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私も結構キム・ジヨンだったのね

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今朝の新聞で、「82年生まれ、キム・ジヨン」のトークショーイベントの告知を見てずっとこの本が読みたかったことを思い出し、Kindleで読了しました(住んでる区の図書館では176人待ちでしたよ。え)。

最近もn番部屋事件とかありましたし、韓国ってば、こと女性蔑視に関しては日本よりエグそうだしなぁ・・なんて読み進めましたが、結局「ああ、思い当たるわ」が80年生まれの日本人の私にも満載でした。

特に、ラストチャンスだと思い不妊治療のために仕事を辞めて二か月そこらの私には、社会という荒波の中での盾であり、自分という人間の土台であった仕事を生まれてくる第一子のために手放した主人公の虚無感が手に取るように分かって辛かった・・。

そんな自己が丸裸でグラついてる時に、たかが一杯、安売りしていたコーヒーをたまたま買って飲んでいただけでママ虫(「育児をろくにせず遊びまわる害虫のような母親」という意味のネットスラング)なんて呼ばれる悲しみ。こんなこと言う輩は本当にアウストラロピテクスからやり直してきてくれ。

どうか男性は、男性が作った社会の枠組みの中で、女性だけが直面しがちな岐路と、そこに否応なしに立たされて、選択肢があるようでなくて、自分で何とか作り上げてきた社会での梯子を自ら壊さなくてはいけなくなった女性の心情を想像してみてほしい。呑気に昼間お茶して旦那をATM呼ばわりしてそうな悪妻に見えるその人にも、表面からはわからない物語があるのかもしれない。

一方で、なぜママ虫なんて言葉が出てくるほど余裕がない人がいるのだろうと考えた時に、男性には男性の生きづらさがあるということも忘れちゃいけない。

女性と違って「家事手伝い」や「主夫」という肩書が世間から理解されにくかったりするもんだから、仕事にしがみつく以外に逃げ場がなくて、常に背水の陣!的なストレスはあるよね、きっと。

「女はいいよな」なんて言葉に、蔑み以上の悲壮感が漂うのはそのせいだ。「らしさ」とか「べき」、「・・じゃなくてはいけない」なんて性に関する固定概念を徹底的に取っ払て人を見ることができれば、男女共にもっと楽に生きていけるんじゃないかな?私は、そうしようと思う。

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そういえばこの前、近所の居酒屋に夫と行った時の会話もまさしくキム・ジヨン的だったなぁ。お店にいたおじいちゃま・おじちゃま達から「おー、あこんちゃん仕事辞めたんだってね。じゃあ何?今”何もしてないの”?」。

一ミリも悪気はないのが分かっているから、曖昧に笑うしかない。夫との子供を産むために私だけが会社を辞めてしょっちゅう病院に行って血を採られて股開かされてますし、家で洗濯して掃除機かけて風呂・トイレ掃除して家じゅうのホコリ払って朝・夕食はほとんど作って、今後子供が生まれたとしても育休なんて絶対に取れないし、取るつもりもない夫を頼らずワンオペできるように在宅でできる仕事に必要なスキルを身に着けようともがいてますけどね!とか言ったところで、これまた悪気のないカウンターが返ってくるだけなので。

今朝も夫が不意に、「そのうちさ、この辺でパートでもしたらいいよ」とか言い出したりして。スーパーのレジ打ちが嫌とか、そういうことではなくて、私の得意分野とかやりがいとか、人生100年って考えた時のキャリアプランとか、そういう視点はないのかな?と悲しくなりました。夫は単に、体に負担をかけない仕事をしたらいいよ、という好意のつもりだったのは分かるんですけどね。

こういった男性たちの、悪意はないのに、むしろこちらを気遣ってくれている節すらあるのに、その発言がジワジワとキム・ジヨンのHPを奪っていく場面は本でも随所に見られます。

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最後に。地下鉄でお腹の大きいキム・ジヨンに「そんなお腹になるまで地下鉄に乗って働く人が、何で子供なんか産むのさ」と吐き捨てたクソクソビッチな女子大生が10年後くらいに、あの時自分が暴言を吐いた「そんな人」のおかげで自分たちの生きる道がちょっとずつ楽になってきたんだなってことを実感できる社会になっていますように!

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