冨田勲ディスコグラフィー(抜粋/再録)

『月の光/ドビュッシーによるメルヘンの世界』

(1974年/日本ビクター)

シンセサイザー組曲第1作
米でグラミー賞候補作に

 71年に日本で初めて大型のモーグIIIシンセサイザーを個人輸入。前年に上陸した普及型のミニ・モーグをノベルティ的に使っていた同業者が多い中で、冨田はオーケストラに替わるものとして、楽器的意味を理解するのにじっくり時間をかけた。74年にやっと第1作『月の光』を発表。『スイッチト・オン・バッハ』 の線画的描写に対し、仏の印象派作家ドビュッシーのピアノ曲を題材に選び、色彩感豊かな音作りとアニメーション的な音の動きを加えてリアライズ。わずか24ステップのシーケンサー3台で、 ここまで緻密なアンサンブルを構築したことは驚愕に値する。リング・モジュレーターによる鐘の表現なども、ドップラー効果をシミュレートした音階変化を付けて、音の揺れを演出するきめの細かさ。テレコのキャプスタンにガムテープを貼り付けて、回転ムラによってモジュレーション効果を加えるなど、エフェクターがない時代に自然界の物理現象を取り入れたサウンドメイクは、「冷たい機械の音楽」と言われた電子音楽の印象を覆した。
 制作はティアック、ソニーの国産の4chレコーダーで進められ、 最初に完成したのは「ゴリヴォーグのケークウォーク」。多重録音手法の確立のためトライ&エラーに大半の時間が費やされ、 NHK大河ドラマ作曲などと並行して制作期間は14ヶ月に及んだ。表題曲「月の光」は「ベルガマスク組曲」の第3番で、1音ずつパンニングする音の動きにすでに立体音響探求の片鱗が。担当ディレクターによれば、同社との契約は日本ビクターが開発していた CD-4という4chステレオ技術への関心が決め手だったそうで、制作終盤にサラウンド・ミックスを作るためにアンペックスの16chレコーダーを導入。『ダフニスとクロエ』までの全作で、4chレコードが作られリリースされている。
 前年に完成していたが日本のレコード会社に持ち込むも反応は鈍く、冨田は米RCAにアプローチ。8枚分の契約を勝ち取り、 以降の作品は ”洋楽扱い ”で日本に紹介されることとなる。翌年にはグラミー賞4部門にノミネートされ「世界のトミタ」の第一歩を記した。

『展覧会の絵』

(1975年/日本ビクター)

EL&P を凌駕する野心作
ラヴェル編曲を換骨奪胎

 『月の光』ヒットの報に励まされ、創作意欲高まる中で制作された第2作。前作の半分の7ヶ月で完成させた初の組曲で、念願のビルボード1位に。日本人記録としては坂本九「上を向いて歩こう」以来の快挙となった。当初「ダフニスとクロエ」が次回作に準備されていたが、米RCAにキャンセルされ、A&Rのピーター・マンヴスが本作を推薦。CBS在職時に『スイッチト・オン・バッハ』をヒットさせた、冨田のアメリカでの成功の立役者の狙いはおそらく、72年のエマーソン・レイク&パーマーのシンセサイザー版を意識したものだろう。『展覧会の絵』はロシアの作曲家、ムソルグスキーの代表作。「はげ山の一夜」も演劇用のウィンド・マシンを使ったハイライト演奏で知られており、スペクタクルな曲調はいかにもシンセサイザー向き。元はピアノ曲だがラヴェル編曲の管弦楽版のほうが知られており、第5プロムナードの省略など、本作も構成はラヴェル編を範としている。
 「卵のからをつけたひなの踊り」で聴ける、ヒヨコと親鶏、途中でおじゃま虫に登場するドラ猫のやりとりは、手塚アニメのような描写力。エスニックな京劇風やスティール・パンのアンサンブルなど、ムソルグスキーに曲想を与えたハルトマンの絵画展のように異国情緒豊か。フェイズシフターによる「こびと」のジェット効果は録音芸術の真骨頂で、SF版『展覧会の絵』とも言うべき冨田のストーリーテラーぶりが発揮されており、聞き手を絵画から成層圏へと誘う。
 録音後半でDBXのノイズ・リダクションが導入され、沈黙と器楽音の対比がより抑制されたものに。静寂が奥行きを感じさせる構成は、しばしば「能の影響」と讃えられた虫プロのリミテッド・アニメーションを彷彿とさせる。コントロール・インプットに直接鍵盤を繋いでアナログ・シーケンサーをオシレーターに用い、つまみの位置で複雑な波形を作り出すという発明者のモーグ博士もビックリの使い方も。低域が弱いと言われるモーグ作品にあって、FM 音源に迫る鋭いコントラバスの響きが本作に重厚感を与えている。

