一行読んだならば、それを一時間も明想せよ


本を、うわべで流し読みする者には、その深い意味は理解できぬだろう。
本というのは、たとえ聖書・聖典・仏典であっても、見えない真理を説くんですよ。

見えない真理が、どうして言葉に、文字や絵に書き記すことができるんだろうか。
だから 喩(たと)え、方便で説いていくんです。

その喩(たと)えで説いている意味を、深さで知らないかぎり、何を説いて教えんとしているのか、何を言わんとしているのか、わかるはずないですよ。
文字にはないんだから。言葉にはないんだから。

だからヨガナンダは、「一行読んだならば、それを一時間も明想せよ」と言ったんですよ。
一行に説いた文を理解するために、本当にその奥底で引出された実相の中まで落とし、それが実感できるまで一時間も明想しろ、二時間も明想しろ、と言ったのはその意味ですよ。
だから、うわべの文字で読んで、誰が理解できましょうか。

なぜ私には、この地球上にこの現象の世界にその本が出る前から、その内容を知っていたのか?

私は本の出どころである、実相という根源からすでにそれを観ていたってことなんです。

その能力は私だけに与えられた能力ではないんです。
同じ本質を一つとする皆さんの宝物なんです。

そうあるためには、
我、命なり、あなた方も命なり。我の命、あなた方の命は全体の命であることを、はっきり掴むことです。
そうならば逆に皆さんが、私は観たくない、と言ったって、皆さんに必要なものは必要にして見せられますよ。

いまだかつて見たことのないものが 観える。
いまだかつて知ったことがないものを 知ることができる
いまだかつて感じたことのないものを 觀ずることができる。
今まで味わったことのないものを 味わうことができる。

これが実相世界なんです。

私が特別な人間ではないんです。
あなた方はそれを 蔑ろ(ないがし・ろ) にしているんです。そうであるにもかかわらず。

我が無限であって皆さんがいと小さきもの、個人であるはずがないですよ。
一つしかないところから私が語るならば、我が無限ならばあなた方も無限です。

我が完全であるならばあなた方も完全です。
我が愛ならばあなた方も愛です。

これが実相から語る言葉ですよ。

2021年10月1日 平和への道・八ヶ岳セミナー①「無題」より

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