争が起きるが……)。
いずれにせよ、どちらも白人の国である(ロシア地域の少数民族は新大陸の先住民と同じく、弾圧されているか滅ぼされたか同化させられたのだろう)。

植民エリアの人間を「ナンバーズ」と呼ぶのはブリタニアであり、ブリタニアと対抗するユーロピアはむしろこれを否定しなければならない。そもそもの理念から言えば、植民地など認めてはいけないだろう。
だが一方で、現実の欧州にも人種差別は存在する。
だから、ユーロピアの人々も「イレヴン」という蔑称を用いているのだと思う。

なお、wZERO部隊についても、やや齟齬が生じていると感じている。
wZERO部隊のモデルは言わずもがな、WW2時のアメリカの日系人部隊だろう。
消耗の激しい最前線で戦うことで愛国心を示すという要素は、当時の厳しい人種差別に由来している。しかし、これを2017年(作中における暦、実際には2000〜2010年代)に置き換えると、日本の国際的地位が違いすぎて、そこの違和感が少々あった。
そもそも『反逆のルルーシュ』が割と適当に描写してきたことだが、日本はもとから豊かな国だった。格差は激しかったようだが、サクラダイトを発掘、利用する技術のある先進国なのは間違いない。当然、教育水準も高いはずだ。
そんな国の難民だからといって、それほどまでに蔑視したのか?という疑問はちょっと拭えない。
(ナンバーズ差別の激しいブリタニアで、シンがなぜか差別されることなく「古いもののふの血」とまで形容され、騎士の座に収まっているのかも言及しない方がいいだろう)

移民の子どもの扱い

wZERO部隊の少年兵が戦死すると家族がユーロピア市民権を得られる設定は、とても残酷だった。
と同時に、とても理にかなっていていた。死をも厭わない従順な兵士を釣るにはいい餌だろう。要は飴と鞭である。

イレヴンこと日系移民は、ユーロピア市民権(おそらくユーロピアの国籍とほぼ同等だろう)を得るのに必死だ。彼らはゲットーに押し込められ、監視されている。就職にも非常に制限があるだろう。
描写されるゲットーの学校は、監獄とよく似ている。学生の制服には識別番号らしきものが縫い付けられている。日本語や日本文化が禁じられていてもおかしくない。

順当に考えて、ゲットーでの教育はフランス語だろう。
ユーロピア市民権を得る際にフランス語の試験は必須だろうし、日本に戻ることを考えていないのなら、現地に同化するのがいちばんいい。
そのために子どもが親に「使われる」側面も見え隠れする。

現代において同化政策は否定されるものが、一方で、郷に入れば郷に従えとも言う。
少数派かつ差別される移民の子どもは、現地の学校に通うと母語の維持・発達に対する動機付けを失う。そして、親が一生懸命、母語教育をしようとも母語を嫌って現地に同化し、母語交替する。
これはごくありふれた、バイリンガルの子どもの言語発達の例だ。

ユーロピアでは、むしろ親は積極的にフランス語を習得することを望んでいるだろう。日系移民は日本へ帰ることをまるで望んではいないからだ。
太平洋戦争時、在米日系移民が迫害されたから、親が子に日本語を教えたがらなくて、2世は日本語ができないという話とも似ている。

おそらく、ユーロピア市民権を獲得するとゲットーを出て生活できるのだと思う。
ゲットーの学校を優秀な成績で卒業すると市民権と安定した職が得られて、家族を連れて出ていけるとか、大学はゲットーの外にあり、優秀なイレヴンだけがゲットーを出られる、そしてユーロピア市民権を得て同化すると、他のイレヴンから嫉妬されたり裏切り者呼ばわりされたりするとか、そういった設定もありそうだ。

親が子を使って国籍を取ろうとするのは常套手段なので、兵士になり得る若者を狙い撃ちにするのは正しい「戦略」だ。
描写はないが、おそらく兵士だけでなく、研究職なんかにも優秀な人間を引き抜いているだろう。
そういうことをしているから、反動で「日本人なんてどうでもいい」と思い、逃げ出す子どもが出てくる。

ユキヤが「日本人なんかどうでもいい」と言い放つシーンはとても好きだった。『反逆のルルーシュ』がブリタニア対日本の構造のためにカットした要素だったからだ。
たかが同じ血を引く民族だからといって、同じ言葉を話すからといって、必ずしも同胞意識があるわけではない。むしろ、民族意識を押し付けられた反動で嫌悪する人もいる。

アキトたちはイレヴンとして蔑まれているが、おそらくフランス語以外話せないのではないかと思う。日本語はせいぜい親と話す日常会話程度で、フランス語をユーロピア市民と同じ程度話せるのに迫害されているタイプだろう。むしろ、一言も日本語が話せなくてもおかしくない(この手のバイリンガルもよくあることである)。
彼らはどう見ても10代後半から20代前半だが、日本の敗戦は7年前だ。
彼らユーロピア生まれの日本人は2世としてごく普通に生まれ、普通の移民として生活していたら日本の敗戦に伴い10歳前後でイレヴン呼ばわりされ、ブリタニアを恐れた「第二の祖国」にゲットーに入れられたのかもしれない。

