何を考えているか分からないの見解


結構前からだが、僕は“何を考えているか分からない”と言われることが割と多い。俗に言う『不思議ちゃん』だ。




でもそんな不思議ちゃんの僕からすると、何を考えているか分からないと言ってくる人のほうが不思議ちゃんだと思っている。




基本的にそう言ってくるのは女子だが、こちらからすると“何を考えているか分からない”と言ってくるor風の噂で耳にするときの僕は大抵“何も考えていないとき”なのだ。 




確かに喜怒哀楽の怒と哀の感情が死滅しているので何を考えているか分からないように見えてしまうし、喜と楽も周囲の人と比べるとどこかズレがあるように思う。これらが原因だとしても「何を考えているか分からない」とわざわざ本人に聞こえるように言うのだろうか?




先程も述べたように怒の感情が死滅しているので怒ったりということはない。ただ僕はそれを言ってくること自体が不思議でしょうがないのだ。





ヤフーニュース等のコメント欄で意味もなく書き込まれる誹謗中傷と同じで、その人の感情や性格などを完全に理解しているわけではないのに「いや…よく言えるな」と思ってしまう。





こういうと「意見だから」と謎の正当化をする人がいるが、だとするならば頼んでもいない意見など余計なお世話である。





「あんたは私の何を知る?」月曜日の朝スカートを切られたではないが、求められていない意見を聞くと整理できない気持ちの残骸のようなモノが残って嫌なのだ。





僕の一部の感情が死滅していなければ言い合いになり人間らしいところあるじゃん!となるかもしれないが、死滅した僕はそもそも言い合いにならないし何より何も考えていないのだから返答にタイムラグとこの人は何?という恐怖を抱き何も言えない。




そう。こうして不思議ちゃんというレッテルが貼られた人間が世に出荷されるのである。





僕は今後も“何を考えているか分からない”と言われることはあるだろう。そして何も言えず終わるだろう。




だが、これだけは忘れないで欲しい。





「何を考えているか分からない」と言った人も何も考えていないときの僕によって、この人も不思議ちゃんだというレッテルを貼られて世に出荷されるということを。





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