教科書の出来は、使ってみなきゃわかりませんね
数年前からちょっとずつ作っていた、自前のアゼルバイジャン語の教科書。いちおうパイロット版が出来上がってはいまして、とある場所で実践として使わせてもらう機会を得ています。
アゼルバイジャン語話者のチェックも入れているので、エラーはだいぶ減っただろうと思っていたのですが、自分で使ってみると意外に内容上の「抜け」があることに気づきます。タイポはやっぱり残っているし…
見出し写真に写っているタイトル名はまだ仮のものです。どういうタイトルになるかはまだ決まっていませんので念のため。
これに、「練習問題」も付け加えて、いつかは誰でも手に入る状態にもっていくという段取りになっていますが、それも入れれば分量としておそらく250ページくらいはいくのではないかと思います。我ながらよく書いたわ。
であれば、タイポやエラーが出てくるのはどうしても仕方がないのかな、とも。まして、正直に申し上げればアゼルバイジャン語、もちろんことあるごとに勉強してはいますが、トルコ語よりも肌でわかる感覚が乏しいというか。
そう考えると、やはりこれまでのトルコ語のさまざまな経験はトルコ語にコミットするという点では貴重だったかもしれません。かけた時間はともかく、18歳から始めたわけですから、もうかれこれ25年ですか…長い付き合いだわ。
まだまだ上達しなければならないことは重々わかってはいますが、トルコ語ならこうだ、またはこういう言い方はたぶんしないな、という点での判断なども含めて、アゼルバイジャン語よりはるかに感覚としては持てているかなと。
なので、執筆しようと思えばおそらくトルコ語のほうがスラスラ書けるんじゃないだろうかとふと思うなどはします。
習得している語数もおそらくトルコ語の方が圧倒的に多いと思うので(もちろん共通の語も多くありはしますが)、繰り返しますが本来ならトルコ語の教科書をね…書いてみたいところなのですが。
トルコ語の教科書はもう、いいものがたくさん出ているからなー。
私の出る余地はないよなあと。一方で、自前の教科書があれば便利なんだけどなとも思うわけですが、なんせ語学書というのは出版したいと思ったらできるというものではないという。当たり前っちゃ当たり前の話ですけど。
そんなわけで、アゼルバイジャン語のテキストを作れという話が来たこと自体をありがたく受け取って、自分の勉強なんだからということで、今日も今日とてエラーとタイポをつぶしにかかる日を過ごしたという次第です。土日は原稿頑張ろうね。
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