占い師

「アナタ50歳で仕事を辞めて、本出すあるヨ。」

ある日、横浜の中華街でいかがわしい占い師に予言された。

話のネタも特になく、黙々と歩くばかりで、
ほとんど楽しさのかけらもないデート。
女の子は少し年上で、ダンスが趣味の保育士。
ダンスの練習でついた筋肉が身体に張りを与えていて艶めかしい。
その子と一緒に歩いている理由はそれくらいしかなかった。

なぜかずっと僕の腕に手を絡めている距離感は嬉しかったけれども、
そんな接触も序盤で飽きて、僕はほとんど上の空で、
ただただ晴れ渡っているばかりのあほらしい青空の下、
家族連れで賑わう山下公園を歩いていた。

京都に行ったら清水寺に立ち寄るのと全く同じ原理で、
いつのまにか僕らは元町中華街にいた。
通りに漂う甘くて脂っこい香り。
昔訪れた上海が懐かしい。
あの日もこんなあっけらかんな天気だった気がする。

本場では目にすることはなかったけれども、
横浜の中国には占い屋が多い。
京都のお土産に八つ橋を買うのと同じ原理で、
僕らは小ぎれいな占い屋に入った。

緑色がテーマカラーらしい小太りの中年女性。
手相と六星占術の組み合わせで占うらしい。
この人は緑色をやめて、キャップと赤いマスクを身に着けるべきだ。

「お二人は付き合っていますか?」
付き合っていたら空気を読んだ助言をしてくれるらしいが、
正規の値段を払っていて隠し事されたくもなく、
占いに貪欲な感じで少し嫌だったけれど正直に答えた。
だいいち本当に僕らは付き合っていない。

お互い婚期も違い、価値観も合わず、
そこそこの浮き沈みをする男と
そこそこの波乱に遭遇する女。
そんな二人が今日は横浜を歩いてきたらしかった。
彼女の「波乱」にもちろん僕は含まれていないだろう。

一方で、僕の脱サラ執筆活動は「そこそこの浮き沈み」に含まれるらしい。
生きていたらそんなこともあるかな、くらいに、
僕の心もそこそこの浮き沈みをしてその店を出た。

確かに書くことは好きで、ノートも字で真っ黒だけれども、
真っ黒に埋め尽くした言葉たちは、読み返すといつも哀しい。
哀しい気持ちでやむにやまれず書き留めた文章ばかり。
自分の暗い晩年を予感した。

けれども、それも「そこそこの浮き沈み」のうちか。

夕暮れ。
あほらしかった晴天は真っ赤に染まって、
深刻に一日の振り返りを迫ってくる。

僕の楽しみは暗くなってからだというのに。


                                                                                                            2020.05.15

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