『火の鳥』

(1975年/RVC)

バレエ有名曲をロック調に
手塚治虫がジャケット画を執筆

 ショートピース中心の過去作から一転して、初の長編作品に挑んだ第3作は、ストラヴィンスキーのバレエ組曲。前2作のモチーフがピアノ曲だったのに対し、初の管弦楽曲を取りあげたこともあり、オーケストラ編曲はより壮大に。「カスチェイ王の魔の踊り」の冒頭のオーケストラ・ヒットはサンプリングと見まがう迫力。ピエール・ブーレーズ指揮の名演で知られるように、甘いメロディーのない前衛曲で、従来のコミカル表現は控えめ。冨田を セミクラシック的に捉えていた、偏見の強いクラシック文壇に対する挑戦状的内容となった。
 従来のモーグIII-Pに加え、ヤマハが国内販売を開始したシステム55を新たに導入し、より表現も多彩に。弱点だったモーグの低域表現を克服し、イントロのコントラバスはレコード盤で聴くと、リスニングルームの壁まで共振させるインパクトがある。 イエスのコンサートの序幕曲としてロックファンの間でも知られる同曲。ライナーの曲解説に綴られた冨田筆による、登場人物の魔王カスチェイを宇宙人になぞらえるなどの新解釈は、ロック・ ミュージカルで有名な英国の戯曲家、アンドリュー・ロイド・ウェバーとの同時代性も。ホーナーのクラヴィネット、自作のレスリー・スピーカー、弦楽器シタールの導入による音は生々しく、 ディストーションとおぼしき音の歪みによるアタックなど、ロック的ダイナミズムさえ感じられる。その冒険的解釈が作品改竄だと音楽出版社の理解を得られず、まずは日本のみで発売。世界発売は翌年となり、チャート5位と国際的売り上げは振るわず。
 アナログB面の、ドビュッシー「牧神の午後の前奏曲」、ムソルグスキー「はげ山の一夜」は、『月の光』『展覧会の絵』のアンコール編。前者は CD時代になって、一部海外盤の『月の光』のボーナストラックの座に納まった。アルバム末尾を飾る「はげ山の一夜」で聞ける音のサーカスには、旧来のファンも心躍るだろう。『火の鳥』と言えば手塚治虫にも同名の代表作があるが、虫プロ作品を手掛けた縁もあって、日本盤には手塚描き下ろしのジャケット画が使われた。

『惑星』

(1977年/RVC)

難曲ホルストの試練を越え
英国も喝采した初期代表作

 イギリスのホルストが書いた組曲で、逝去時に編成の改変、部分演奏などを禁じたいわくつき作品として有名。「木星」のコーラスのみ大編成の合唱隊を必要とするため、上演されにくい演目として知られるが、モーグによる架空のシンフォニーを強みに、 分厚い人声合成コーラスでハイライトを演出している。同年のNASAヴォイジャー打ち上げに刺激され、元は占星術にあやかったオカルトな同曲をSF ファンタジーに仕上げて、音による宇宙旅行が楽しめる内容になっている。
 管制塔と宇宙飛行士の会話を模して、”パピプペ親父 ”の声を富士山の五合目からトランシーバーで飛ばし、空気中の電波やノイズが干渉してできる劣化音を用いるなど、のっけから濃厚な科学ムードが。パンチカード式オルゴールによる「木星」のテーマなど、楽音を取り巻く音響演出が曲をドラマチックに引き立てる。 テープ2本の音のズレを使った、マニュアル操作によるフランジング効果は強烈。ロケット発射場面などの絵コンテ的な作り方は、 クォードエイト導入による初期型のコンピュミックスによるもの。また4ch による立体音響がまだ一般的ではないとの判断から、 ビクター音響研究所で開発中だったバイフォニック・ミキシング 技術を取り入れて、通常のステレオでも音が頭の周りをぐるぐる 回るように聞こえる、ダミーヘッドを用いた特殊なトラックダウンが施された。ローランドのシステム700や RS-202(ストリングス・キーボード)など国産シンセも今作から。『月の光』もエーストーンのプリアンプが隠し味的に使われていたそうで、洋邦機材の折衷がきめ細かな音作りに反映されている。 ビルボード、キャッシュボックスで1位になり、全世界で250万枚をセールス。評価はアメリカから飛び火し、作者の本国イギリスでも大ヒットに。敗戦国の戦時加算事情でホルストの著作権 が生きていたため、日本での発売は1年遅れ。国ごとにCDが発売できないなどの障害はあったが、現在では複数作られたリメイク・ヴァージョンも含めて、『惑星』は冨田のライフワーク的な作品となった。

