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共通項より、多様性を味わいたい:「テュルク」についての個人的所感

先日、とあるツイートをしました。実に個人的な所持品自慢がしたかっただけなのですが、想像以上に反応をもらいました。それはよかった。のですが…

この表記のうち、「カザフ・トルコ語」のような言い方に関心が向いた方がおられました。はい、いいところついていると思いました。そこ、気になると思うんですよね…私もアンカラ滞在時期から個人的に色々経験があり、気になっているところではあります。

カザフ語はカザフ語、ウズベク語はもちろんウズベク語でトルコ語とは同系だが別の言語として認識したほうがいい、というのが私の個人的見解ですが、トルコではその考え方が拒絶される場合が多い。少なくとも個人的にはそのように感じます。

それで、露探さんも加わっていろいろとやりとりがありました。さすが同氏、率直に現状と見解を述べておられます。

おっしゃる通りかと。それで、「方言」という言葉には少々補足を入れておいたほうがいいのかなと思ったので、私も以下のようにツイートしました。

これは、別に「X・トルコ語」的な言い方を擁護したつもりはなくて、トルコ語ではそういう言い方をしているという話をしただけ、ということだけさらに補足しておきたいと思います。

何を隠そう私、現地での日本語の授業でこの話になったときにとある学生と議論になりかけたほどで… 
以下、露探さんとのやりとりはリンク先のやりとりをご参照いただきたく。露探さんほか、コメントくださった各位、ありがとうございます。いつも勉強になっております。

あともう一つ補足として。私自身、以前アゼルバイジャン語についての解説をとある本の一部に載せていただく機会がありました。

そこで、「アゼルバイジャン語はトルコ語の方言である」という俗言を一応紹介はした上で、その是非はいったんおいて、純粋に両者(アゼルバイジャン語とトルコ語)の似ているところ、違うところを精査していくのが語学徒の仕事である、という趣旨のことを書いています。

タイトルも、その思いを込めて「トルコ語とは似て非なり」。この似て非なるところこそが面白いと個人的に思うところなのです。

私は、テュルクの多様性を満喫したいと思っています。改めて書いておきます。まして、トルコをテュルクの中心だとみなす主張は受け入れられません。私は、たまたま最初に入ったのがトルコ、またはトルコ語だったという、それだけの話です。

私にとってはテュルクという概念は、とりあえず話に入っていくきっかけなのです。言語的に共通項があって、祖先が同じ、つまり同系の言語を話す人たちですが、彼らの文化や社会、歴史はとても複雑で多様で、ひとくくりにはできません。

したがって、「テュルク世界は一つ」のような、一部の人たちがやっている政治的主張も支持しませんし、加担する気もありません(これは、「テュルク友の会」も同じスタイルと信じています)。

そういったところとは一線を画して、純粋に彼らの言語と文化に親しめるようなアプローチを模索できればなと思っています。

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そう思いながら、私は今日もアゼルバイジャン語のチェックをし、トルコ語講座の準備をし、カザフ音楽を聞いてドンブラの音かっこいいな〜、と感激する1日を過ごしたいなと。

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