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「こんなすごいの、書けないわ」とあの時思った話

10年以上前に初めての著書を執筆する機会を得たとき、編集サイドからはシリーズものであることを考慮してフォーマットは統一のもの、あとは自分のテイストが出るように書いてくれればよい、といった趣旨のことを言われていました。それで、出版社からのご厚意で「参考にしてください」ということで4冊だったか5冊だったか、同じシリーズの他言語の既刊の本を賜ったことを今でも覚えています。

当時はまだ「新版」は出ていなかったので、上記リンクの通り旧版(黄色い表紙のシリーズですね)を賜った次第でしたが、そのうちの一冊が『クロアチア語のしくみ』でした。

ひょっとしたら、『クロアチア語…』は当時の職場で旧ユーゴの地域研究をやっていらした同僚の先生からいただいた本だったような気もします(この先生からもちょこちょこ本をいただいたというご恩などがあります)。この辺ちょっと記憶があいまいですが、その同僚の先生ともこの本についてもちろん語ったことがありました。

もちろん当時(今もですが)私の専門はトルコ語で、クロアチア語どころかスラヴ系諸語ともほぼ縁がなかったわけですが、執筆の参考にしてくださいということでぱらぱらとこの本をめくって、まあ衝撃を受けたこと。

書き方のアイデアが、シリーズのほかの本とは明らかに違うと感じました。「クロアチアを旅行しながらクロアチア語の文法を紹介する」というので、章立てはシリーズの構成に従いつつも、地名の紹介を通じて文字と発音の説明をしたり、市場を見に行くという趣旨で疑問文を導入したりという。

こんな芸当、できやしないわ…と当時絶望的な気持ちになったことを今でも覚えています。クロアチア語のエキスパートには、こんなすごい人がいるのだなという衝撃というべきだったかもしれません。

それで、編集の方にも『クロアチア語…』ですが、これはすごいですね。私にはこういうすごいものを書く自信がありませんという趣旨のメールを送ったこともあったはずです。ともかく、自分のテイストが出ればそれでよいですから、というお返事をもらったように記憶しています。

その後知り合いを通じて、どうやらスラヴ語学の世界では知らない人はいないほどの方だったということを知りました。残念ながらお目にかかることは一度もなかったのですが、自分がとうていかなわないと思った書き手の一人だったことは間違いありません。もちろん、世代もキャリアも自分より相当上の方だとも承知していましたが。

Zelf(a)さんのnote記事を拝読して、訃報を先ほど知ったばかりでした。

さして縁のある立場ではないと重々承知ではございますが、この場を借りてご冥福をお祈り申し上げます。ご研究はもちろんのこと、語学書の書き手としても素晴らしかった先達に先立たれてしまいましたね…

新版、買いますかねえ。

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