今週の出来事(1/11~1/17)
Thought and Trip [Week 46.]
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今週の出来事を書いていきます。
1月11日(月曜)
極上のとろけ体験、そのヒントは五感の統合拡張にある。
拡張体験によってとろけることで知覚レベルで相手を認められるようになる。
1月12日(火曜)
極上のとろけ体験には、引き算の方が重要のようだ。
1月13日(水曜)
とろけるとは、どうでも良くなること。
否定のエネルギーをどうでもよくし、別の方向に向かわせる下地作りのようなものだ。
いかにしてどうでも良くさせるかだ。
1月14日(木曜)
多層的に生きることで、心の拠り所を複数に分散化させる。
否定のエネルギーというのは、別の拠り所では貴重な情報になりエンジンとなる。
1箇所の価値観に自己を内面化する時代は終わった。
1月15日(金曜)
資本主義の鬼モード。
思考は存在しない。
1月16日(土曜)
破壊的可塑性という概念に出会う。
これはヤバい。
1月17日(日曜)
破壊的可塑性が何がヤバいかというと、未だに自分の中で消化しきれないから。
後、言葉の並びが退廃的かつ難解さを感じるのでなんかそれも良い。
ひとまず概念を愛でるところから始めてみる。
そして、この概念を作品性をもって表現しようと考え始めることで、この異質で理解し難い存在を認め、たのしむことができる。
振り返り
成長という概念に疑問が生まれてきた。
どこか線のようなイメージを感じる(右肩上がり?)
しかし、今の時代性で求められるであろう概念は、循環などの面のイメージであり、僕の思考では、重要なのはうごめきであると考えている。うごめきも面。
成長は主語的であり、循環やうごめきなどの概念は述語的であると、何となく感じた。
主が曖昧な部分に本質を感じる。
それは、主と主の間には余白があり、その余白(関係性)に人は意味を与えることで価値を生み出し、その価値によって自己の存在を認めているという構図がぼんやりとだが、本質と感じているため。
つまり、うごめき自体(関係性自体)が自己なのだ。
そして、うごめき自体が自己なのだ、と感覚的に認識するには、破壊的可塑性によって、自己の形と存在を破壊し、再構築することで実現するのかも。
そして、その自己を作品として表現しようとした時、生産的感受性が刺激され極上のとろけ体験、爆発的な悦びが生まれる気がする。
激しくもやもや
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