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為替変動に一喜一憂の日々

仕事でトルコやアゼルバイジャンなどに行ったり来たりしはじめるようになってから、為替レートは自分にとって無視できない存在になりました。

日本円以外の資産を持っていない(今も積立NISAを少額やっている程度で、ほとんど資産とは言わないと思います…)自分の身からすれば、円はとにかく高いほうがありがたいのです。なおかつ、研究活動をやっている以上は国外に出なくても洋書を購入したりしますから、実際に国外に出る出ないに関係なく円高歓迎ということになります。

おそらく同業のみなさまも状況は似ているのではないかなと思うのですが、まあそれは資産の配分状況によっても違うのかもしれません。ともかくポンコツ・プロレタリアートの身としてはいただくお給金の価値が高いほうがありがたいというのは間違いないのです。

それでいうとトルコで日本語を教えていた時期は、トルコリラ自体が値下がり傾向にあったというのを相当痛感した期間でもあり、また日を追うごとに下落していくトルコリラ為替の報道を目にするたびに落ち込む日々でもありました。

5年間滞在して、お給料の出入りがあった銀行は某大手銀行('İ'で始まる例の銀行ですな)1社だけだったのですが、ともかくその銀行の口座を作ってもらいますと、かなり頻繁にオンラインで口座のお金をいろいろ操作していました。

ある時は携帯電話(まあ、スマホですね)の料金を支払い、またある時はクレジットカードの支払いを前払いしたり(それができたのでありがたかった)、そして一番大きな目的は、トルコリラを外国為替に変えることでした。

今はどうなっているかわからないですが、当時は日本円の口座も作ることができました。ですのでお給金の日(毎月15日でしたねえ)は即ログインいたしまして、振込を確認しつつ当面リラでこれくらい残しておけばいいやという額だけ残して、あとは貯金できそうなぶんをとにかく米ドルか日本円に替えていました。

もっとも日本円で口座を作ったとしても、現金として即日手にできるわけではありませんでしたが。なんせトルコですから、日本円でのやりとりというのはほぼないのです。そんなわけで夏休みなどの一時帰国が迫ってきた時期には、口座を作った銀行の支店に朝早く行きまして、「おいらの口座からX万円ほど引き出したいんだけど」と窓口に直接お願いしに行きました。

で、「日本円だったら今日じゅうにってのは無理だよ」と言われるのを聞いてから(こちらはもちろんその返しは織り込み済み)「もちろん今日じゃなくていいですよ。1週間後とかは?」などとさらにお返事いたすわけです。

そうすると運が良ければ(つまり、「本店」が日本円で現金を持っていれば)その日の午後、しかし自分の経験ではあまり遅くもならず、お願いした日の翌日か翌々日には日本円を直接手にできていたと記憶しています。

で、トルコリラの対円レートというのは年々とんでもないことになっていましたから、ある年などはあ〜、この1年でこれくらいにしかならなかったか〜、と一人落ち込んだりしていたのでありました。

そのうち一時帰国するだけで貯蓄をほぼ全額使い果たすことになったりなどもしましたから、ああオレ、アンカラでの生活は長くないんだろうなと3年目、4年目あたりに強く思っていたものです。

かくして2024年夏。日本円の対ドルレートに一喜一憂している自分にふと気づいて、なんかこの感情、経験したことあるなあと思ったのでした。トルコリラのあの下落の日々に比べれば、まだ円高方向に振れることのあるぶんだけ今の方が精神的な健康にはよいとは思うんですけどね。

自国通貨の価値はあればあるだけいいに決まっているじゃないか、と思いながら、神様に円高を願う踊りを捧げてそれが叶うんならわりと毎日長時間踊ってみせまっせ、とも書いてみたくなる8月の暑い日の昼下がりであります。

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