『BBC TRANCECRIPTION DISC TOMITA』

(1976年/BBC/非売品)

冨田が舞台上で卓を操作する
欧州ツアーの実況録音盤

 『惑星』のヒットでイギリスから公演の要請受けるも、冨田シンフォニーはあくまでスタジオの架空の産物。そこで壇上に上がった冨田がコンソールをリアルタイムで制御し、ライトショーやスモークなどの演出を交えたプロモーション・ツアーのアイデアが生まれた。その一環で行われた76年5月1日のロンドン・ハマースミス・オデオンの1時間弱のコンサートを、ナレーションを交えてダイジェスト収録したのが本盤。BBCより世界各国の放送局にトランスクリプション・ディスクとして配布され、日本でもFMラジオ放送でオンエアされた。
 収録曲は『月の光』より「雪は躍っている」、「月の光」、「アラベスク第1番 」、「パスピエ」 と 『火の鳥』の表題曲。「火の鳥」(および未収録の『展覧会の絵』)ではピアニストのマイケル・リーヴスが加わり、テープとピアノのセッションが披露された。すでに冒頭の5分が完成していた「ダフニスとクロエ」はツアーで初披露。冒頭の組曲第2番「夜明け」と、“SYNTHESIZER SOUNDS DEMONSTRATION” と称した、分解写真風に多重録音のプロセスを聞かせるメイキングが収録されている。SLの効果音、口笛、鐘の音の作り方の説明などは、2012年にリメイク された『月の光 Ultimate Edition』の「口笛と鐘 - アート・オブ・サウンド・クリエーション」を先取りするような内容が楽しい。テープコンサートといっても、重量のある大型コンソールを ステージに持ち込むだけでも前代未聞。冨田のプライベート・スタジオでの作業を垣間見れるような演出的趣向があり、モーグ III-Pによる即興ノイズがブレンドされた、リミックス・ヴァー ジョン集として楽しめる内容になっている。
 ピンク・フロイドの4chシステムを使った立体音響によるコンサートを手配したのが、当時RCAレッドシールのディレクターだったラルフ・メイス。このツアーで冨田の信頼を得ることとなり、88年のシドニーでのサウンドクラウドのプロモーション、 制作進行のほか、『源氏物語幻想交響絵巻』のロンドン録音もサ ポートしている。

『冨田勲の世界』

(1977年/RVC)