であればなおのこと、ユーロピアのために戦うなんて理由付けではない。もっと個人的な理由付けになる。
だから彼らは、最終的にユーロピアに背を向けるのかもしれない。彼らにとっては、愛する祖国などないから。

民主主義の欺瞞と衆愚政治

ユーロピアは民主主義と共和制を掲げているが、その理念は行き詰まっているようである。
気が狂った国家のブリタニアと、表面上は自由を謳い、民主主義を掲げつつ差別に無関心を装うユーロピアの対比は、クズさの現実味が違う。

スマイラスが「ナポレオンが断頭台の露に消えずに皇帝になっていれば……」と口にするが、作中の民主主義は衆愚政治に堕している。
シャルルが評したように、ユーロピアは「政治家の人気取り」となっている。軍の高官たちは作戦の失敗をなすりつけられるのを恐れ、必要以上のことをしない。犠牲も責任も二級市民であるイレヴンに押しつける。

ユーロ・ブリタニアはユーロピアを「300年前の革命の亡霊」と呼んでいる。利己主義に堕したユーロピアを打倒するのが、戦争の大義名分のようだ。
ブリタニア側が高貴な血筋を持つ者が上から与えるのを良しとし、ユーロピアは逆に、虐げられた民衆の手に主権を握ることを是としている。
しかし、ユーロピアの将軍スマイラスは「有能な独裁者」を求めている。

ここで言う「有能な独裁者」とは、シャルル・ジ・ブリタニアのことだろう。
シャルルは厳しい身分制を堅持し、差別を認め、弱者を救わない。しかし、同時に彼は、内乱で荒廃した国家を世界の三分の一を飲み込むほどの大国に育て上げた。
『反逆のルルーシュ』がシャルルを否定したのとは対照的に、行き詰まったユーロピアはシャルル的な指導者を求めているようでもある。

ユーロピアは王侯貴族を追放し、共和制を取っている。しかし、身分の差は消滅しても、資産の格差は消えていない。
実際、作中ではスマイラスの「利己主義の果ての拝金主義」という台詞や、スマイラスの部下たちの「強欲な資本家が新たな貴族となって民衆を搾取する、このユーロピアの矛盾」という台詞で、貧富の格差が匂わされている。

しかも、ブリタニア貴族出身のレイラと結婚させて家の格を上げようとしているということは、身分差は実は消えておらず背後に引っ込んで見えなくなっただけで、よりたちが悪い。
弱肉強食をストレートに掲げていたシャルルの方が、まだしも誠実だろう。

上でも言及したが、ユーロピアという共同体の成り立ちはナポレオンに始まる市民革命からだが、実際にはナポレオンによる欧州の征服が成し遂げられた世界とも解釈できるかもしれない。
つまり、フランス以外の地域(さすがにドイツは平和的に加入したと思うが)は、ナポレオンによって編入された地域かもしれないということだ。

ユーロピアは自由を標榜しつつ、実際には差別も格差も生きていて、民主主義によって権力が細切れにされているから不満をひとつに受け止める場所がなく、常にうっすら不満が溜まっているのではないかと思う。
その矛先を社会的な最下層であるイレヴン(や他の移民)にすり替えて、政治家が人気取りしているのではないだろうか。

旧フランスを頂点として、他の地域と格差は間違いなくあるだろう。そういう地域から旧フランスへ「出稼ぎ」に来ているユーロピア市民も多く、ユーロ内での「移民」状態にあるとも考えられる。
これは現在のEUでも見られる現象だ。

ユーロピアはどう見ても資本主義国家である。資本主義の本質と言えば、格差だ。画面に貧困層は映らないが、存在はしている。
彼らは同じユーロピア市民なのに、貧富の差がある。貴族は存在しないけれど、冨の平等はない(それは中華連邦の方だ)。
そういう不満がずっとくすぶっているから、イレヴンが激しく排斥されているのかもしれない。
むしろ、言語が異なるユーロピア市民のユーロピアとしての統一感は、外敵であるブリタニアによって維持されているのかもしれない。

イレヴンをゲットーに入れるのに経済的理由から賛成する人もいたのではないかと思う。安い賃金で働く移民を排除すれば本国の人間に仕事が回ってくるからだ(これもそっくり現実の欧州に当てはまる)。
安い労働力が欲しい資本家VS仕事を移民に奪われる労働者で、不満の捌け口は結局、移民に向かう。

ただ、ここで気になるのは、移民の民族構成、人種だ。
メタ的な視点で言えば、日本人向けアニメだから、数多くの移民がいるはずだが、イレヴンしか登場しない。
しかし、あの世界観でも日本は経済大国で、サクラダイトを事実上独占して1億5千万人の人口を抱えた紛れもない大国だ。当然、教育水準も高いだろう。ユーロピアへ渡った移民が揃いも揃って社会的最下層になるのは現実的ではない。

