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プロミシング・ヤング・ウーマンをみた

あまり核心は書きませんがネタバレがあるかもしれないですのでご了承ください

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なんだかやたらと絶賛コメントをみたせいで怖くてなかなか観れなかったのだが、ついにみた。
面白かったけれど、ヨッシャ!とはいかない復讐劇。
個人的には復讐劇で思い出すのは邦画の「告白」ですが、あれは最後で満面の笑みになった記憶がある。
多分私の性格がよろしくない。

この映画に関しては全体的に面白かったが、そ、それでいいのか〜〜!って最後に思うなどしました。でもよくあるオチにならない感じになったし、彼女があれでおしまいとする、ヨシとしたのなら良かったのでしょうねと思う。復讐は復讐者の物なので…でも復讐は復讐をうむんですよ……!

といったところで他の気になった点

まず主人公の部屋のファンシー さ。お姫様のようなお部屋で、それがわかるのは終盤の方だけど、(それまでもわかるけど暗くてよく見えなかったりする)部屋に入った人も言わないけれどなぜこんな部屋…?といった顔をしていたので、単なる背景美術ではなく、やはり異常な状況であるという意味のある部屋なんだと思う。
この点に関して他の人の考察は読んでないのだけど、大好きな友人と過ごした幸せな子どもの頃の状態で止まってる(か遡った)のかな……と
もしくは可愛らしい女性らしさの象徴を詰め込んだのか。

確かに主人公が強強の女性の時って登場するアイテムもなんとなく男性的になったりするから、そういうのを排除して徹底的に女性の味方感を出したのかもしれない。

あとこれは人のレビューを読んで思ったこと
「どうしてそこまで友人に入れ込むのか?
もしかしたらそれ以上の関係だったのかもしれない…それならわかる」というようなものをいくつかみて、なんだかなあとなった。
先日「マイ・ブロークン・マリコ」という邦画をみて、これまた女性の復讐劇なのだが、こちらも友人の女性への執着が変だというレビューをみた。

そんなに変か?
「恋人ならわかる」とか言う意見を見るとなんだか枠に嵌るのが好きだね〜という気持ちになる。
なぜ友人のためにそこまで…いや、友人だって愛してたんでしょうよ…それは。もしかしたら本当にこのメインの二人は付き合ってたりとか、主人公が好きだったとかいうこともあるかもしれないけれど、そうでなくても幼い頃からずっと一緒にいた自分の片割れだと言うことを十分ストーリーで説明してたではないか。

恋人だったかも…とか言うのはなんだかメチャ不粋じゃないかねと思いました。

これと全く関係ないというか、ただの偏見ですが、男を必要としない関係性を見た時によく「レズビアンだ!」と言いたがる人がいるな〜って思うのである。もちろんそうだったって良いのだけど、そうやって言いたがる人は大抵理解できない存在としてそうだと言ってしまっているフシがある。(そしてもちろん、「だから自分には理解ができないのだ…」と納得したいのだろう)

私は恋であっても友情であっても百合…な物語は大好きだけど、この「〜ヤングウーマン」「〜マリコ」に関してはそんな友人か? 恋人か? どちらか、という枠に当てはめてはいかんただひたすらにデケエ愛の話ではないのか?と思ったのでありました。

とっ散らかったのでここらでおしまい。

(公開後加筆しました)

#日記 #映画 #プロミシングヤングウーマン #マイブロークンマリコ

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