創作の秘密を自らが解説
未発表曲も含む2枚組

 唯一未CD化の企画盤。冨田がシンセサイザー多重録音による 創作の秘密を公開したサウンドドキュメンタリーのディスク1 と、『惑星』で導入されたビクター音響研究所のバイフォニック・ ミキシング技術による、過去3作の抜粋曲をリミックスしたディスク2の2枚組で構成される。『サウンド&レコーディング・マガジン』初代編集長を務めた、元ローランドの菊地公一が解説文を寄稿。冨田のサウンドメイクは高価なモーグ・シンセサイザーが主役ではなく、安いマイクや玩具のトランシーバーなど使った、 コロンブスの卵的な創意工夫によって作られていることをわかりやすく解説している。
 第1章「素材から音楽が出来るまで」は、欧州ツアーで披露された未発表曲「ダフニスとクロエ」の「夜明け」のパートを、メロディー、SE、コーラス、アルペジオなどに分解して多重録音のプロセスを紹介。YMOでもおなじみ「キッコッコッコ」のドンカマ音も。短いが完成ヴァージョンも収録されており、2年後に発売されるアルバムの予告編になっている。第2章「効果音とその素材」では、『惑星』に挿入された宇宙ロケットの効果音の作り方を分解写真風に解説。「UFOの飛来音」のパートでは、次作『宇宙幻想』収録の「アランフェス協奏曲」の冒頭部分がちらっと紹介されている。セールスポイントは、シンセサイザー多重録音第1作「銀河鉄道の夜」(10分の編集版)の再録と、日本ビクターのCM用に作られた『月の光』収録の「沈める寺院」のリミックス・ヴァージョンが唯一収録されていることだろう。
 ディスク2は『月の光』より「パスピエ」、「月の光」、「アラベスク第1番」、「ゴリヴォーグのケークウォーク」、『展覧会の絵』より「プロムナード」、「古城」、「チュイルリーの庭」、「卵のからをつけたひなの踊り」、「バーバ・ヤーガの小屋」、「キエフの大門」、 『火の鳥』ダイジェストを、ステレオ2チャンネルで立体音響が楽しめるバイフォニック・ミキシングでリミックスしたもの。初の公式ベストとしても愛され、本作のCD化を待望するファンも多い。

『宇宙幻想』

(1978年/RVC)

SFを主題にした宇宙第2作
MC-8 導入で超絶プレイも

 『スター・ウォーズ』、『未知との遭遇』公開で起こった SF映画ブームに触発され、独自のストーリーの下、クラシック曲の断片を再構成して作られたコンセプトアルバム。「ツァラトゥストラはかく語りき」はご存じ『2001年宇宙の旅』の開幕曲。「ワルキューレの騎行」も翌年公開の『地獄の黙示録』で有名だが、コッポラの希望で冨田勲に音楽を依頼する計画があった逸話は有名だろう。「ソラリスの海」はリバイバル上映中だったソ連のSF映画『惑星ソラリス』にオマージュを捧げたもの。劇中でかかったバッハ「我汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ」、「三声のインヴェンション」が挿入されている。
 蒸気機関車の躍動感を描写した「パシフィック231」がハイライトで、SLマニアでもある冨田にとって処女作「銀河鉄道の夜」 のいわば続編。発車部分の速度制御をエンベロープ・フォロアーで追随させ、汽笛や踏切音なども模写しつつ、列車の動きをアニメーションのように演出している。作者のオネゲルはフランス6人組で有名な近代音楽作家だが、ほかアイヴス、ロドリーゴなど20世紀の作家を取り上げているのが本作の特徴。「答えのない質問」のような前衛音楽までレパートリーに加えて、冨田の新局面を見せている。また、制作後半で初のデジタル・シーケンサー、 MC-8がローランドから到着。「ホラ・スタッカート」では、ディニク作曲のヴァイオリン曲を超絶プレイで弾かせるなど、一種のデモンストレーションを披露している。8トラックをフルに使って、強弱表現なども完全にコントロール下に。
  「スター・ウォーズ」は完成間際に、米RCAからの要請を受けて約1週間で制作されたもの。リズム・ボックス(TR-66)を交えた軽めのテクノポップ風に仕上がっている。名匠ベン・バートが手掛けたアープ2500による R2-D2の効果音を模して、「エリーゼのために」を歌わせるなどシミュレーションも見事。勇ましいファンファーレの序曲、缶のフタが転がる効果音をラストに加えたシングル・ヴァージョンも作られており、アメリカ盤はこちらに差し替えられている。

『バミューダ・トライアングル』

(1978年/RVC)

