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私が容姿コンプレックスを(ほぼ)克服するまで

コンプレックスを植えつけられた小中

私は容姿にとてつもなくコンプレックスを持っている。
「可愛い」なんて言ってもらえるようになったのは、高校からだ。
ずっと「ブス」と言われてきたし、自分でも「ブス」だと思っていた。

ずっと鏡は直視できなかった。
写真も嫌いだった。
自分が写っている写真は、ほとんど保存していなかった。

コンプレックスを一つずつ挙げたらキリがない。
頭のてっぺんからつま先まで、コンプレックスだらけだ。
ずっと全身整形したかった。

「克服」しようとした高校

小中で「ブス」として扱われてきたのに、高校で急に「可愛い」と言われて、心から戸惑った。
皆が優しいからそう言ってくれるのだと、ずっと思っていた。
裏があるようでむしろ怖かった。
「きっと陰ではブスと言っているのだろう」と思っていた。

それでも私は可愛くなりたかったから、高校に入って努力した。
似合う服装を研究し、メイクも試行錯誤した。
美容は情報収集、自己分析、そして練習。この3つが大事だ。
今も時々一人で練習している。

姿勢や歩き方、所作もたくさん研究した。
外が駄目なら中身で勝負だと、前向きなのか後ろ向きなのかわからない開き直り方をした。

正直、今褒めてもらえるのは努力をしたからだと思っている。
お金も時間も費やした。
もちろん親から受け継いだものもある。
でも、どんな素材を持っていても、きちんと自分で理解して磨かなければどうにもならない。
世間的には欠点だとされる要素も、たくさん持っている。

「美の基準」

だから、
「あなたは可愛いから」
「美人は得だよね」
と片付けられると納得いかない。
「私はブスだから」
「あなたには分からない」
と言われるのもどうしてもモヤモヤする。

私がこれまでどれだけ傷ついてきたのか。
どれだけ必死に頑張ってきたのか。
何も知らないくせに、と思ってしまう。

でも、そう言わせているのは、世間が押し付ける「美の基準」だ。
私が苦しんだのも、基準を押し付けられ、自分もその基準に合格しようと無理をしたからだ。
きっとみんなみんな苦しんでいる。

「ブス扱い」「美人扱い」

私は周りに振り回されて「ブス扱い」も「美人扱い」も受けてきた。

「ブス」はいじってもいい存在として扱われる。
いじられたらいくら傷ついたとしても笑わないと、「空気の読めないヤツ」「ノリが悪いヤツ」と新たなレッテルを貼られる。

「美人は得」と言われる。
でも「美人」は「美人」で不公平だ。
どんなに努力しても「あなたは美人だから」で済まされる。
媚なんて売っていないのに妬まれる。
「美人」は妬み嫉みの対象、「引き摺り下ろしてやりたいヤツ」になる。

それぞれの地獄がある。

好きになる努力

私は、世間が求める「美」に無理に合わせるより、自分の個性を活かそうと少しずつ思えるようになった。
自分の強みを研究して、それに合わせるようになった。

写真を撮ってもらうようになったのも、それをSNSに載せるようになったのも、真正面から向き合おうと覚悟を決めたからだ。
本当はすごく怖かった。
「調子の乗るな」
「ブスのくせに」
「痛い」
と言われるのではないかと、いつも怯えている。

それでも、私は自分の容姿を好きになる努力をした。
自分の容姿を「改善」する努力よりも、ずっと怖かったし大変だった。

大切なこと

「可愛くなりたい」
「綺麗になりたい」
「カッコよくなりたい」
と思うことは素敵だ。
ただ、それが誰かから押し付けられたものだとしたら辛い。
そのままでも私たちは十分素晴らしい。
でも、自分の理想のためにさらに努力している人たちを私は尊敬する。

誰も「ブス」なんて言われない世の中にしたい。
私たちは皆可愛いのだから。

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