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今週の出来事(11/14~11/20)

Random thoughts and head trip [Week. 141]

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今週の出来事を書いていきます。

今週の振り返り

美しい耕し方としては、

バンドを組むように活動する。

というのがあるな。


11月14日(月曜)

よもやま。

11月15日(火曜)

調べる。

11月16日(水曜)

閉じたい。

11月17日(木曜)

見えてきた。何かが。

11月18日(金曜)

考えている時が一番楽しい。

11月19日(土曜)

表現とは閉じることであり耕すことである。

11月20日(日曜)

閉じられた世界観とうごめきの関係性について気づく。

うごめきとは、我々や世界、関係性であったり場であったり空気だったり、その時の意識であったりするものだ。
個の境界を横断する曖昧な何かだ。

そして、うごめきは、絡まり合いから生み出される。

閉じられた世界観は、うごめきを自分と自分以外に分ける境界のようなものだ。
閉じられた世界観は、確かに自分の中にあると感じる感覚、感性、世界の見え方だ。
閉じられた世界観は自分の中にあり、閉じられた世界観の範囲で自己を認識する。
閉じられた世界観は、他者からは決して完全に理解できないものであり、直接操作(コントロール)できないものでもある。
直接操作ができるのは、道具や仕組みである。閉じられた世界観ではない。

異物同士である我々は決して分かりあうことはない。分かり合えてる、相手のことを分かっていると思うなら、それは幻想である。
コントロールもできない。
しかし、うごめきを耕すことはできる。

耕すとは、能動的に何かを作り、共に作られることだ。
うごめきは耕すことができる。
分かり合えなくとも、思い通りに操作できなくても。
耕すために、道具や仕組みを使う。
我々にとって美しいうごめきとは何か?いかに耕すのか?

閉じられた世界観は自分自身の中に閉じられており、決して世界にそのまま出てくるものではない。
しかし、閉じに閉じることで、うごめきに認識できる形で置くことができる。
それが表現である。
そして、表現された認識できるものは、うごめきを耕す道具にもなる。
表現することで、うごめきは変化し耕される。
美しい閉じられた世界観とは何か?いかに表現されるのか?

これらの問いが、うごめきと閉じられた世界観で読み解いた場合の、生きるあり方、なのだと思う。

【今週のPodcast】


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