「魔の三角地帯」がテーマ
上下に音が動く立体音響

 『惑星』に始まる「宇宙三部作」の最終作。「ヴァイオリン・コ ンチェルト」ほかプロコフィエフの曲を多く採りながら、曲題はすべて自作のSF小説のような独自の章タイトルが付けられており、「ゴリヴォーグのケークウォーク」や『どろろ』の劇中BGMなど自作曲も交えて、バラエティ豊かに構成している。生前10ccへの愛着を表明していた冨田だが、音響詩的な構成はゴ ドレイ&クレーム『ギズモ・ファンタジア』の影響を伺わせるものが。本作のテーマは、旅客船、旅客機が忽然と姿を消すミステリー現象で話題になった、大西洋のバミューダ諸島を一点とする 「魔の三角地帯」。その海底に存在するという巨大なピラミッドの逸話は、サウンドクラウドにも再登場するファンにはおなじみの モチーフだろう。海の見える環境で創作したいと、本作は伊豆のプライベート・スタジオに機材を持ち込んで録音された。
 従来の4chに天井の+1のシーリング・チャンネルを加えて、 音の上下運動を可能にした5チャンネル作品として構想されており、神奈川県大和市にあるビクター音響研究所にピラミッド型の視聴室を作って、そこで最終仕上げが行われた。オリジナルは5チャンネル作品だが、リスナーには翌年の武道館公演で披露されたのみで、ドルビー・サラウンドのない時代ゆえ、マスターは未商品化。2チャンネルステレオでも楽しめるよう、普及盤は2台の スピーカーをトライアングルの一角に置くと音が上下左右に動いて聞こえる、バイフォニック・ミキシングによる疑似立体サウンド版としてリリースされた。メーカーとタッグを組んだ立体音響探求には高い賛辞が贈られ、冨田にとって2度目となる米グラミー賞ノミネートの栄誉を受けている。 挿入された「謎の電波」はただのノイズではなく、ターベル社の音声カプラーを接続したPCにつなぐと、モニターに宇宙人か らの英文メッセージが表示されるというコンピュータ信号。アメリカでは逆位相でカッティングされたため読めたのは一部だけだったそうだが、原因究明して表示を成功させた当時の冨田ファンの熱意に圧倒される。

『ダフニスとクロエ』

(1979年/RVC)

仏近代作家ラヴェル作品集
海外は「ボレロ」が表題に

 初期スタイルに戻り、ラヴェルの4つの作品を取り上げた作品集。『月の光』の次作品として冒頭5分が完成していたが、米RCAから一度キャンセルに。作業にあまりに手間がかかるため一端棚上げされた後、MC-8導入で高度なシーケンスが可能になったことから、続きの作業に着手され、米RCAの最終作品として79 年に発表された。とは言え原曲の知名度は高くないため、 アメリカではカップリングの『ボレロ』に表題を入れ替えてリリー ス。LP収録時間の限界から短縮版として作られた「ボレロ」は、 おそらくメーカー側のリクエストで作られたものだろう。冨田がもっとも愛着を寄せる「ダフニス」に比べると、「スター・ウォー ズ」に似た軽めの仕上がりに。
 題材がピアノ曲ということで初期2作を思わせるファンタジー傾向が強く、『月の光』が入門盤なら次に聴くのは本作との声も高い。ウォークマンなどの普及による試聴環境の変化を理由に、 高級オーディオを必要とする 4chレコード制作は本作で打ち止め。位相処理のために音質が犠牲になるバイフォニック・ミキシングでのミックスも諦め、音質優先をテーマにしたためコクのあるサウンドになっている。鳥の鳴き声のSEや深いストリングス、 ヴォコーダーによる合唱など、次作からデジタル・シンセサイザーによる創作に移行することも思えば、アナログ環境で作られた70年代の総決算的作品と言えるかも。 カップリングの「マ・メール・ロア」は、英国では「マザー・グース」として親しまれている伝承民話を、仏の作家シャルル・ペロー がまとめた童話集を元に書かれたもの。もともと子供向けのユーモラスな作品だが、「パゴダの女王レドロネット」では京劇風のアンサンブルが取り入れられ、西洋と東洋がぶつかり合うサウンドが刺激的。「亡き王女のためのパヴァーヌ」ではペルーのパンフルート風の音色が聞かれるなど、ワールド・ミュージックへの関心が伺えるアルバムでもあり、本作完成後の約2年の作品未リリース期間、冨田は未知の音響を求めて、南米、エジプトなどに取材旅行を重ねている。

『大峡谷』

(1982年/RVC)