民主主義を求めて革命を起こしたにもかかわらず、民主主義が行き詰まると衆愚政治と呼んで有能な独裁者を求める。ユーロピアを利己主義と呼んだスマイラス本人にも、その言葉は跳ね返る。
そういう人間の自分勝手さをユーロピアはよく表していたと思う。

革命暦とキリスト教

『コードギアス』は言語の壁についてもだが、宗教的対立も完全にスルーしており、そういうところが非常に日本的である。
(ルルーシュが言葉を介したギアスを行使するため、言語の違いは無視せざるを得なかったのだろう)

ユーロピアで用いられる暦は、西暦ではなく「革命暦」という暦になっている。つまりこれは、ユーロピアがキリスト教から解放されていることを示している。
厳密に言えば、暦の算出方法(グレゴリオ暦)が変わったのではなく、紀元をずらしただけだが、その紀元を動かすこと自体が非常に重要である。

ほぼ世界標準的に用いられる西暦の別名はキリスト紀元だ。
EUという共同体のベースはキリスト教にある(だからトルコはEUに加盟できない)。
紀元が異なると言うことは、キリスト教をほぼ完全に排除して、ナポレオンを代わりに据えていることになる。つまり、イエス・キリスト=ナポレオンだ。

スマイラスいわく、ナポレオンが断頭台の露に消えたということは、やはり磔刑に処されたイエス・キリストとナポレオン・ボナパルトは重ねられているように見える。
ナポレオンが史実通り皇帝になろうとしたが、失敗して断頭台送りになった世界線なのかもしれない。しかし、紀元に採用するくらいだから、一定の人気はあるのだろう。
庶民向けの歴史としてはナポレオンは英雄と喧伝している――そういうナポレオンが神格化されたように感じられた。
そういったところに無頓着な感じが、いかにも日本のアニメといった風情だ。

「革命暦」という設定には非常に驚いたが、フランスは政教分離がかなり厳しい国なので、フランスをベースにしたユーロピアもそうであっても不思議ではないかもしれない。

おまけ:スザクが捨てきれなかった友情

『亡国のアキト』に登場したジュリアス・キングスレイはなんだかよく分からない感じで終わってしまったが、スザクの方はしっかり「捨てきれない友情」への葛藤を描かれていた。
この時期のスザクはルルーシュのことを殺してやりたいくらい憎んでいたはずだ。それなのにルルーシュ(ジュリアス)の護衛任務に就かせるのは耐久試験じみている。

おそらく、ジュリアスはスザクに精神的負荷をかけるために使われたのだろう。
ジュリアスをユーロ・ブリタニアに派遣したのは、シャルルがエリア11ばかり注視しているからと、本国を舐めないように釘を刺す意味合いがあっただろう。それと同時に、スザクのメンタル耐久試験――皇帝への忠誠心を試す意味合いもあったのだと思う。
スザクはシャルルに忠誠心があるのではなく、利害が一致しているからシャルルに従っているだけだ。それをシャルルも理解しているから、目的のために私情(ルルーシュへの殺意)を無視できるかの踏み絵として、ジュリアスを使ったのではないだろうか。

スザクはルルーシュへの殺意に一度は負けそうになった。でも、首を絞めて本気で殺そうとしたのに、殺せなかった。
どこまでも、ルルーシュはスザクのたった一人の友達だったからだ。

ジュリアスの「水をくれ」は、幼少期の夏の思い出のことではないかと思う。暑かったあの日、まだ無邪気でいられたあの日の思い出をジュリアスは求めていて、スザクは拒否した。
拒否したくせに「一緒にナナリーを迎えに行こう」と言うのだから、スザクは底抜けに優しい。

スザクの「俺は戦いたくない!」という台詞はとても好きだった。戦いに向きすぎて、でも本当は戦いが嫌いなスザクの本心からの叫びだった。
彼は「愚かな」と自分が殺した兵士とこれから殺す兵士に言う。自分が圧倒的に強者なのを知っているから、上から目線で憐れんでいる。

スザクは殺戮を繰り広げて広間を血の海にして、今しも最後の一人を殺そうとしているのに「戦いたくない」と叫ぶ。本当は誰も殺したくないのに、彼は皆を殺してしまう。その力があるから。
社会的最下層まで落ちたことがあるにもかかわらず、支配者階級出身なのがまるで消せていない。
自分が強者なのを疑いもしないし、実際にそうなのだ。悲しいことに。

シンの回想で「お兄ちゃん帰ろう」と言う幼き日のアキトと「一緒にナナリーを迎えに行こう」と記憶が退行しているルルーシュに嘘をつくスザクは対比に見えた。
どこに帰るというのだろう。帰る場所なんかないのに。

帰る場所を失った二人にはブリタニアからの迎えがやってくる。
ロロがスザクとジュリアスを迎えに来て、「帰りましょう」と言うところもなかなかに悲しい台詞だ。
ブリタニアはスザクにとって「戻る場所」であっても「帰る場所」ではない。それはとっくに失われている。だけど、もうそこにしか居場所がないから、スザクはジュリアスを伴って帰るのだ。ブリタニアに、かつての敵国に。
国家に背を向けたアキトやレイラたちとは反対に。


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