シンクラヴィアII 導入の新機軸
サンプリングで写実的筆致も

 「パシフィック 231」のオネゲルはサイレント映画期に数多くのスコアをハリウッドに提供したが、本作のグローフェもSF映画『火星探検』(50年)や万博パビリオン音楽などを書いている、アメリカの冨田勲的存在。約2年のブランクに世界の秘境巡りを過ごした冨田は、広大なグランドキャニオンの風景に心打たれ、 次作に同作品を選んだ。「シェエラザード」、「春の祭典」など、 予定されていたファンタジー作品は一端取り止め、お蔵入りに。    
 アリゾナ州北部の名所「大峡谷」の風景を音で表現した管弦楽曲。ラヴェル「ボレロ」のように厳かに始まる、「日の出」の大陸的音の広がりが素晴らしい。「山道を行く」では、ロバとの道行きをディズニー映画風に情景描写。通常は演劇用のウインド・ マシンを使う「豪雨」では、旅行先で体験した落雷の轟音を見事にサウンド化している。
 ハーモニカの複雑なブレス、遠雷のエコー、「赤いさばく」の艶やかなベル・サウンドは、81 年にスタジオに導入された黎明期のデジタル・シンセサイザー、シンクラヴィアIIによるもの。 メンテナンス込みで約1億円と謳われた、FM音源とサンプリングで構成される一種のワークステーションで、自然界に存在する現実音と電子音が同じパレットで扱える環境に。その架空楽団は “プラズマ・シンフォニー・オーケストラ” と名付けられ、以降の冨田作品は同名義でリリースされていく。冨田勲指揮の下、パートごとにモーグIII、プロフィット5など楽器名が楽団員としてクレジット。おなじみ “パピプペ親父” の音は、シンクラヴィアのライブラリー用にサンプリングされたモーグIIIの音で、完全なデジタル環境への移行を目指したと言うものの、旧来の冨田サウンドのファニーな響きは失われていない。
 アメリカ盤が先行して発売され、デジタル第1作となった本作で3度目のグラミー賞候補に。だがシンクラヴィアII時代は度々起こる故障に悩まされたらしく、修理の度に本国送りに。アナログ時代の苦労に替わって、デジタル黎明期のシステム構築には多くの時間が取られ、寡作ペースになっていく。

『ドーン・コーラス』

(1984年/RVC)

宇宙の電波を音源に利用
自然現象と電子音楽の混淆

 英題は“三星のカノン”で、パッヘルベル「三声のカノン」を宇宙風にもじったもの。使用曲はバッハ作品から多くが取られて おり、ギターの練習曲でも有名な、近代ブラジルの作曲家ヴィラ=ロボスの編曲版を用いている。しかしモチーフはあくまで脇役。 邦題は「ドーン・コーラス」(暁の合唱)と名付けられ、戦時中の冨田少年が体験した不思議な音響体験が、本作を貫くコンセプトになっている。
 地球を取り巻く磁気圏を、太陽から飛び出してくる微粒子が振動させて、無線機やラジオが「ピューイ、ピューイ」とノイズを鳴らす、ドーン・コーラスという現象。第一次大戦中、通信兵が航空無線で受信したという怪奇現象として知られるこの音を冨田は、疎開先の岡崎で早朝のNHKラジオでよく耳にしていたと いう。太陽の黒点が作用して音が変化する、自然界が発する鳥のさえずりの合唱のようなこのハーモニーが、加工されずそのまま本作の冒頭に使われている。
 今回の主役は自然界に存在する音。前作で楽器を楽団員になぞらえた“プラズマ・シンフォニー・オーケストラ”のクレジットが、ここではそれら自然音に置き換えられ、天界の星々がオーケストラ団員を構成する、科学ファンタジー的な内容に。天文学者の科学考証の下、茨城の平磯にある宇宙科学研究所の天文台で電磁波や光の信号を採取。宇宙から届いたパルス波形を VCO に見立てて、その信号をサンプリングしてデジタル・シンセサイザーに取り込んだものが、本作のオーケストラを構成する音源として用いられている。
 シンクラヴィアII、イミュレーター、リン・ドラムなどの黎明期のサンプリング・モジュールのほか 、 スポンサーだったカシオ計算機が開発した「コスモ・シンセサイザー」を使用。 ペンタブレットに る波形入力やサンプリング音の加工も可能な、フェアライトCMIのようなラックマウントの国産デジタル・シンセサイザーで、ハイエンド機ゆえ市販はされなかったものの、翌年のつくば万博などでも活躍。80年代後期にわたってトミタ・サウンドの一翼を担っている。

(コンサートパンフ「DrCoppelius」より抜粋)


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